第10話 退避
案内役の男の迅速な対応によって、倒れた少女は医療チームに運ばれた。
マコトたちはなんとか男たちが戻って来る前に客間に戻ることができ、聞いた話によると少女は軽い貧血で倒れたのだということらしかった。
そわそわとしながら客間のソファで待つマコトたちの前に、一人の中年の男が現れた。
「お見苦しいところをお見せしました。私、和木と申します。あの子の……未来の、叔父です」
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丹波未来は、丹波製薬の社長の一人娘。
生まれつき体が弱く、都会の空気が入りこまない場所に存在する支部の支社長だった叔父の下に預けられた。この屋敷は未来のために作られたものらしい。
しばらくの間未来の体調は安定していたが、ある時から彼女の顔色は悪くなり頻繁に貧血を起こすようになった。
そのある時というのが、五年前にこの支部が彼岸花の管理と研究を任されたときだった。
元々体が弱かった未来の体調の変化は彼岸花とは関連付けられることはなく、彼女の状態は少しずつ悪化していった。最近では、幻覚や幻聴などの症状も見られるらしい。
そんな彼女の様子の原因が明らかになったのはつい最近のこと。
「未来は、自分の血を……あの花に与えていたのです!」
彼女が倒れたときにも確認できた。その手から滴る多量の血液と、それを飲み込む赤い花を。
「未来はあの花に狂わされてしまったのです。何度言い聞かせても、部屋から抜け出して血を与えに行くのです。医者に見せても原因が分からないそうで……」
叔父である彼にも未来の真意は分からないらしく、参ったように頭を抱えてしまった。
「未来さんのことは、お気の毒に……。しかし、どうしてそのような事情を私たちに? 理由をお聞きしても?」
仕事モードに戻ったマリアが和木に尋ねる。彼女の言う通り、部外者であるマコトたちにその情報を共有したところでどうにかなる問題ではないように思える。
しかし和木はそんなことは頭にないようだった。悪魔にでも縋るような顔をしている。
「ですから、あなた方にあの『花』をお引き取り頂きたいのです! これ以上、弱っていくあの子の姿を見ているのは耐えられません……」
「……分かりました。こちらのほうは……」
マリアはずらりと並べられたジュラルミンケースを見る。
「必要ありません! 部下が失礼を働いたようで、誠に申し訳ございません」
「お気になさらず。これで互いに『利益』のあるお話になりましたわね」
後ろで控えていた案内役の男がびくりと肩を震わす。後で和木にお叱りを受ける未来が浮かんだのだろうか。
「それから……私は、腕の良い医者を知っています。未来さんの症状について何か分かるかもしれません。よろしければご紹介させて頂けませんか?」
その話はマコトは初耳だ。この状況は元々の計画にないのだから当たり前だが、マリアが知っているという医者はどこの誰なのか。そもそも、彼女にそういった伝手があるのだろうか。
「おお、何とお礼を申したら良いのか……」
和木はあっさりと承諾した。可愛い姪のためならばどんなことも惜しまない気持ちは理解できる。
「(……ねえ。僕たち必要あった? 全部マリアさんがやってくれたんだけど)」
「(自分の力不足を感じるね。もっと社会に馴染めるようにしないと)」
多少のアクシデントはあったものの、交渉に関しては順調に進んだ。これも全てマリアの有能さのおかげである。これではただ社会見学に来ただけになってしまう。
しかしながら交渉は無事まとまった。彼岸花をこちらが確保することで、マコトたちは任務を達成し、未来はこれ以上血を失わずに済む。早急に事を済ませてしまったほうが互いのためだ。
「では──」
二人が話を終えようとしたその時。
「──和木さん! 大変です!」
和木の部下と思わしき人物が客間の扉を開け放った。余程急いでいたのか、額には汗が滲んでいる。
「君、失礼ではないか。お客様がいらっしゃるというのに……」
「それどころではありません! あ、いや、失礼いたしました。とにかく緊急事態です!」
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「──で……なんでこんなことになったんだっけ?」
何もかも順調にいっていたはずが、三人は再び門の外に立っていた。約束の花の代わりに、手に持っているのは銀色のケース。つまり、ここに来る前と何ら変わりない状況である。
「き、きっと私の交渉の仕方がいけなかったんですう……申し訳ございません、シキさまぁ……」
「そんなことはないよ、マリアさん。和木さんは、ことが済んだら追って連絡をすると言っていたし」
そう、あの後、三人は屋敷を追い出されてしまったのだ。ヒイロが言う通り、事態が解決したら連絡が入るとのことだが、そもそもあの時何が起こったのか説明されなかった。何も分からないまま追い出されるなど、商売としてどうなのかとも思うが、それほど大変な事態が起こっていたのだろうか。
「これはもしや、上手いこと言い訳を作ってこの話をなかったことにしようとしてるんじゃ……!?」
と、マコトは疑心暗鬼になる。
「彼は嘘を吐いているようには見えなかった。だから、大丈夫だよ」
「そうやって、キミはさあ……よく毎回根拠のないことで他人を信じられるね」
それとも何だ。彼岸花には人の心が分かる性質でもあるというのか。マコトは呆れ半分でそのような考察をする。
「マコトさんは、人を信じることができないのですか……?」
マコトの言葉をを聞いたマリアは怪訝な顔をした。からくりが人間のことをそのように言うなどあり得ないと思ったのだろう。マコトは慌ててごまかそうとする。
「ええと、ほら、僕ってビビリだから……さ? ちょっとだけ周りが怖く見えちゃうっていうか」
自分で言っておきながら、本当に情けないものだと思う。未だに叶苗にビビリと言われたことが頭から離れないのだった。
一方、マリアは本気で納得している様子。聞き分けの良いからくりだと喜ぶべきなのか、彼女も元々マコトのことをビビリだと思っていたのかもしれないと考えるべきなのか。もし後者ならば、何とも言えない物悲しさが押し寄せることだろう。
「お三方、こっちこっち!」
マコトが何も言わず動けずにいると、塀の影から小さく叫ぶ声がした。
「あ、コシキ」
手招きをしながらこちらを覗いていたのは、顔で区別がつけ難いがおそらく00248こといたずらコシキだった。元々近辺で待機してもらっていたのだが、屋敷から出てきたマコトたちを見て迎えに来てくれたのだろう。
「どうでした? 上手くいきましたか?」
「えと……非常に言いにくいんだけど……」
途中までは順調に交渉が進んでいたこと。目的の彼岸花を目の前に、予想外の事態が起こったこと。そして追い出されてしまったこと。
それをコシキに伝えると、てっきりマコトはがっかりされるものだと思っていたのだが、コシキは悲しむどころかむしろ喜んでいた。
「どうしてマコトさんたちが謝るんですか! やりましたね、マコトさん!」
「ん、ん? どういうこと?」
これには流石のマコトも動揺を隠せない。
「今回のミッションは、丹波製薬に彼岸花を提供していただく、という契約を結ぶということです。契約とは約束なので、そちらの支社長さんが彼岸花を譲る、と仰ったのなら契約成立です! あとは彼からの連絡を待てば良いかと」
「……そ、そうなのぉ!?」
マコトは、というかヒイロとマリアも含めた三人は、彼岸花を回収して来なければならないと思い込んでいた。それがコシキの言う通りならば、わざわざ彼岸花を見に行って面倒事に巻き込まれるようなことをする必要はなかったのだ。ひどい脱力感が体にのしかかるような気がした。
「申し訳ございませぇん……私無能です……」
作戦を立案したマリアが今にも潰れそうになっている。
「いや、そもそも約束までこぎつけられたのはマリアさんのおかげだし。感謝してもしきれないくらいだよ」
「そうでしょうか……もっと褒めて……」
マリアは自身を卑下するたびにテンションが1くらい下がるとしても、一度褒めると2くらい上がる。上がってしまう。
「それじゃあ帰りましょー! 叶芽リーダーが待ってますよ!」
コシキは固有名詞をマリアに向けて言った。叶芽とは機械工学の専門のシキだったはずだ。からくりのマリアとは浅からぬ関わりがあるのだろう。マリアが偽名を使う際にカナメと名乗ったのもそれが理由のはずだ。
「うう……叶芽さま、怒りませんよね……?」
「そんなわけないじゃないですか。いっぱい褒めてくれますよ!」
コシキがそう答えても、マリアは浮かない顔のままだった。今回のこと以外に、何か心配事があるような表情だ。
マコトは不思議に思いつつ、四人はその場をあとにした。
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「────マリア!」
シキヤシキに帰ってすぐに、入口の近くである人物が待っていた。
始めに来たときに一度だけ見た、シキの一人である叶芽だ。やはり彼も花奏やコシキと同様の顔を持っている。
前回は他所者だからと良い扱いをされなかった記憶があるが、今回はマコトたちというよりマリアの心配をしていたようで、一直線に彼女の下へ駆け寄る。
「あ、叶芽さま……」
しかし当のマリアはどこかよそよそしい態度で返事をした。
「どうした? 何かあったのか?」
叶芽はマコトたちと接したときとは全く異なる、優しい声色で問いかける。にもかかわらずマリアは変わらずそれ以上の反応を示さない。
「な、なんでもありません……お気になさらず」
「お前たち、マリアに何かしたんじゃないだろうな?」
叶芽はぎろりと二人を睨む。マコトはマリアが何を気にしてそのような態度を取っているのか分からないので、何も言いようがなかった。
「マリアさんは、あのことを気にしているんじゃないのかな」
するとヒイロが言った。あのこととは一体何のことだろうか。
「もでる名ではなくて、個体名が欲しいとか、なんとか。そうだよね、マリアさん」
ああ、とマコトも思い出した。マリアは名前について悩みを抱いていた。個体名をもらえない自分に価値はない、と嘆いていた。
「い、良いんです! 叶芽さまのご迷惑になりますし……」
マリアは慌てて否定する。迷惑をかけるからと、今まで言い出せずにいたのだろう。
一方の叶芽はどんな反応を見せているのかというと、口をぽかんと開けて驚いている様子だ。
「名前が欲しかったのか?」
「いえ、その。地上ではからくりに名前を付けるのが一般的だと聞いたものでして、ですから私、気になってしまって……申し訳ございません、ご迷惑ですよね!」
慌てふためきながら説明するマリアの話を、叶芽は複雑な表情で聞いていた。
「迷惑なんて思ってないさ。ただ……」
叶芽はそこで言葉を止める。経験上、マリアはいつもならこの辺で自虐的なセリフを並べて背を丸くしてしまうところだが、それをせずに叶芽の言葉の続きを待っていた。
「……ただ。『マリア』がぴったりだと思ったんだ、俺は」
「…………それだけですか?」
「ああ。別の名前がいいなら、ちょっと待てよ。いま考えるから……」
そう言って叶芽はぶつぶつと候補の名前を挙げていく。
「だ、大丈夫です!」
「そうか?」
「はい。なんだか……ほっとしたようです」
マリアは胸を撫で下ろす。思ったより深い理由がなくて安心したのだろう。
「しかし……思っていたなら言ってくれれば良かったのに。俺は別に忙しくもないし、お前の話にならいくらでも付き合ってやるぞ」
「うう……だって……」
「お前はまずその性格を直さないとな。コシキたちともっと遊んで来い」
「わ、私子供じゃありません!」
マリアの心配も杞憂に終わった。彼女の表情も、ここに来るまでと比べて和らいでいた。
一部、叶芽の名前が叶苗になっていたので修正しました。紛らわしいことしてすみません(_ _;)




