第13話 花奏さん
「ふーむふむ。自制心とかそっちのけで、彼岸花に自分の血をあげちゃう病気ねえ……」
話を聞いた花奏は腕組みをしながらふむふむ、と考え込んだ。
「なにそれ怖い。知らない知らない」
しかしどうやらハズレのようだ。花奏はぶんぶんと首を振った。植物に詳しい彼女にも分からないとなればお手上げだ。
「でも……仮説ならあるね」
そんなことを思ったのも束の間。これぞ研究者、というような、頼もしい回答を彼女は口にした。
「仮説? どんな?」
「ヒイロくんみたいに、彼岸花は人の形をとるものなの。五年前に現れた個体もそうだった。それがそうならずに、人から血を吸い上げているなら、それは今は人の形をとることができないってことだと思うの……と同時に、彼らの活動力の元になるものが何なのかも推測できる」
未来はあの『花』に血を与えていた。それが彼女の意思であるかそうでないかは別として。花奏の言う仮説というのが、マコトにも分かるような気がした。
「彼岸花は『血液』を生命力としている。そう考えることができるわね」
なるほど……と相槌を打ち、マコトもこれまでの情報をもとに考察してみる。
五年前に突如として現れた彼岸花は、周囲の人間を襲った──これは、目覚めたばかりの彼岸花がその活動のために人間の血を欲していたからだと推測できる。同じ彼岸花でも、その個体とヒイロとで目覚めたばかりの状態が異なるのは単なる個体差なのだろうか。
ヒイロは血に飢えている様子などなかったし、このカフェテリアでも普通に人間の食事を摂っていた。「彼岸花は人間の血肉を求める怪物だ」という噂も、少し語弊があるように思える。
ならば、人間である未来が自分から花に血を与えるという奇行に走ったのは一体なぜか?
「恐らく、彼岸花は人の姿になるために人間を惑わせる。血を与えるという行為に、悦びや幸福感を抱かせるの」
その説明を聞いただけでも、それが恐ろしいものだと分かる。魅惑の白い花に魅せられた人間の精神を支配してしまう──魔性の花だ。
「まあ、これはわたしの勝手な推測だけどね。そうだったら、未来ちゃんのことにも辻褄が合う、ってだけ」
そうは言うが、何となく説得力がありすぎる。唯一この説を否定する材料と言えるものといえば、シキヤシキで所有しているという彼岸花の一部……これが花奏たちに影響を与えていないことだろう。小さい欠片だから、人間を魅了するほどの力が無いだけかもしれない。
もしも彼岸花がそのような性質を持っているのなら、彼らは今後も人に近付けてはいけないものだ。五年前の例ように、人の姿になった後も、人間を襲うことになるかもしれない。
「……」
ヒイロは花奏の話を聞いた直後から、黙ったままだ。自身の不思議な生態について考えているのか、はたまた他のことにその脳みそを使っているのか。
「ヒイロ、何か思い出したの?」
「いや。前にマコトが話していた、彼岸花についての噂話を思い出していた」
マコトがヒイロにそういった話をしたのは、確か彼と初めて出会ったとき──彼は、子供でも知っているような怪物の伝説に首を傾げていた。
要約すると、『とある人間に大切に育てられていた白い花が、主人の自由に動ける身体を羨み、殺して成り代わった』という風な話だ。
これはあくまで後づけのストーリーだという説が濃厚なのだが、それでも十分に彼岸花という存在の恐ろしさを示している。
「彼岸花が人間の姿に化けるのは、人間に嫉妬したからだ……というのが、あの話から分かることなんだと思う。俺も、人は嫉妬に狂うということを知っている。でもそれはなぜなんだろう。嫉妬は何を生み出すの?」
嫉妬は何を生み出すのか。そんなことは考えたこともなかった。ヒイロにそういった感情について思うところがあるのは意外だ。
争いか、絶望か、それ以上の修羅場か? マコトは考えうる限りを脳内で挙げるが、どれもマイナスなイメージにしか結びつかない。口に出すのが憚られる。
そんな悩む二人を見ていた花奏は不意に言った。
「嫉妬の感情の根底……根本的なところにあるものは何だと思う?」
「嫉妬の根底……?」
突然にそんなことを聞かれ、更に混乱する。頭を捻ってみても、これと言って当てはまるものが思い浮かばない。というか、本当にそんなものが存在するのか。
「──それはね、『尊敬』だよ。相手を尊敬する気持ちがあるからこそ、そこに嫉妬が生まれるの。あの人はすごい、自分もああなりたい、って想いが強いほど、それは生まれやすい」
例えばスポーツ。プロと呼ばれる彼らの強靭な精神と肉体に憧れる人々は多いだろう。
例えばファッション。雑誌に載るほどのモデルや芸能人などの、そのセンスやカリスマ性に感化されることもあるのだろう。
しかしそこにいちいち嫉妬などあっては堪ったものではない。もしそうなれば、世の中面倒臭い人で溢れかえってしまう。
「でも、普通はそんなことにはならない。なぜなら普通の人は、敬意を相手に伝える方法を知っているから。そこに別の感情や葛藤が混ざることで初めて、誰かを妬むっていう感情が生まれる」
花奏の言っていることも、何となく理解はできる気がする。
自分より優れている部分がある、周囲からの評価の高い、従順なからくり。そんなからくりを、マコトは知っている。
マコトは、自分には人間と同じ感情があると思っている。ものを考えない、ただ命令に従うだけの存在であることは、正直に言ってしまえば苦痛だ。
しかし。からくりとしての矜持が、それを邪魔しているように思える。からくりは人の役に立つために生み出された存在だ。従順であること、誰かの役に立つことこそ、彼らの、そして自分にとっての正解なのではないかと時々考えてしまう。それを受け入れない自分のほうが異常なのではないかと。
からくりとしての正しさ、自身の内に従う正しさ。どちらを追い求めれば良いのか、それが、マコトにとっての葛藤なのだ。
そしてそれは行き場をなくせば、やがて理性では制することのできない複雑怪奇な感情が生まれる……そんな未来も、見えないわけではない。
「嫉妬は、相手への尊敬を示すための歪んだ方法なんだよ……って、心理学を研究してた誰かが言ってた」
いやあんたの考えた理論じゃないんかい、という突っ込みは入れないでおいて。
歪んだ、というところを除けば、彼女の言い草だと、まるでその感情が正しいことのように聞こえてくる。その正当化すら正しいことなのかは分からないが、少なくとも。今、それを考えるのは野暮というものだ。
「まあわたしが何を言いたいのかというと、歪んだ感情表現ほど未知なものはないってこと。それは何も生み出さないかもしれないし、何らかの奇跡を起こす可能性だってある。人間って怖いねー。って話」
ひとしきり語り尽くしたのか、花奏は身振り手振りを止めて組んだ手の上に顎を乗せる。そのままにこにこと満足げな表情をしているが、二人がどのような反応をするのか見ているのだろうか。
「…………いやいや、何!? 急になんか語り始めたと思ったら、オチが『人間って怖い』? そういう花奏さんが一番怖いんだけど!」
罵倒を受けた花奏は頬を膨らませる。
「えー、わたしが思ってること喋っただけなんだけど。二人の分からないことの参考になるかなーと思って」
だから、こんな形でそれをしようと思う感性が怖い。
「ありがとう、花奏さん。良いことを聞けたよ」
ヒイロは彼女の話を大真面目に聞いていた。心なしか清々しい面持ちだ。
まあ、花奏も研究やら何やらで疲れているのかもしれない。彼女の息抜きの相手になれたと思えばいいものだろう。
マコトは思った。花奏の言う歪んだ感情表現というのは、未来の彼岸花へ向けられるものと似ているのではないか、と。少なくとも、和木から聞いた限りの未来の像はそうなる。
その謎を解き明かす鍵となるのは何だろうか。花奏の研究に期待するか、もう一度未来の元へ赴いて少しでもその実態に近づくという選択肢もあるか。
「……姉さん。こんな時間に何してるの? そのモドキたちと」
つんと鼻につくコーヒーの匂いと共にマコトの後ろに現れたのは、眠たそうな目をした叶苗だった。
「ただお話してただけよ。ていうかモドキって何?」
「ほら、人間モドキ。あなたたち二人とも、人間的過ぎて珍妙だけど」
「珍妙て」
果たしてそれは叶苗なりのジョークなのか、人間ではないと見下し嘲笑しているのか。どちらにしろあまり良い気分にはならない。しかし彼女に逆らうと何をされるか分からないので、ここは静観に徹するしかなかった。
「叶苗、ちゃんと寝ないとダメだよ? 倒れたりしたらみんな心配するよ」
「心配で済む程度の命だなんて思ってないから。自分のことは大事にするし……叶芽のことも」
眠気のせいか普段よりもさらに険悪な目つきのまま、叶苗は花奏の隣の席に座った。カップを持ち上げ、中身を啜る。
「マリアと、他数十体のからくりのメンテナンスと……カフェの調子がおかしかったからそっちも作業してた。すごく…………ねむい」
叶苗はうとうとしながら喋りだした。花奏への報告のつもりなのだろう。手に持ったカップは今にもコーヒーが零れそうなくらい傾いている。
「お疲れ様。いつもありがとうねー」
花奏はそんな叶苗の頭を撫でた。叶苗は目を閉じてその手の感触を感じている。まるで小動物のようだ。
「なんで叶苗さんだけそんなに眠そうなの? 夜中ではあるけど、まだ普通に起きてても良い時間だと思うけど」
「だって…………昔ママに、夜は早く寝なさいって言われたから……」
「ま……ママ……!?」
花奏ならまだしも、いつも素っ気なく不愛想な叶苗の口からそのような言葉が出るなど想像も出来なかったため、マコトは口を開けて固まってしまった。しかも昔の言いつけを未だに守っているということから、彼女の素直で律儀な性格が垣間見える。
「キカさん、そういうところに厳しかったもんねー」
花奏が懐かしむように腕を組んだ。キカさん、とは叶苗の母親のことだろうか。
「もしかして、花奏さんと叶苗さんの母親は同じではないの?」
するとヒイロが疑問を投げかけた。
叶苗が花奏を姉と呼んでいるのに、花奏が叶苗の母親を敬称で呼ぶのは確かに妙だ。
「ああ、そこは紛らわしかったかもね。実はって言うほどでもないけど、わたしと叶苗は姉妹じゃなくていとこなの」
そういうことか、と納得する。つまり、叶苗の母親であるキカさんというのが、花奏にとって叔母に当たる人物ということだ。叶苗は、姉妹のように仲の良い花奏のことを姉と呼んでいるのだろう。
父親が同じで母親が違う、なんていう複雑家庭でなくて良かった……と馬鹿馬鹿しいことを考えてそっと胸を撫で下ろす。
「ということは、叶芽さんも?」
「ううん、叶芽と叶苗は双子なんだよ。双子だから似てるー! って言えないのが残念だけどね」
熾鬼の血を引く彼らは顔が似ているどころではないほど同じなので、双子だからといってその手のネタが通じないらしい。
それにしても、礼儀正しく真面目な叶芽と、倫理観の変なところが欠けている叶苗が双子だというのには驚いた。どう育ったらこんなにも性格が違う方向を向くのか。決して馬鹿にしているというわけではなく、普通に知りたい。
「そういえば、カフェの調子がおかしかったって言ってたけど、何があったの?」
静かに唸るマコトをよそに、花奏が叶苗に問いかけた。
「あれ……姉さんは気付いてると思ってたけど。そのカップ、中身がないまま運ばれてきたでしょ」
叶苗は花奏の目の前に置いてあるカップを指さした。一瞬、叶苗を除く全員の頭の上に『?』が浮かぶ。
そういえば、花奏がここに来てから話をしている間、彼女が飲み物を飲んでいる様子がなかった。それなのにカップが空になっていたのだから、てっきり気付かない内に飲み干していたものだと勝手に思っていたのだが。
「カフェテリアは私が開発したAIが主に管理してるんだけど、昼の間に研究員から飲み物だけ空のまま運ばれて来るって苦情があったの……午後はそれの対処に追われてた。さっきようやく直ったところ」
叶苗はマコトとヒイロにも伝わるようにと配慮してか、カフェテリアの構造についても説明してから、事の顛末を話した。
AIに管理されていると言うので思い返せば、そのカップも顔と盆のついたサンドバッグのような形の配膳ロボットが運んできていた。
叶苗は情報系の分野を研究していると花奏から聞いたことがあるので、こういったことは叶苗が得意としているのだろう。
「あれ? わたし、これ飲んでなかったっけ?」
つまり。今分かったのは、花奏は話すのに集中するあまり空のまま運ばれてきたカップに何の疑問も持たずにそれを持ち上げ、更にはそれを自らが飲んだのだと思い込んでいた、ということだ。
「姉さん、どれだけ間抜けなの……」
本人を除く全員の白い目が、未だに一人だけ頭にクエスチョンマークを浮かべている『間抜け』に向けられた。




