遠路はるばる
最北にあるヤヌシア州に向かうには、数多くの貴族の領地と州ごとの関所を越えていく必要があった。
「なあ、カインの坊ちゃん」
ドワーフ族だと正体が露呈しないように分厚いフードをかぶったキプリオスのじいさんが、俺に小声で話しかけてきた。じいさんは馬に乗り慣れていない(馬に乗れるのは基本的に貴族以上)ので、馬に乗る俺にしがみついている。畜生、これがじいさんじゃなくてオリンピア嬢だったら俺はどれほどにウフフでムフフな思いが出来ただろうかと、そこだけは恨めしく思った。
「どうしたの?」
「ワシは……寒い所は嫌いじゃよ」
「……。うん」
「真っ先に……子供が凍えて死ぬんじゃ。次に老人、次に女、男は最後まで持ちこたえる……体がまだ頑丈に出来ておるからの。年老いた母親を、もうヤヌシアの何処に葬ったかも……ワシは覚えておらん」
「……」
酷い話だなんて他人事にしたくない。
かつての俺と何が違うって言うんだ?
この世界の1人1人に人生があって、一生分の物語がある。善であろうと悪であろうと、この世界にいる者それぞれが生きている。
その人生が終わる時にほんの少し人生を振り返って、生きてきて良かったと思えたならば。こんな人生なんて二度と嫌だ、生まれてくるんじゃなかったと俺のように絶望しないように。
「カインの坊ちゃん、もし引き返すなら……今なら間に合うぞい」
親切心と恐怖から、キプリオスのじいさんは俺を引き留めてくれた。
ありがとうな、じいさん。でももう手遅れだ。
「とうの昔に、僕は引き返せる地点を通り越しているよ」
『そうだ、俺達は……手遅れだ』
ヤヌシア州はフェブーラ州の真北にある。俺達がいよいよフェブーラ州に入って、そのままフェブーラ州の港からヤヌシア州の最南の港へ船で行こうとしていた時だった。
「レーフ公爵!お急ぎの所失礼する!」
『何だ?』
トロイゼン公爵家の跡取り、テミストクレス本人が俺達の止まっている役所の隣の館にすっ飛んできた。
「先ほどデルフィア侯爵から私宛に『翔鳥』が飛ばされてきました」
『翔鳥』とは魔法で構築された緊急用の伝書鳩みたいなものだ。俺達にとって、現状では最高の通信速度を誇っている。
「何の要件だったのですか!?」と慌てたように言いつつも、俺は既に分かっていた。
「オクタバ州への帰路で、何でも昨日に魔人族の襲撃を受けたようで……」
「お、オリンピア嬢は無事だったのですか!?」
俺はテミストクレスにすがりついた。
「落ち着いて下さい、全員がご無事だと書いてありました……ただ、手紙を奪われたと……」
「嘘だ……」俺は絶叫した。とても感情的に。「嘘だあああああああああああああああああっ!!!」
「し、失礼ながらどのような内容だったのでしょうか?」
「もう僕はお終いだ!折角ヤヌシアを立て直せると思ったのに!何で奪われてしまったんだ!どうしてあの手紙がよりにもよって魔人族の手に渡ってしまったんだ!必死に手配したのに!」
「レーフ公爵、どうか冷静に……」
「落ち着いてなんていられませんよ!トロイゼン公爵令息!……貴男も僕達、レーフ公爵家が『刀』を専売している事はご存知でいらっしゃるでしょう?」
「え、ええ。有名ですからね」
「僕は『刀』をヤヌシア州の各貴族や有力者へ配ってその心を掴もうと……500振を先に用意させてあったのです」
「何と!」
テミストクレスも青ざめた。
「オリンピア嬢を安心させようとして、あの手紙には陸路で……陸路でレーフ公爵領からヤヌシア州に密かにそれらを運ばせていた事も書いてあるのです……」
「現時点で、その運送隊は何処にいるのですか!?」
「今日、州都テーバーイにルキッラ総督宛てに到着するように……差配してありました」
「ぐぅ……!」
「魔人族の……エルフ族には『共感』と言う謎の力があって、どれほどの距離であろうと、情報をすぐさま伝達する事が可能だと聞いた事があります。もしも、デルフィア侯爵達を襲撃したのがエルフ族だったら……」
俺はテミストクレスにすがったまま、力を失って座り込んだ。
金塊をぎっしりと載せた船がいきなりの嵐に遭遇して、海の底に沈んでしまったようなものである。
いや、載っていたのがとても性能の良い武器である分、奪った敵に利用されてしまうから……余計に悪質だと言えるだろう。
「レーフ公爵……引き返すならば今しかありません。ヤヌシア州に入れば……これ以上の事が起きるでしょう」
テミストクレスは俺を慰めて止めてくれたが、俺は首を緩く横に振った。
「もう僕はしばらくオリンピア嬢の顔をまともには見られません……」
『ジン、貴様も中々の役者だな』
『だってここは味方を騙さないと敵が騙されてくれないだろ』
『まあ、それはそうだ』
『後は、オリンピア嬢が……俺達からの暗号に気付いてくれるのを少し待とう』




