デボラ、働き出す
サリナはデボラの姉の1人の嫁ぎ先である大貴族のカルス大公家に預けられて、今のところは落ち着いているらしい。だが時々マグヌスやデボラ、俺の名前を呼んで1人で謝りながら泣いている……そうだ。
こうなったらディーンが生まれてくるのを待つしかない……。
サリナの代わりとして召使いがデボラと俺に新しく付けて貰えた。俺の乳母として配属されたポンポニア、貧乏貴族の4男坊だが優秀な家庭教師のコンモドゥスだった。
確か、2人とも飢饉の時に流行った疫病で亡くなるので、これも何とかしなきゃいけない。
「まずは文字を覚えることから始めましょう」
コンモドゥスは2歳児でも楽しく覚えられるように、まず文字を書いたおはじきを持ってきてくれた。
「文字には2種類ございます。通常の読み書きに使われる太陽文字、そして魔法の詠唱に関して使われる太陰文字とございます。何故2種類あるかと申しますと、私達人間の使う文字が太陽文字、神々が使うお言葉が太陰文字だからです。魔法の詠唱は神々のお力を借りて行いますので、太陰文字を学ぶ必要があると言う訳です」
「ぼくがいまおはなししていることばがたいようもじで、まほうをつかうときにとなえることばがたいいんもじなんだね!」
「その通りでございます。まずは太陽文字を覚えることから始めましょう」
「えー、まほうをつかってみたーい!」
「それがですね、魔法の術式の解説書の大半は太陽文字で書かれております。ですので最初に太陽文字を覚えないと、使える魔法がごく僅かになってしまうのです」
「はーい」
まず文字を覚えてから、おはじきを並べて、簡単な単語を作って読んでみる。
「か・い・ん……これ、ぼく!ぼくのなまえ!」
「ではこちらはお分かりになりますか?」
「で……で・ぼ……あっ!おかあさまのおなまえ!」
「お見事でございます、ではこれは?」
「……ふ、……ふ・る……う・つ……わかった!フルーツ!ぼくフルーツのゼリーだいすきなんだよ!」
「美味しいですからね、ふふふ」
夢中になって遊んでいたら、フラヴィウス殿下が来ていた。デボラに話があるようだ。
「頼みがあるのだが……」
「何でしょう、皇太子殿下」
「実は、ファウスタ皇太后様のおわす西の離宮にお仕えする筆頭女官が急な病に倒れたのだ。命に障りは無いが、数年は休む必要があると宮廷医師は言っている」
「確か伯爵家以上の貴族令嬢で無ければ就くことが許されない職務でしたわね」
「そうだ。……君にやって貰えないだろうか」
「皇太子殿下のご下命とあらば謹んで……ただ、私には何の職務の経験もありません」
「知っている。しかし君は身分も能力も申し分ない。無論、嫉妬はあるだろうが……私は君のような有能な人材を放置しておくのは嫌なのだ」
「まあ。買いかぶりですわ。私は……」
俺はデボラに話しかけた。
「おかあさま、おしごとするの?!おかあさま、すごい!」
「まだ確定した訳じゃ……それに、カインを放っては……」
「ぼく、いいこにしているから、だいじょうぶ!かえってきたら、ぎゅーってして、ね?」
「カイン、無理をして良い子にならなくて良いのよ。カインはもう少しワガママになって良いの」
「でもでも、おかあさまはたらくのかっこいい!ガイウスさまやルキッラさまにじまんできるもん!」
「まあ」とデボラは笑った。「私のことを自慢してくれるのかしら?」
「うん!」
「それじゃ……やってみようかしら。フラヴィウス皇太子殿下、謹んで承ります」
……やはりと言うべきか、女の嫉妬とか足の引っ張り合いとか凄かったらしい。
でもデボラはケロッとしていて、あまりの嫌がらせ内容に不安がるポンポニアをなだめて、
「私はカインの自慢になるような母親になるのだもの。それにこの程度の嫌がらせなんて、レーフ公爵家に居た頃を思えば軽いものだわ」
滅茶苦茶に……強かだった。