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1.天国が落ちた世界 7節


新たな出会い。

自身の生活環境を大きく変える行為には、

大なり小なり緊張を伴う。


僕は、かつて無いほど緊張していた。

無理もないだろう……あれだけの事があった翌日早々、

知らない人たちに会わないといけないんだ。


そんな僕を他所に、炎理は扉を開け放った。

僕は覚悟を決めて炎理の後についていく。


「帰ったで!!」


炎理が扉を開けた先にあったのは、

外観に沿ったようなオシャレな木造空間だった。

炎理は靴のまま上がっていく。

僕たちもそれに倣って靴のまま上がり込む。


「し、失礼します……」


「なんやノリ暗いなぁ

帰ったで!!くらい言うてもええんやで?」


「初めてくる場所にそれはおかしいだろ」


「なんや……

ちゃんとツッコミ入れられるくらい余裕あるやんけ

心配して損やったわ」


炎理はニコニコしながら前へ振り戻る。

ひょっとして僕の事を気にしてくれていた……?


「おや、炎理さんおかえりなさい」


炎理の声に反応して、

少し奥の方からエプロンを着た男性が

1人出て来た。


男性は黒髪に赤い目をした

少しダークな雰囲気を纏ったイケメンで爽やかな感じの人だ。

何処か不似合いな可愛らしい青色のエプロンをしている。


エプロンには可愛らしいマメマルイルカの

フェルト刺繍が施されている。

その下に黒いスーツを着込んでいる。

背もかなり高い。185くらいはありそうだろうか……


少し話は逸れるが、マメマルイルカと言うのは、

猫や犬と人気を三分しているペットの一種だ。

イルカとは名ばかりに

丸みを帯びたボディにフワフワとした体毛が生えており、

その体長は15〜60センチくらい。

空中を泳ぐように動き回ってはいるけど

その原理は分かっていないらしい。


 


「新しく出来たラーメン屋さんの方は

どうでしたか?」


「げっ……あかん忘れとった……」


「そうでしたか……

ではまた今度にされる感じですかね?」


「せやな、コウくんも一緒に

ちょい落ち着いたらまた……って

今そないな話しとる場合とちゃうねん……」


炎理はこちら側に向き直り、男がこちらに気付いた。


「おや、貴方達は……ようこそ35小隊へ。

市川さんから話は伺っていますよ」


「コイツは 明日茂あすも こう

めっちゃ強いんやけど、天使でも契約者でもあらへん。

多分人や」


“多分”と言う曖昧なフレーズが気にはなったものの

僕はそれ以上にコウさんに確認したい事ができてしまった。



「炎理さん……はぁ、まぁ良いでしょう。

ご紹介に預かりました 明日茂 です。

皆んなからは コウくん

など、割と好きなように呼ばれています。

普段は雑用…料理や、掃除、洗濯など

やっていますので、ご用のある際はお気軽に。」


「あ、はっはじめまして!国堂 隆一郎 です!

こっちの背中で寝てるのが七白 靂 です。

それであの……変な事を聞くんですが

双葉ちゃんって、ご存知だったり?」


「ご存知も何も、コウくんが双葉の父ちゃんなんやけどな」


「…………えぇ?!」


僕は、炎理がくれた

少し予想外な答えに驚いた。

コウさんは見た感じ、大人っぽい雰囲気と色気こそあるものの

20代前半くらいにしか見えない。

7歳の娘がいると言う事は

……どんなに若くても20代後半〜30代である事は確実だ。


僕はてっきり、親族の娘とか

その辺りだと思っていたもんだから……

あんな目に遭わされて間も無く

父親に会う事になろうとは、夢にも思っていなかった。


「確かに、双葉と言うのは娘の名前ですね。

もしかしてここに来るまでに会われましたか?」


「会うたで。

しっかし、事情聞いた事無かったんで今聞くんやけど

何で双葉ちゃんは、あないやらしい店で働いとんの?」


「あー……その件ですか。

実は、私は反対してるんですよ。

でも、どうやらあの子はあの店が好きみたいで……

あの子が本気でやり始めると、

流石に我々では止められないんですよ」


「けったいな言い回しやな?」


「察して下さい……あの子は物凄く我が強くて

大人がどうこうしても、

決めた事はテコでも曲げないような子なんです……

私だって辞めさせようと動いた事が無かった訳じゃ

無いんですよ……全て無駄に終わりましたけど。

……まぁ、あの子の事なので

変な客に捕まって無理矢理襲われてしまうなんて事は

“絶対にありえない” とは思いますが、

親としてはそれでも心配事が尽きませんよ

と言うか、むしろあの子に捕まった客の方が……


…………待ってください?

さっき、双葉の名前を出しましたよね?

確かあの子は、気に入ったお客様にしか

名を名乗らないって聞いていたんですが……」


僕は、さっき双葉から貰った

“じこしょうかいかーど” を、コウさんに見せた。


「……これを持っているって事は、

娘がご迷惑をおかけしたって事ですね……

親として、代わりに謝罪させてください」


「いやいやそんな、頭を上げてください!!」


僕は、コウさんから謝罪を受けた。

これから関わっていく人が

どうやら良い人たちみたいで、僕は内心ほっとした。



「とりあえずその子、レキさんは

きちんとベッドで寝させてあげたいですね……

医務室にあるベッドでしたら

自由にお貸しできますので

僭越ながら、私が案内させて頂きます」


コウさんは丁寧に対応してくれた。

僕達はレキをベッドに寝かせると、

再びリビングまで戻って来た。


「あの、他の方々は?」


「あぁ、それでしたら地下の会議室に。

市川さんを交えて今後の方針等を話し合っていますね。

どうやら今は……あっ、いえ

やはり会議の内容について触れるのはやめておきましょう」


「“今は” ……?

もしかして、下の会話が聞こえてるんですか?!」


「ちゃうちゃう

コウくんは基本、特に意見とか言わんイエスマンなんよ。

せやから、こないして トランスレート・イヤホン を

共有モードにして会議内容聞きながら

うまいもん作ってくれとるっちゅうこっちゃ」



少しだけ話が脱線するけど

レベルは表向き、『Uni.』 と言う名前で

様々な商品を開発・売買しているらしい。


Uni. 僕でも聞いた事がある程の世界的に有名な会社だ。

ただ、本社位置から活動方針、社員雇用数など

全てが謎に包まれていたことから


考察系のOtuverの動画のネタや、都市伝説サイトの議題として度々色んな憶測が飛び交っていた。


……まぁ、まさか本社が異空間にあるだなんて

誰も思わなかっただろうけど。



その Uni. の名を世界に知らしめた革命的商品こそが

トランスレート・イヤホン だ。


トランスレート・イヤホンは、

言語を自動的に母国語へ変換して

誤差0.0002秒以内に翻訳文を耳へ届ける事ができるものだ。

完全な遮音機能と同時に、全ての音を切り分けて耳へ届け

曲と声を選別して、“会話による声” のみを

機械音声では無く、喋っている当人の声を利用して

流暢な母国語を話させた音声に変換する


と言う……とてつも無いものだ。

これにより、人類の異文化交流は飛躍的に進歩し

今となっては


世界規模で普及率80%を超えている。



コウさんはテーブルに三人分の

ホットサンドとカフェラテを並べた。


「とりあえず、お三方とも軽食でもどうです?

無理に、とは言いませんが」


「ウチ朝何も食えてへんから、

もっと持ってきて欲しいんやけど……」


「なるほど……分かりました。

何か要望はございますか?」


「ビフテキ!!!」


「承知しました」


コウさんはニコりと微笑むと、

巨大な冷蔵庫が七つ連なる厨房裏の食糧庫へ向かい

上質な牛肉を持ってくる。

びっしりと調味料の揃えられた棚から

幾つか調味料を取り出すと、手早く下処理を始めた。


(それにしてもこのホットサンド……めちゃくちゃ美味そう)


夜はどうか分からないけど、

僕は少なくとも朝食をとってきた。

だから、腹が空く訳が無い筈……だったのだが、

何故か腹に少しずつスペースが

生まれていっている事に気付いた。

食欲に歯止めが利かない。


食欲をそそる焦げ目のついた暖かいサンドウィッチは

ハムチーズ、ベーコンレタス、たまご、

そして……これはブルーベリージャムとクリーム……?

四つのホットサンドは丁寧にカットされ、

きれいに皿の上に並べられている。


皿のサイドを固めるように

色とりどりのプチトマトが彩っている。

……にしても何だこのトマト、紫色で星形をしている……

何をどうしたらこんな事になるんだ?


「これ……トマトなんですか?」


「ええ、少し特殊な品種でしてね

実はそれ、私が品種改良したものなんですよ」


「え……コウさんが?じ、じゃあこの形も?」


「いいえ。

トマトの形がそれぞれ違うのは、

このような型を実がなり始めた段階でつけるからですよ」


コウさんは調理を中断し、

エプロンのポケットから型を幾つか取り出した。


「なり始めにこんな感じの型を付けておくと

トマトはこの型通りの形になるんです。

可愛いでしょ?」


「へー……そんな事が……確かに可愛らしいですね」


コウさんは嬉しそうに

ニコニコしながら語っていた。


「野菜を育てる…と言うのは、まぁ言ってしまえば

地味で、地道で、土臭いものです。

ですが、そんな世間体ではつまらないものであっても、

一つの工夫で大きく結果が様変わりするんです。

野菜の色、艶、形…そして味。

これは全ては、野菜を育てた者の努力の証であり、

芸術なんですよ。

特に私はトマトが好きでしてね………


おっと、失礼。

炎理さん、ごめんなさいね

今作りますので、少しお待ちを……」


炎理は少し細い目でコウさんをじっと見ていた。

物凄い腹の虫を鳴らしながら………夜は僕たちに目も暮れず、

いつの間にか完食していた。

僕も食べるか……



コウさんお手製ホットサンドの味は、

一言で表すなら

『壊れている』とでも言うべきものだった。


勘違いしないで欲しい。これは褒め言葉だ。

最上の褒め言葉…最早、美味しいとか、

その括りではこの狂った旨みを表現出来ない。


壊れている……既存の食べ物の常識から

外れ過ぎている……旨い…美味い……!!!


トマトもまた一つ一つが、常識を覆す程のものだった。

色や形もさることながら、これは最早

“悪魔の味”だ

……人が口にしてはいけないものを食べているような

そんな感覚にさえ陥る。

あっという間に色とりどりなトマトたちと

3つのホットサンドが胃袋に収まる。


かなりボリュームがあった筈なのに

どうしてこんな……我ながら驚いた。

そして、最後の一つ……フルーツサンドと

思われるものを口に運んだ。


(何だこれ……甘さの中に酸味が閉じ込められている

……のに、しつこくない!

ジャムを食べている筈なのにあっさりしてる…

というか、何これ美味すぎる

……さっきの3つがまるで児戯に等しい程美味い……)


圧倒的な旨味……黄金比をも超えた味の調和を前に、

ただただ言葉を失った。


「気に入ってもらえましたか?」


コウさんはビフテキを炎理の前に置くと、自身も着席した。


「こ、これ何ですか……?

素人舌でも分かる……もうこれは人が作れる味じゃ無い……

美味すぎて涙が出そうです」


「そうですか、喜んで頂けたようで嬉しいです。

これは、イチゴ、ブルーベリー、パイナップルにリンゴ。

アクセントに山椒等……

そして、紫色のトマトが入ったジャムなんです!

こちらのクリームは、味がしつこくならないようにまとめ上げる為に0から素材を吟味したもので…………」


コウさんは目をキラキラさせながら語り始めた。


どうやらここ、オランデーズグラウンドには

酪農から農業、魚類等の養殖施設まで存在するらしい。

予め土地の使用申請を出し、借りる事で

自由に施設を使う事ができる。

コウさんはレベル内でも屈指のこだわり派らしく

酪農施設、農業施設、養殖施設などの

食品関連施設を各1割ずつ借り持っている。


そうして産出した食品は他のメンバーにも

度々分けているらしい。

何より、地下への入口になっていたあの店は

どうやらコウさんの持ち店らしく

週に一度だけ“長蛇の列を成すレストラン”と化し

その日の売り上げだけで黒字に導いているらしい。


そりゃそうだ……ホットサンド一つで

ここまで圧倒的な技術の塊を見せられては、

普段から家庭料理をする者の1人として

感服せざるを得ない。


「そう言えば、このホットサンドって

下で会議している人たちの分だったのでは?」


夜がコウさんに質問する。


「確かに、それは元々

その目的で作ったものではありましたが、

既に代わりを作って保温装置に入れてありますので

何の問題もありませんよ」


「それは良かった……私、コウさんの料理好きなんです」


「ありがとうございます」


「ごちそうさん!!いやぁ……美味かったわ」


炎理は腹を膨れさせながら爪楊枝で歯の間を突く。

顔くらいの大きさはあった

あのステーキがよくもまぁこの小さな身体に収まったものだ。


「おや、そろそろ皆さん上がってくるみたいですね……」


コウさんはこちらに目配せをする。

炎理は意図を察して、こちらに教えてくれた。

コウさんはそのまま地下へ通じる階段へ向かい、

降りて行った。

しばらくすると、下の方から話し声と激しい足音がし、

そして………



「りょうちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」


「ふべぁ?!!」


激しい足音の主が、勢いよく僕の腹にタックルして来た。

この“間違った”呼び方……それに、特徴的なピンク色の髪

……これって?!


「嘘……巴ねぇ?! 」



紫城しじょう ともえ

……いや、僕と土奈にとっては3つ年上の

“姉”と呼ぶに等しい存在だ。


巴ねぇとの間に血の繋がりは無い。

本当の両親は土奈を産んですぐに

失踪してしまい、現在に至るまで行方不明のままだ。

その時、母の姉であった 

紫城しじょう 麻理まりが、僕たちを養子に迎えてくれたのだ。


だから、育ちの上で巴ねぇは“義理の姉”にあたる。


だけど、巴ねぇは10年前に

当時仲の良かった男友達と共に行方不明になっていた。


行方不明者は行方不明になってから7年が経過した場合、

又は 事故や災害、戦争などに巻き込まれた事により

行方不明になったまま1年が経過した場合

死亡者扱いになる事はご存知だろうか?


巴ねぇたちは、後者に該当した。


当時の事は、よく覚えている。

葬式の日はあまりにも深い絶望感を覚えて

土奈と一緒に泣き崩れたのは

そう簡単に忘れられるものでは無い。



「巴ネェ?!本当に巴ネェなの?!!」


「うん!!うん!!ごめんねりょうちゃん!!

今まで連絡も取れなくてごめんね……寂しかったよね

……辛かったよね……!!」


巴ねぇの目には涙が……その様子を見て思わず、

僕の涙腺まで壊れ始める。


心配しなかった日なんて無い。

後悔しなかった日なんて無い。

どんなに辛かったか……もう考えたくも無い。


育ての親は、2人とも

名も知らない天使に殺されてしまった。

だから僕たちは、小学生にして社会に放り出されてしまった。

偶々、育ての親であった麻里は

非常時に備えて、かなり蓄えてくれていた。

それに、国からの援助……そして、すぐ見つかったバイト。


これらがあったお陰で僕たちは辛うじて、生活できていた。


だからと言って、僕たちに残る心の傷は浅く無い。

抑えていたものの歯止めがどんどん利かなくなる。

そこに、更に上から僕たちを

優しく包むように抱擁してきた人物がいた。


よく知っていた人だ……そう。

巴ねぇの男友達で、僕たち兄妹にとって“兄”同然だった人……

あの葬式を最後に、離れ離れになってしまった大事な人だ。


「かずに゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!!!」


「隆一郎!!! お前大きくなったな!!!

ごめんな!! こんな……こんな大きくなるまで!!」


桶狭間 和希 (おけはざま かずき)

巴ねぇと同い年で、かつて隣に住んでいた友達

……いや、『兄貴』だ。


よく見ると、かずにぃの頭上に

3枚の天使の輪が浮いているのがうっすらと見えた。

僕はこの時、この2人の間に起きた事の

断片に触れたような気分になった。


死んだと思っていた2人は、ちゃんと生きていた。

嬉しくて……安心して……涙が止まらなかった。

2人は僕にごめんと何度も謝った。


……不意に力が抜ける。


「おっと……!!

おい隆一郎?! しっかりしろ!!」


「君たちを見て、緊張の糸が切れちゃったんじゃ無いかな?」


「リーダー……すいません

つい抑え切れなくなってしまって」


「いや、大丈夫だよ

妹を失った身として、気持ちはよく分かるからね……」


(あれ……誰の声だ…………ろ………………)


微かに残る意識の中で、知らない声を聞いた。


「とりあえずその子は医務室まで運んであげないとね。

昨日何があったのか、聞いただけで

同情を覚えるくらいのハードな1日だったようだし

少し休ませてあげよう。


ようこそ、国堂 隆一郎くん。

君がこの場所で、かけがえの無いものを得られる事を

切に願っているよ」




目が覚めると、目の前は白いもので覆われていた。

それにはゴワゴワとした感触があり、

手で取り除く事が出来た。

濡れたタオルだ。

……何故こんなものを目元に?

などと考えたが、不思議な事に目がとても軽く感じられた。


改めて上を見つめる態勢になった僕の目の前には

既視感はあるけど何処なのか分からない天井が現れた。

ようやく、自身が気を失いように眠っていた事に気付いた僕は

ゆっくりと上体を起こした。


「お、大丈夫か隆一郎」


声がした右手側を見ると、

かずにぃと巴ねぇが心配そうにこちらを見ていた。


「僕、どのくらい眠ってた?」


「1時間ってとこだ。

詳しい事は分からないけど、断片的な事情なら

市川さんから聞いてたからな……

大変だったな」


「あはは……ごめん、今起きるから」


「おっとと……りょうちゃん無理してない?

大丈夫?」


巴ねぇが立とうとする僕を支えようとしてくれたが

僕は大丈夫だと、左手を胸の辺りまで挙げて静止した。

巴ねぇはややおどおどしながらも

僕からのハンドサインを見て

瞬時にその意味を理解してくれた。


「国堂さん、おはようございます。

本日は朝早くからこちらまで来てくださり

ありがとうございます」


「あっ市川さん

おはようございます……いきなり倒れちゃったみたいで

ご迷惑をおかけしました」


「いえ、昨日はとても大変な1日でしたから

精神的な疲れが残っていてもおかしくは無いと思います。

そのような状態でいきなり初任務を与えるのは

やはり酷ですね……」


「いやいや、そんな事は無いです。

身体はちゃんと動くので……行かせてください。

1日でも早く、この組織の一員として

役に立ちたいんです」


「そう言って頂けると有難いです。

では……その言葉に甘えさせてもらいますね

ただ、あまり無茶はしないでください」


右手側ばかりに気を取られていたので

左手側に市川さんがいる事に気づかなかった……

よく見ると、市川さんの横にもう1人誰か座っている。


綺麗な金髪の少年だ。

ただ……その雰囲気は何処か大人びていて

不思議な感じだ。


「こちらは、35小隊の小隊長を務めている

レヴ・アマデウス さんです」


「初めまして

ぼくは レヴ・アマデウス

イチカワさんからの紹介にあった通り、

こう見えて、35小隊の小隊長をさせて貰っているんだ。

これからよろしくね」


「国堂 隆一郎 です!

こちらこそ、よろしくお願いします」


僕は、レヴさんと握手を交わした。

一回り小さな手だったけど、その掌は少しゴツゴツしていた。

このご時世だ……綺麗な手の人なんて

むしろ珍しいくらいなんだけど

レヴさんは手のケアを欠かさない人なんだろうか?

少し豆は出来ているもののとても綺麗な手をしている。


それにしても……この名前、どこかで…………




「ねえ、りょうちゃんが起きたら聞こうと思ってたんだけどさ

こっちで寝てるこの子って誰なの?」


巴ねぇは、僕が寝ていたベッドの向かい側にあるベッドを

指差した。

そこには、可愛らしく寝息を立てているレキがいた。


「七白 レキ 僕と契約してる天使の1人だけど」


「ふーん……」


巴ねぇは楽しそうに嫌な笑みを浮かべると

レキの方へ近づいていき……そして

レキの右胸を触った。


「は?」


「この子、全然起きないんだけど大丈夫なn

ぐえぁッ?!」


その様子を見兼ねた

かずにぃが素早く巴ねぇの背後にまわり

レキから巴ねぇを引き剥がした。


「巴ッ……!!!

このバカ何やってんだお前は!!!!」


「だってあの子可愛いじゃん!!!

気になるじゃん!!!」


「気になるからって

やって良いことの限度を考えてくれ頼むから!!!!!」



かずにぃは力づくで巴ねぇを引っ張り

医務室のドアまで辿り着くと


「すまんリーダー……!

こいつ連れて帰るから、先に上で待ってるぞ!!

ちょっ……おいコラ暴れるな!!」


などと言いながらその場を去って行った。


「全く……許してやって欲しい

トモエは、君がこの小隊に来るって聞いてから

ずっとあの調子なんだ

まぁ……可愛らしいものに対して

異常なまでに反応するのは

元々なんだけどね……」


「許すも何も、こうしてまた

元気な巴ねぇが見られて嬉しいんです。

まぁ、あのレキの事なので

このくらいじゃ怒りませんよ。

……ちょっとだけ、可愛いもの好きの性格が

僕が知らない方向に……

変な方向に拍車かかってる気はしますが……」


「ははは……」


かずにぃが巴ねぇの暴走を抑えながら

医務室から出ていった3秒後、再び医務室の扉が開いた。


扉を開け放ったのは、炎理だった。

炎理は片腕に小さい鉄製の桶を抱えている。

……よく見ると、桶から湯気のようなものが立ち昇っている。

桶の中にはお湯が張られており、白いタオルが沈んでいる。


……なるほど、簡易的なホットアイマスクか。

やけに目が軽く感じる訳だ。


「お? なんやあんちゃん

ウチが水変えとる間に目ェ覚ましおったんか?!」


「もしかして……心配してくれたのか?」


「当たり前やないか!

ウチの契約者やのうても目の前でいきなり倒れおったら

誰でも心配するに決まっとるやんけ!!」


「それもそうか……ごめん」


「ん? ごめん待って?

なんか“契約者” とか聞こえたけど?」


「あ」


顔は笑ってるけど、多分さっぱり笑ってないレヴさんは

炎理の方へ感情の込められていない笑顔を向けた。

……これは後で知った事なんだけど

これまで炎理は頑なに契約を拒み続けていたらしく

自分から “契約” なんて単語を

使いたがるような性格では無かったらしい。


何故僕と行きずりの勢いでそのまま契約を結んだのかは

どうやら本人自身もあまりよく分かっていないらしく

契約者は探していたものの、僕を見た途端


『あのにいちゃんがえぇな』


と、直感したらしい……よく分からない。


炎理は気不味そうにレヴから距離を取ると

辿々しく経緯を語り出した。



「全く……まさか、炎理がそんな勝手をはたらいていたとはね」


「せやから謝っとるやんけ!」


「はぁ……ぼくでも軽く倒れそうになるくらいには驚いたんだ。

隊員たちの反応が今から楽しみだよ……」


炎理の事情を聞いた一行は、

他の小隊メンバーが待つ部屋へと向かいつつ

雑談を繰り広げた。

そうこうしているうちに、部屋にはあっという間に着いた。

その部屋は簡素な作りだったが、

多少の飾り付けが成されており

歓迎モード一色だった。

大きな円卓を取り囲うように、市川さんと

残りの小隊メンバーが座って待っていた。


「……あれ? 黒橋は??」


「夜ねえちゃんなら、

あんたがぶっ倒れたショックで気絶して

あの綺麗なねえちゃんの隣で寝かされてるぞ」


答えてくれたのは、メイド服を着た男の子だった。

やや小麦色に焦げた肌に、長い黒髪のウィッグ

水色の目が特徴的な変わった少年だ。

その可愛らしい外見とは反対に

荒い口調と、行儀の悪い座り方をしており

短めのスカートから少しだけ下着が見えそうになっている。


僕が少し目を逸らすと、自分の状況に気付いたのか

少年はすぐに足を閉じた。


「な、なな何見てんだお前?!!」


少年は赤面したまま立ち上がったが

眠そうにしながら隣に座っていた女性に抑えられた。


「自業自得」


「うっ……いや、いやいや

そもそもこれ着てんの自体お前の趣味だろ

おれのせいじゃ……」


「自業自得」


「うぅ…………」


少年は反撃するのも馬鹿馬鹿しくなったのか

そのまま席に戻り、沈黙した。

その様子を隣で見ていた女性は

何食わぬ顔で席に戻ると

……アイマスクを付けて静かになってしまった。


(な、何だこの個性派集団……)


僕は自分の席まで案内された。

見知った顔は6人いる。

巴ねぇ、かずにぃ、市川さん、レヴさん、コウさん

そして……炎理

この場にいる半数以上が既に知った顔だった。



「さて、夜ちゃんは仕方ないとして

ようやく揃ったね

とりあえず改めて各々自己紹介をしていこうと思う。

……と言っても、

イチカワさんの紹介は流石に必要無いと思うので

イチカワさんを除いて、

ぼくから時計回りに自己紹介をしていき、最後が君だ。

質問は後で……と言う形式で大丈夫かな?」


異議を唱える者はいない。

どうやら、僕が最後に自己紹介をする流れみたいだ。


「じゃあまずはぼくからだね。

僕はレヴ・アマデウス

さっきも軽く紹介した通り、小隊長を務めさせて貰っている。

……こう見えて、ちゃんと成人してるから

例えぼくがお酒を飲んでいても、止めないでくれよ?」


何かしれっと耳を疑うようなことを言われた気がしたが

場は止まること無く、次の人物へと主導権が渡された

……かに思えたが、レヴさんの隣に座っている人物は

ニコニコと笑うばかりで喋る気配が無い。


「こちらはハルモニア

“天国落とし” の時に記憶と喉をやられてしまった影響で

声が出ないんだ。

だから、代わりにぼくから紹介させてもらうね」


ハルモニアの代わりに、レヴさんが彼女の紹介を始めた。

ハルモニアは白いもふもふとした髪が特徴的な

笑顔の可愛い人だ。

青い目の中に、白い光の束が渦を巻いているように見える

とても綺麗な瞳をしている。


「ハルモニアは、ぼくと契約している天使だ。

少し特殊な能力が使える代わりに……

ぼく共々、ほとんど戦闘力は無いんだ。


ちなみに、ハルモニアはSNSを介した筆談ならできる。

こう見えて彼女、結構おしゃべりだから

良かったら暇な時にでも相手をしてあげてね」


ハルモニアはぺこりと一礼すると、

僕に名刺のようなサイズ感のカードを手渡した。

QRコードが刻まれている。


僕はすぐに意味を理解すると、スマホを取り出して

QRコードを読み取る。

それに合わせてハルモニアもスマホを取り出した。


友達登録を済ませると、SNS上でお互いに

挨拶を交わし

スマホをしまった。


「次は俺だな。

当然、お前は俺の……いや、俺たちの事は知っているだろうが

何せ、空白の時間が長すぎた。

だから隆一郎には、今の俺たちを見てもらいたい。

このまま、巴の分まで自己紹介を進めてしまうが


俺は 桶狭間 和希 こっちは 紫城 巴 だ。

色々あって俺は3枚輪の天使になっちまってな

今は、巴の彼氏兼契約天使って事で

この35小隊に身を置いている。

巴共々、前線で敵勢力と直接対峙するのが

この小隊における役割だ」


かずにぃは自分たちの簡単な紹介を済ませた。

巴ねぇはと言うと……動けないように

鋼鉄の鎖でミノムシのようにされており

口にはガムテープが貼られている状態で

椅子に固定されていた。

何かモゴモゴ言ってはいるものの聞き取れそうに無い。


そんな異常な状況にも関わらず、

誰1人としてそれを気にする様子さえ見せる事なく

自己紹介は進行した。


次はさっき場を収めてくれた

アイマスクをした女性の番だったんだけど

……一向に喋る気配が無い。

すると、隣に座っていた先ほどの少年が

女性の口元に耳を近づけた


「……寝てやがる」


「あー……やっぱり寝てたんだね」


「え?! この状況で?!」


隣では巴ねぇが、かなり音を立てて暴れている。

この状況で女性は

我関せずとでも言いたげな様子で堂々と寝ていた。


「すまないナット

彼女の紹介を頼めるかな?」


「はぁ……まぁ、リーダーがそう言うなら

従いますけど……このバカには後で説教だな」


レヴさんから指示を受けて、女装少年が立ち上がった。

女装少年は面倒臭そうに頭を掻きながら

何やら小言を呟いた。


「あー……とりあえず、おれも

和希にいちゃんと同じように

2人分紹介していくぞ。


おれは ナット・ブルー 偽名だ」


「は?」


唐突な偽名宣言に、思わず声が漏れた。


「……訳あって、本名を明かせない身なんだよ。

んで、そこで寝てるのがスイム

とにかくよく寝るから、用がある時は叩き起こせ。

スイムもハルモニアねえちゃんと同じように

記憶が無いみたいだから、過去の話題は避けてやれよ。


おれは、スイムと契約している天使で

このバカと一緒に遠距離狙撃と索敵を担当してる。

おれからは以上だ」


スイムは少し機嫌が悪そうだったけど、

何処か世話焼きな雰囲気のある変わった少年だ。

……もしかしてこの子も

見た目通りの年齢では無いのだろうか……

何故偽名を名乗る必要が?

そもそも、その格好は何なんだ??


謎は深まるばかりだが、今は自己紹介の途中だ。

やはりこの謎を解消するには、

後でナット自身に聞くしか無い。


「次は私ですが、先程自己紹介は済ませてしまったので

簡単に名乗り直しますね。

私は 明日茂 コウ です

娘の双葉共々、よろしくお願いします」


正直、もう娘さんとはよろしくしたくありません……

などとは、当たり前だけど口が裂けても言えない。


コウさんは静かに着席すると、バトンを引き継ぐように

隣に座っているセーラー服の女性に目で合図を送った。


「えっと……とうとうあたしの番ですか……

あ、あたしは 平田 ゆこ ……です。

一応……天使、です。

えと……元々は地下アイドルだったんですが

あ、ある天使に助けられて……それで……」


ゆこは大きな深呼吸を挟んだ。


「あ、あんまり力は強くないから

非戦闘員なんですが

よ、よろしくお願いします!!」


ゆこは恥ずかしそうに急いで着席すると

荒れた息を整えるように深呼吸を繰り返した。

……喋るのはあんまり得意な人では無いんだろうか?

でもさっき地下アイドルだったって……

よく分からないので、深く考えるのはやめた。


「んで、次がウチやな

ウチは……」


「待った」


突然、レヴさんが待ったをかけた。


「な、何やいきなり……」


「エンリ、君は自己紹介より先に

僕たちに報告しないといけない事がある筈だよね?」


「せやけど……そんなら ゆこ かて

おんなじやて」


「……ユコは一応、非戦闘員と言う形で

35小隊に派遣されているんだよ

戦闘員である君とは

契約の重要度からして大きく異なるんだ

……それに、こればっかりは小隊から

正式な謝罪の場を設けたいんだ」


「…………うぅ」


炎理は、観念したようだ。

僕と契約した事を包み隠さず報告した。

隊の皆んなは、最初こそ腰を抜かす程驚いていた。

……正直、そんなに驚く事かとも思ったが


どうやら、今までの炎理は

契約に対しての拒絶が強すぎて

誰もその話題に触れる事すら無かったらしい。


そんな炎理が、隊員の気も知らずに

しれっと契約して来たと言うのだから

……そりゃ驚く訳だ。



炎理と僕の自己紹介もつつがなく終わった。

その後、これからの方針や

僕が今使える力の開示、それに加えて

隊員達が使える能力についても簡単に教わった。


レヴさんとハルモニアは、味方の支援や

敵戦力の弱体化などに適した能力らしい。


巴ねぇとかずにぃは、目立った能力が無い代わりに

異常な程に身体能力が高い。


コウさんは……よく分からなかった。


スイムさんとナットは、

気配をコントロールできる能力を持っているので

潜伏して、ライフルで攻撃するのが

基本的な戦闘スタイルみたいだ。


そして、ゆこは

薬品や毒、爆薬なんかが作れる

素材を生み出せる能力を持っている。

これらの素材を使ってアイテムの生成をして

それらを使い分ける事で

隊の戦闘支援をするのがゆこの役割だ。


最後に炎理だ。

能力は火に関係するものらしい。

ただ……本来、契約には対価が必要になる。

対価を設定しておく事で、僕は能力発動のリスクを

対価のみにすることが可能になる訳だ。


そして、対価を設定するのは契約した天使だ。

これは後から知った事だけど、

契約時、もしくは儀式行為から20秒以内に

天使側が対価の提示を行わない場合

対価は定着しないのだとか……


つまり、炎理の能力を使えるようにする為に

どうやら僕はまたこの子と……やらなくちゃいけないらしい。

本当に勘弁して欲しい。

僕はこんな展開望んでいない……ただ、

最寄と平和な日々が送れたらそれで良かったんだ……



ちなみに後日、隊の全員と連絡先を交換して

友達登録をしたので

ナットへ気になった事を全て聞いてみた。



【以下、SNS上でのやり取りを抜粋】


『幾つか質問したい事があるんだけど、良いかな?』


『俺に?』


『そうそう』


『分かった。 何だ?』


『まず、何で偽名なの?』


『教えられないし、

誰にも教えるつもりは無い

少なくとも今は誰にも』


『知ってる人はいるの?』


『口止めしてるから聞いても無駄だぞ』


『じゃあ、年齢は?』


『12だけど、何で?』


『そっか……いや、自分の身の回りに

年齢通りの外見してない人が多すぎて』


『なるほど

それで一応確認したのか』


『じゃあこれ最後』


『?

何だ?

早く質問して来い?

おい?

どうした?』


『ごめんごめん、トイレ行ってた』


『…………』


『何でメイド服着てるの?』


『スイムの趣味。

俺自身、罪として受け入れてる部分はあるけど、

可愛くて似合ってるからって理由で

あのバカに着せられたのが最初』


『なるほど。

ありがとう』



【会話はここで途切れている】



と、まぁ……残念ながら

特に有益な情報は得られなかった。


少し話が逸れたので、本題に戻すが

自己紹介と能力紹介、方針決めを終わらせた後


僕たちは、要点をまとめて

昨晩からここに来るまでに起きた物事を説明した。

簡単な話は、市川さんから聞いていたと言う話だったけど

詳細な意見はやはり必要だろう。


レヴさんはホワイトボードにまとめて

時系列を整えると

何かを考え込むようにしばらく立っていた。



ここで、レヴは……ある事実に気付きかけていた。

だが、気のせいだと判断したのか

結局、その場で重要な事実が出てくるなんて事は

無かった。




「ここが…パリ?」


フランスの首都、パリ。

突然だけど、僕たちは今

かつてパリと呼ばれていた砂の世界にいる。


「そうだよ。10年前までは

ここに沢山の人たちが暮らしていた

大きな都市があったんだ……

それも今となっては跡形も無い」


レヴさんが暗い面持ちでそう答えた。

話し合いの後、僕は

レキと夜を置いて初任務に駆り出された。

昨日帰る時に使った転送装置で

パリまで転移して来たのだが……


現在のパリは、人は1人として住んでいない。

強力な異形型の天使がうろつく

地獄のような場所へと様変わりしていた。


今回の任務は、僕の初陣ということもあって

“異形型天使を数体討伐する”

というものだった。


「パリに来たメンバーはね、必ずこの光景……いや、

絶望を肌で感じる事になるんだ。

さて、隆一郎くん

今、ぼく達が立っているのは何の上だと思う?」


レヴさんは奇妙な質問をこちらにして来た。


「かつて都市があった場所?」


「それも正解だ……でも、正確じゃない。

よく見て欲しい。

この地形、不自然だと思わないか?」


言われてみればそうだ。

僕たちが立っているのはかなり緩い傾斜の谷底だが、

遥か地平まで特に曲がったりする様子もなく

真っ直ぐ、大地に切れ目が入っているかのようだ。


「これ、自然にこうなったわけじゃ無いですよね……?」


「……」


レヴは少し黙り込む。

そして、大きく深呼吸をすると

暗いトーンで信じられない事をを言い放った。


「これはね、

おわりの天使 が残した “小指の爪痕”だよ。

この谷より深いのがまだ四つ連なっているのさ……」


「爪痕……?! これが?!

こんな…………いやいや、あり得ないでしょ

幾ら何でも出鱈目過ぎる」


自然と声が震える。

おわりの天使の目撃例は僅かしか無いものの、

共通して


『小学生くらいの背丈』


だと言う話だった。

ならば、こんな大地を裂く程の

爪痕をどうやって残したと言うのか……

考えたくはないが、可能性はほぼひとつしか無い。


風圧だ。


腕を振った時に生じたただの風圧。

そんな些細なもので、パリは跡形も無く

世界地図から消された……と言う事になる。


そんな馬鹿な話があってたまるか。

レベルという組織が如何に無謀な存在を

相手にしようとしているのかを心の底から痛感する。


こんなもの……勝てる訳が無い




“小指谷”と呼ばれる天使たちの楽園は、

縦29キロメートル、幅は最長 8キロメートル、

深さは最深750メートルにもなる。

谷というより、穏やかな傾斜の終着点って感じだ。


谷は全部で5つあり

親指へ向かう程深度が上がっていく。

それに伴うように

何故か、より危険な天使が棲みついていると言う。


特に親指谷は、3枚輪の異形型で溢れ

最早終末世界の縮図と化している。


異形型の天使は、天人型の天使と比べて

身体能力と天技の強度のみなら圧倒的に強い。


輪の数は同じでも、その能力は

輪1つ分以上の大差があるとまで言われているらしい。


知性が無い分異形型の天使は小回りが出来ない。

つまり、単調な行動しかとらないものの

全てがオーバーアクションであり、

無尽蔵に暴れ回るため

優秀な小隊が出動し、対処する必要がある。


その代わりに特殊な能力は単純なものが多いらしい。

……それでも、脅威である事には変わりない。



「さて……まず君には、ぼくたちの実力を見てもらいたい。

あそこに、2枚輪の異形型が5体いるね

あれをぼく達が倒すところを見ていてくれ」


「見ているだけですか?」


「そうだよ。

まずは何より、お互いの実力を知るのが大事だからね

君は確かに強い。

恐らく、その戦闘力は……レベルにおいて

単騎で小隊規模にも匹敵するだろう

でも、これはあくまで憶測の話さ。

それに、君だってぼく達の能力や実力は

気になるんじゃ無いのかな?」


反論の余地は無かった。


「さて、行くよ皆んな!!」


「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」


35小隊が戦闘態勢に入った。

巴ねぇとかずにぃ、コウさんは

ものすごい勢いで異形の天使めがけて突進して行った。


ゆこさんは後方で待機している。

スイムさんとナットの姿が見えない……潜伏したのか?


そして、ゆこさんの更に後方で

レヴさんが指揮棒を手に取って構えた。


「さぁやろうか……作戦開始だ!!」


レヴさんが指揮棒を振り上げると、

何処からか壮大なオーケストラが流れ始めた。

その傍らからハルモニアが歌を奏でた。


歌を奏でると言っても、口は開いていない。

何処から出ているのかは分からないけど

美しい歌声を空気に震わせている。


これこそが、レヴさん達の能力だ。

ハルモニアの能力は特別で、契約者は

ハルモニアとは異なる能力を得る事になる。

まさに『指揮者』とでも表現できる力だ。


場をコントロールし、的確な指示を味方へ送り

敵の行動を大きく阻害しつつ

味方の行動を最大限強く発揮させる事ができる。


そして、ハルモニアが奏でる“歌”が

更に異形の天使を苦しめ、

隊全体を鼓舞しているように感じる。


かずにぃと巴ねぇは、確実に急所を突いて

一体ずつ確実に仕留めている。


他の個体が2人を襲わないようにコウさんが攻撃を防ぎ、

隠れているスナイパー2人が

すかさず追撃して、距離を稼いでいる。


凄い連携だ……あっという間に異形の天使5体は

倒されてしまった。


「凄い……これが、35小隊の実力」


誰1人として負傷者を出さないまま、

その場の戦闘は3分でケリがついてしまった。


特に驚くべきなのはレヴさんの力だ。

分かりづらいが、恐ろしいと思える程強力な力だ。

この人たちの前なら、もしかしたら……

安心して土奈を……




「次は隆一郎くんの

“本来”の実力を一度見せて欲しい。

一度だけ、異形型を1人で相手してもらうよ」


「え?1人で??」


「大丈夫だよりょうちゃん!

危なくなったら助けに入るし、何より……

さっき見せてくれた“天技”があれば、大丈夫!!」


「巴ねぇ……相変わらずその

根拠の無い自信はどっから来るの」



炎理との契約の際、僕は何げ無い記憶と共に

“天技”の使い方を思い出した。

記憶を失う前の僕はやはり、天技を使えたのだ。


僕は一度、みんなの前で天技を使ってみせた。

反応はそれぞれ差異はあったものの

最終的に、僕の評価は

“貴重な戦力”として収まった。



「8時の方向、距離……400mくらいかな?

2枚輪が1体いるよ」


「さて、お手並み拝見だね」



僕は、一度だけ全力を出す事を許可された。

相手は異形型の天使。

直近まで来ると、その不気味は形が鮮明に映った。


体長は4メートル程度で全体的に赤黒い。

顔や胴体と言ったものは無く、

目や手の数も滅茶苦茶な四角い肉の塊が浮いている。

その体には歪な升目が引かれていて

それぞれの面に必ず右目と左手のみが生えている。


見ただけで生理的悪寒がする程に

気味の悪い生物がそこにはいた。


異形の肉塊は、僕に気付くと態度を豹変させた。

各面のうちそれぞれ一箇所を口に変質させ、

狂ったように奇声をあげた。


(来る!!!)


震える手にぐっと力を入れる。

僕は全ての身体能力を解放した。

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