第16話 熾鬼の一族
シキヤシキは榎山の地下に作られた巨大な研究施設。
大体の認識はそれだけで事足りる。なぜなら地上で暮らす人間はそもそもシキヤシキの存在すら知らないのだし、知られても困るのだ。
それはシキヤシキの創設者である、熾鬼椰樹の犯した愚かな行為に由来している。
熾鬼椰樹は、元は天草社の研究所に所属する一人の研究者だった。
両親や兄弟などの家族を持たず、研究所内では何を考えているかも分からない奴だ、と彼の同僚は口を揃えて言った。
彼がそこで何を研究していたのかは記録が残っていないが、天草社における重要な遺物を管理していたのだという。
ある日、椰樹はその遺物を持ち去り、彼を信奉する複数の研究員を連れて研究所から姿を消した。
彼が遺物に何を見出したのか、なぜ何も言わずに行方をくらましたのか、それは彼の同僚であった研究員にも誰一人として分からなかった。
問題はその遺物が、天草社にとって最重要の機密事項だったということだ。
それを取り戻し、証拠すら残さぬために椰樹の存在を消そうと天草社はあの手この手で椰樹を探し出そうとした。
一方で、椰樹は天草社の追手を搔い潜り、協力者の手を借りて地下に自らの研究施設を作り出した。彼はそこで遺物に関する研究を進めると同時に、共に地下に潜った研究員たちの内の一人の女性と子をもうけ、子孫を増やしていった。
シキヤシキに流れてきた研究者たちは、事情により社会を歩けなくなった研究職の者たちを椰樹が見出し、招き入れたのだとか。
熾鬼の一族と研究者たちはそこで各々の分野の研究を行い、シキヤシキは数十年に渡って発展を遂げてきた。
──しかし、椰樹はその生涯で己の研究を果たすことが出来なかった。
彼は天草と自らの秘密を誰に伝えるでもなく隠したまま、その息を引き取った。
椰樹が間違えたのはそれだけではない。
熾鬼の血を引く者は誰であろうと、罪を犯した者の宿命だとでも言うように、熾鬼椰樹と同じ顔を持って生まれるのだ。噂によると彼自身も彼の母親からその顔を受け継いでいるらしいが、その真偽は定かではない。
つまり。それが何を意味するのかというと、椰樹と同じ顔を持つ彼の子孫たちもまた、天草社に命を狙われる運命にあるということだ。それは呪いのように彼らについて回り、慈悲はなく、彼らの運命を搔き乱した。
かつてシキヤシキに存在していた椰樹の顔を持つ人間の数は、椰樹を除いて十二人。
それらは天草が送り込んだ刺客によって数を減らし、今では片手で数える程しか残っていない。
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「だからボクたちは、この呪われた顔を誰にも見せちゃいけない。これが、熾鬼の一族が地下に閉じこもってる……ボクが地上で『くま先生』をやってる理由だよ」
それは想像を絶する、シキヤシキの現実だった。
「…………そんな。それじゃあ、天草社は……」
マコトは天草社の研究所で生まれたからくりだ。しかしながら、シキヤシキに来るまで椰樹という名前は聞いたこともなかったし、天草社が持っていた遺物なるものについても知らなかった。ましてや、数十年の間ある一族を追いかけ続け、その手にかけていたということも。
あの場所に良い思い出や思い入れがあるわけではないが、そんなことは信じられなかったし、信じたくもなかった。それでも奏羽の語る速さ、言葉の一つ一つの重さ、喉の奥から押し出すような声音は、それが真実だと訴えていた。
「アイツらは自分たちのためなら人殺しすら厭わない、外道だよ。……ま、関わってるのは一部だけだろうけどね。ほとんどの研究員は自分の所属してる組織が、その歴史が、その道が正しいものだと信じてる。ホント、救いようがないよ」
「で、でも……人殺し、なんて」
その三文字に、彼らにとってどれだけの業が込められているか。マコトには想像もできない。
「ボクたちの世界じゃそんなのは当たり前だよ。普通じゃ見えない、手の届かないところにいて、社会に背を向けて生きてる人なんてごまんといる。そこからいくつかを抜き取って、殺したい奴……ボクたちに差し向けるなんて簡単なことだ」
「だとしても! 全国レベルで信頼を得てるような会社が、そんなことして良いわけない」
「それがあるんだよねぇ。奴ら、裏では政府と繋がってるらしいから。その気になれば些細なトラブルはいくらでも揉み消せるよ」
些細なトラブル、で済ますような話ではない。それは奏羽にも分かっているはずだ。その唇は噛み締めた歯によって今にも潰れそうなほどに力が込められている。
しかしそれも束の間で、奏羽は一呼吸置いて、まるで何もありませんでしたと言わんばかりにけろりと態度を変えた。
「全く、姉さんにも困ったものだよねぇ。こんな話をボクにさせるなんてさ」
マコトが知る限りシキヤシキには、コシキを除いて三人の『シキ』がいた。花奏の話によると彼女の上に、彼女らが兄と呼ぶ──おそらく彼もいとこなのだろうが──もう一人がいるらしく、奏羽も合わせると全部で五人だ。つまり、かつて存在していた人数の三分の一以下に減ってしまったということだ。
今まで出会った花奏たちも、ここにいる奏羽も、これまでに何人もの大切な人を失っていたというのだ。そんな相手に、かける言葉が見当たらない。
「ま、昔の話だし、ボクはもう気にしてないけど。姉さんのコシキもいっぱいいるしねぇ。あの顔が同じアイツらを見てると、なんだか昔に戻った気分になるんだ」
奏羽は強がって見せる。彼が頭に思い描くのは、それはかつてどこにでもあるような家族の風景だったのだろう。彼はコシキたちの中に、その影を追っているに違いない。
そうして奏羽はそっと熊の頭を取り外す。やはり、僅かな感情の変化はどんな形であれ表に現れるものだ。彼の目には、怒りや、哀しみのようなものが渦巻いているように思える。
「……ならどうして、奏羽さんはシキヤシキに戻らないの? あそこにはまだコシキがたくさんいるよ」
「そこまでは教える義理はない。というか、なに? まさかボクに戻ってきてほしいからってここまで来たわけ? ならお生憎様だけど、姉さんにはよろしく言っといてよ。ボクは戻る気はない」
ヒイロが問うと、奏羽は分かりやすく反発した。しかしそれは確固たる意志のようだ。現在座っている椅子からすらも、一歩も動きそうにないくらい。
「ったく。アンタたちの相手しただけ無駄だったかなぁ、暗い話を聞いて笑いに来たならさっさと帰りなよ」
自虐を交えた態度で奏羽は突き放す。
嗤うつもりなど毛頭ない。
……家族を失った彼らに情はないのか、と冷たく思われるかもしれない。しかし自分の口から離したくはないと言った花奏たちも、それを過去に囚われることなくさらけ出してくれた奏羽にも、これ以上は関わって欲しくない、という壁のようなものを感じるのだ。
だからここは、『ただの昔話』で終わらせておくのが礼儀であり敬意というものだ。
とはいえ、前にも似たようなことがあった気がするが、何もせずに追い出されてしまうのはマコトたちにとって困る。
まだ提示できていないこちらが持ち寄った疑問も、彼の話の中で気になった部分もいくつかあるのだ。叶苗たちの肝心の頼みである奏羽を連れ帰るという任務については軽く断られてしまったわけだが、まだ機はあると思いたい。
ここは奏羽の心理状態を考えて、場が落ち着くまで待つしかない。
「……そうだよね。あれこれ聞かれても、きっと辛いだろうし……」
「はぁ? 別に辛くないし。勝手にボクのこと決めつけないでくれる?」
やはりもう少し、彼の心を落ち着かせる必要がある。
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「なんでよりにもよって熊の被り物を? それも本物の」
まずは『くま先生』について。
「知ってると思うけど、ボクは解剖学をやってたんだよねぇ。てわけでフツーに熊を解剖してみたかっただけ……なんだけど、顔を隠す意味も込めて、余った頭を被って医者をやるようになってから『くま先生』なんてアホみたいな呼び名が定着しちゃったってわけ。ま、本名がバレないならどうでも良かったんだけど。ちなみにコレは最近手に入った新鮮で上等な熊」
そう言ってマコトの顔に野生そのものの生首がぐいっと近づけられる。悪戯のつもりなのに対して心臓への負担が大きいことは確かだが、今更反応する気力も起きない。
ともあれ『くま先生』とは、本人が故意に名乗っているものではないらしい。それでも、一定層にはその名を広く知られており、信頼も置かれているのだとか。少なくともあの周辺区に店を構えた店主の、くま先生への態度を見るにそれが事実であるということが分かるだろう。
「熾鬼椰樹が隠した遺物って何? どこにあるの?」
次に熾鬼椰樹について。やや入り込んでしまった質問かもしれない。しかし奏羽は動揺などを見せることはなかった。
「それはボクも知らない。隠した、なんて言ってるけど、とっくの昔に捨てちゃったかもしれないしねぇ」
それについては彼にも心当たりがないらしい。
これはこれまで一緒にいて分かってきたことだが、なぜか人間の発言の虚実を嗅ぎ分けることのできるヒイロも首を縦に振っているので、本当のことを言っているのだろう。
「なんで、シキヤシキを出て行ったの?」
そして彼の家出について。
「……」
さすがに踏み込み過ぎた質問か、と思うも案の定、奏羽は黙り込んでしまった。
「…………なんでボクが尋問されてるカンジなのか分かんないけどさぁ。これはボクたちの問題だから。アンタたちが知っても意味がないことだよ」
過去に余程の大喧嘩があったのか、それとも先程の椰樹の話と関係しているのか。理由は分からないが、奏羽は頑丈な口を閉ざした。シキヤシキの設立の経緯とその現状を鑑みれば、彼が話したくないと言うのも不思議ではない。
「……今日、重要なのは。アンタたちがどんだけ面白い話をしてくれるか、ってところじゃないの?」
奏羽の先程までの複雑な表情はすっかり消えてしまい、にやりと悪戯な笑みを浮かべながら、宝物の在り処を聞き出す子供のように問いかけた。
忘れかけていたが、ここへはあることを聞きに訪ねてきたのだ。さっさとそっちを話せ、という無言の圧を感じる。
「どんな話を持ってきたのか、早く聞かせてみなよ」
この場は素直に彼の言う通り、説得は一旦諦めた方が良いだろう。これ以上同じように過去のことを蒸し返されても、彼にとって決して気分の良いものではない。
ここは医者としての手腕を見せてもらおうじゃないか、と大船に乗った気持ちで、マコトたちも第二の本題へと移る。




