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第14話 くま先生

 六畳ほどの小さな一室。窓はなく、冷たい光を放つ蛍光灯が稀に点滅し、光沢を帯びた白い壁に反射する。そして稀に、部屋全体が電車のような音を出して揺れるのだ。

 いかにもホラー映画でありそうなこの部屋には、現在四人の姿があった。人間、という意味ではたった一人、他の三人の向かいに座る『くま先生』なる男性。いや、今のままでは人間かも分からないが。『くま先生』は無言で、ただこちらを見つめている。


 『くま先生』とは何か、この状況は何だって? それはこっちが教えて欲しい。どうしてこんなことになったんだったか……と、マコトは記憶を呼び起こす。



「マリアはどこにいるか? 多分叶芽のとこだと思うけど……なんでそんなこと聞くの?」


 シキヤシキのカフェテリア内。コーヒーを飲んで目が覚めたであろう叶苗に、マコトはマリアの居場所を教えてくれないかと質問した。

 その理由は、丹波製薬において和木が未来の症状について話した際に、マリアは『良い医者を知っている』と和木に提案をしていたからだ。その情報が本当であれ嘘であれ、彼女に確認をしておかねばと思っていたのだ。その医者を頼ることができれば、未来の症状の謎を解き明かす突破口になるかもしれない。

 そのことを叶苗に伝えると、叶苗は少し考える素振りを見せた。


「マリアが知ってる、腕の良い医者……あいつのことかな」


 叶苗の口振りから、彼女もその人物を知っている可能性が見えてきた。


「知ってるの?」


「まあ、一人なら……でも全然、精神科医とかじゃないけど。その未来さんとやらの問題を解決できるかは分からないよ。あと……」


 叶苗は一瞬だけ唇を結んで言葉を止める。何か深い事情があるのだろうか……とマコトも息を呑む。


「……あと、そいつ、反抗期だから。素直に応じてくれるかどうかってところ」




 後に合流したマリアにも確認したところ、叶苗が思い浮かべていた人物は正解だったらしい。


奏羽(かなう)さまですね。現在五人いるシキさまたちの中では上から三番目に当たる、次男といったところでしょうか」


 熾鬼(しき)奏羽。主に解剖学を研究しているらしい。花奏と叶苗の関係性が判明してから、奏羽なる人物も彼女たちのいとこ辺りの立ち位置なのだと予想できるが、よりややこしくなる気がしたので聞かないでおいた。

 奏羽は数年前までこのシキヤシキにいたらしいのだが、あることをきっかけに地上に出ていってしまい、現在は地上で医者をやっているらしい。

 その後マリアが個人的にやり取りをしており、叶苗たちもそれに参加して戻ってくるよう説得を試みていたのだが、いずれも失敗に終わった、と悔しそうに叶苗は語る。


「なに、兄弟喧嘩……?」


 反抗期だと言うからそう予想したのだが、誰とどんな喧嘩をすればわざわざ地上まで足を運ぶことになるのだろうか。そこまでは想像できそうにない。


「そんな感じ。こっちとしては、戻ってきて欲しいんだけど……私たちは地上に行くわけにはいかないから、難しいところ」


 花奏も言っていた。彼らは事情があり地上で顔を見せるわけにはいかない、と。同じようにここにいる研究員ですら、基本的にシキヤシキから出ることは禁止されているらしい。もちろん強制的なものではなく、彼らの意思であるようだ。


 となると、戻ってきて欲しいという叶苗の願いを叶えるための手段は限られてくる。嫌な予感、再び。


「……どこかに奏羽を連れてきてくれる優しい人はいないかなー……ついでに聞きたいこと聞いてくるといいし……どっちにもお得な話だと思うんだけどなー……」


 叶苗は、口元に持ってきた両手とやる気のない上目遣いで遠回しに要求をしてきた。マコトは今すぐ回れ右をして二度目の逃走の背中を見せるところだった。




 兄弟喧嘩なら自分たちで解決しろ、と言いたくなってしまったものだが。知りたいことを知るためには奏羽を頼るしかないというのも事実で……と葛藤の中にあったマコトを差し置いて、「行ってくればいいんだね!」と元気な返事を聞かせたヒイロのことをきっと睨んでしまったものだ。


 今回も同伴者はマリアだった。丹波製薬に赴いたときと同じ、人気のある量産型のからくりだということで、どんな場所でも溶け込めるからといった理由だ。


 違う点については、まず目的地周辺の環境だ。

 マコトは一般常識はそこそこあるほうなのだが地理は全くと言っていいほどできなく、自分が元いた天草研究所のある場所すら知らなかった。


 天草社及び研究所やシキヤシキが存在しているこの地域は『榎山(えのやま)』という名だ。山という漢字が入っているがれっきとした日本の現代都市の中心地である。

 歴史ある繁華街や商業によって栄え、多くの人やからくりが行き交い、交通網が張り巡らされた光景はまさに大都市なのだという。ここまではマコトも、他人から聞いたものや映像で見たことはあるので知識としては知っていた。


 その中でも天草社は榎山の中心部に位置しているが、研究所の方は郊外に近い場所にあるらしく、マコトが逃げ出した先はちょうど森林地帯になっていたのが幸運だったのだろう、とマリアは言う。

 少しでも方向を誤っていたら都市部にまっしぐらで、逃げ込む場所も無いマコトはすぐに捕まっていた可能性があった、ということだ。想像しただけでも身震いがする。


「そんなにすごい都市だったんだね、ここは」


 ヒイロは素直に感心している。マコトが言えることではないが、本当に彼は一体どんな田舎からやって来たのかと思うほど、何も知らない。覚えていない、と言った方が正しいかもしれないが。


「そうですね。シキ様たちも細かいことはご存じないかもしれません、なにせ幼い頃からシキヤシキで育ったと聞いておりますから」


 シキヤシキの位置は教えてもらえなかったが、ずっと地下で生きてきた彼らにとって地上での生活はどのように見えているのだろうか。そしてそんな未知の世界に飛び込もうとした熾鬼奏羽という人物はどんな人間なのだろうか。 


「ここからが少し注意しなければならない点です。前回訪れた丹波製薬も、同じく郊外付近に建てられた隠れたラボラトリでした。マコトさんやヒイロさんが多くの人の目に留まることもなく、決して怪しまれることもない状況でしたので、安全に計画を実行できましたが……榎山の中心に足を運ぶとなると、相応の警戒が必要です」


 榎山の中心というからには、人が多く技術も発展していて規律で厳しく統制されているに違いない。マリアの言う通り、今までとは違いより慎重な行動が求められるだろう。


「……って、いや、奏羽って人はそんな都会の中心に住んでるの? すごいね?」


 都会は奏羽にとって未知の世界だと、内心彼を見くびっていたのかもしれない。それはそれとして、迎えに行く側の気持ちにもなって欲しいものだが。


(わたくし)たちとしても望ましいことではなかったのですよ……やはり地上は危険です。マコトさんたちもお気を付けください。栄えている場所というのは情報の伝達力が凄まじいですから、誰かに少しでも怪しまれてしまうだけでも危険なので……」


 隣のヒイロをちらりと見やる。彼を見た人々が、噂話である彼岸花の実在を広めようとすれば、それが偽の情報であれ混乱に陥るだろう。そんなことになるのは御免だ。


「ねえ……僕もこれ、行かなきゃだめなやつ? マリアさん、あんなに仕事できる感じだったのに」


 そんなことを考えていると途端に不安が押し寄せてくるマコト。何しろ、前回も行動を共にしたマリアは見事にその有能っぷりを見せつけてくれたのだ。それならば果たして自分は必要だろうか、と考えてしまうのは当たり前だ。ヒイロは良い社会経験だと言っていたが、そんなにポジティブに捉える自信がない。

 ダメもとで聞くや否や、マリアはぴくりと肩を震わせ、たじろぎ出した。


「ええと……お、お恥ずかしながら、私。信頼できる方がいないと、きちんと『マリア』できないものでして……」



 そんなこんなで榎山の市街に繰り出すことになった三人。

 毎度の如くシキヤシキの場所を悟られないためのコシキの案内から始まり、徐々に道行く人々が見られるようになってくるとマコトの中で緊張感が増す。

 初めて見る、『普通に生活している人』の姿だ。今までは白衣を着た研究員やスーツ姿の従業員しか目にしたことのなかったマコトにとって、そこは既に新鮮な景色だった。

 やがて閑静な住宅街から路地を行き、住宅ではないものが目に入るようになってくる。


「マコト。あの謎の建物たちは何かな」


 ヒイロが不思議なものを見る目でそれらを指さしていた。彼にはそれすらも見たことがないものなのだった。


「あれはたぶん、カフェとか、事務所とか飲食店とか……そういうやつだと思う。僕も実際に見るのは初めてだけど」


 辛うじて持っている知識でヒイロに説明する。これで合っているだろうか……とマリアに視線を送ると、ぱちりと片目をつぶって肯定の意を送ってくれた。


「かふぇ……かふぇ」


 まさか、カフェも知らないなどと言うのではあるまい。説明するのも面倒なので一刻も早く話題を逸らさなければ、と辺りをきょろきょろと見回す。


 ──マコトはそこに、珍妙なものを見た。


 珍妙、という言葉でしか表せない。ある程度賑わっている路地において、本来あるべきではないのではないか、思う。

 そこには一人の人影が立っていた。茶色のコートを着ている、やや幼い体格の男性。そこまでは良い。珍妙なのは首から上だ。


 おそらく、熊……のような被り物を被っている。可愛らしくデフォルメされたものではなく、野生の威厳をそのまま纏った生首だ。

 恐ろしくリアリティのある熊の頭をその首に乗せている誰かが、じっとこちらを見ていたのだ。

 何かのマスコットにしては怖すぎるし、それが路地の一端で堂々と構えるように立っているのが余計に物々しさを醸し出している。


「マコト。かふぇとは叶苗さんも言っていたけど、カフェテリアと同じもの?」


「そうそれ! って今はそうじゃない! なにあれ怖いんだけど!」


 予想通り飛んできたヒイロの疑問に答えられた自分を褒めたい。マコトは目線を謎の熊男から離せずにいた。マリアもそれに気付いて唇をわなわなと震わせた。ヒイロも振り向いてそれを認識したが、流石と言うべきかやはり動じなかった。


「あれは……熊だね」


「いや、何でそんなに冷静なの? 熊も怖いけどその恰好してるあの人が一番怖い! あんなの変質者じゃん!」


 しばらく見つめ合う三人と熊男。すると沈黙に耐えかねたのか、熊男はすっと手を持ち上げた。熊の要素は頭だけだが、鋭い爪が飛んでくるとか巨大な体躯が伸し掛かってくるとか悪い想像をしてしまい絶叫するマコト。


「ぎゃあ! 何何! 怖いよなに!」


 しかしそれ以上でも以下でもなかった。目を閉じて顔を背けてしまっていたが、何の衝撃もなかったので恐る恐る熊男の方を見てみる。


 熊男は開いた手の指先をこちらに向け、上下に動かしていた。即ち、手招きの動きだ。


「こっちに来い、という意味でしょうか……?」


「そうだと思うよ」


「ええ……? 行くの? 食べられたりしない?」


「大丈夫だよ、マコト。見たところあれは人間のようだし。食べられることはないよ」


 そんなことは分かっている……いや分からない。なぜ彼は熊の頭を被っているのか。なぜマコトたちを誘っているのか。あれに着いて行ったら最後、動物園にでも連れていかれて仲良く食べられてしまうのではないか。いくら考えてもその思惑が見えない。普通に怖い。


「あっ……」


 着いて行くべきか否か判断しかねていると、マリアが声を漏らした。


「な、何、どうしたの?」


 マコトは未だにパニック状態のまま聞くが、マリアはこちらを見ることなく、その目は手招きをしている熊男に向いていた。


「もしかして、奏羽さまですか……?」


 いやいや、まさか。そんなことあるわけ。

 現実から目を背けるように思考を放棄しながら、とうとうマリアが壊れてしまったか、と彼女の意味不明の発言に内心狼狽しながら熊男の方を振り向く。



「……ボク、くま先生」



 …………???


 放棄した思考は戻ってこなかった。

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