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あれから聖アレッシス修道院に着いた私は修道女達に温かく迎え入れられていた。
しかも、彼女達はありがたいことにこちらの事を覚えていてくれて……
ただし、その事が今の私の首を絞めてしまう可能性があるため、彼女達には事情を伏せながら今後はリリスとして扱ってもらうように頼んだが。
リリスの噂を知っていた修道女の一人が事情を察し、本部の聖アレッシス会へ真相を調べてもらうよう嘆願すると言い出すのを止めながら。
何しろ、王家の執政を既にやり始めているトラン様には迷惑をかけてしまうし、ハートラル伯爵家に私の居場所は既にないので解決したところで意味はないから。
たとえ、どんなに上手くいったとしても——と、私はなんとか嘆願するのを思い止まってもらう。
そして、今はあてがわれた部屋の窓から見える星空を見て一息を。
今日は本当に疲れたわ……
心からそう思いながら。
そして、しばらくしたら横になろうとも。
ただ、そう思った直後に私は椅子からすぐに立ち上がってしまったが。ノックをし、お湯を入れた桶とタオルを持ってきた修道長を迎えいれるために。
「今はアイリスさんで良いわよね。体を拭くものを持ってきたわ。さあ、私が背中を拭いてあげますよ」
そして、そう言ってくる彼女に感謝しながら首を横に振りも。
「いいえ、私一人で全てできますので」
何しろ言葉通りに全て一人でできるので。それなりの領地を持つ伯爵家の令嬢でも。
修道長はそのことに一瞬驚いた表情を浮かべたが。
「……そう。じゃあ、私は戻りますね」
何かを察しながら出ていかれも——と、私は小さく息を吐く。
修道長に勘違いさせてしまったことに申し訳なく思いながら。
何しろ、侍女達が何もしなかったわけじゃなく、いつでも一人で生きていけるように私がたんに備えてただけなので。
家族の私への対応がどんどん酷くなり、遂には半分幽霊扱いになった時、いつかこの場所からいなくなるのだろうと理解したあの日以降から。
何でも一人で、できるようにと。それこそ平民の生き方、洗い物や洗濯に掃除など、色々な場所に行き、手伝いまでして。いつ追い出されるのだろうとびくびくしながら。
それは一年前にトラン様が婚約者になって欲しいと言ってくれた、あの幸せな日でさえ。いつかリリスになんらかの形で壊されて、彼との婚約は駄目になるだろうと予感はあったので。きっと、彼に何かを言えばスペンド公爵家に迷惑すらかけて。更には王家すらも。
ただ、結果は予想していなかったことだったけれども。
そう思いながらも、どうやってトラン様を籠絡できたのだろうと首を傾げてしまったが。
「でも、これで丸く収まるなら……」
そう呟くなり、もう済んだことは忘れて今後のことを考えようとも。
どこかの街で仕事を見つけ、そして……どう生きて何をすれば良いのだろう? と。
何しろ、一人で生きていけるように必死に頑張ってきたけれど、目的はそもそも考えていなかったので。
それこそ……
生きたいという理由さえも……
私は心の中でそう呟いた後、壁にかけてある外套のポケットに視線を向ける。
もう存在する理由はないのだからいいのでは? と考えて。
ただ、外套のポケットに指が触れた直後、エルドラ侯爵夫妻の顔が思い浮かび、頭を抱えてしまったが。
これじゃあ、他者の事を考えずに自分の事ばかりしか考えないリリスと同じなのでは? しかも、名前を変えただけでなく彼女自身になってしまったのでは? とも。
つまりは今、向こうにいるのがアイリスで——と、私は力無く椅子に座りこむ。
それから、扉がノックされて再び修道長が入ってきたことでそちらに顔を向けも。
「……初日にここに来る子はだいたい精神が不安定な状態なのよ」
その言葉に少しだけ気分が軽くなりながら。
修道長が私の側に来て頭を撫でてくれたことで更に——と、私は心地よく身を任せていると修道長が優しく言ってくる。
「今日は何も考えないようにしなさい。明日、一緒に考えてあげるから」
私が欲しかった答えを。
「……はい」
だから、私は頷くと結局、修道長に体を拭くのを手伝ってもらい、その日は何も考えずに横になったのだ。
そして、翌日は修道長の言葉通りに今後の事を話し合いも。
「ハートラル伯爵家の親戚筋は駄目なの?」
「はい。リリスの所為でハートラル伯爵家と関わりたくないと絶縁状に近い手紙を受け取っていますので」
「それなら、スペンド公爵家はどうかしら?」
「それこそ、無理ですね。リリスのお腹の子の父親はトラン……スペンド公爵令息ですから……」
私は俯きながらそう答えると修道長が再び質問してくる。
「それは、スペンド公爵令息本人には聞いたのかしら?」
「いえ。でも、リリスがはっきりと……」
私がそう答えるなり、「駄目よ。片方の話を鵜呑みにしちゃ。もしかしたら嘘を吐いてるかもしれないんだから」と。
貴族社会での基本的な知識を言ってきて——と、私はなんで、そんなことを今の今まで気づかなかったのだろうと反省してしまう。
「まあ、あなたの精神状態では酷よね。だから、気にしては駄目よ」
続けて、そう言ってくる修道長の言葉に気持ちを切り替えも。
「たとえリリスの子がそうじゃないとしても、私はもうハートラル伯爵令嬢……貴族ではありませんから元には戻れませんので」
つまりは一人で生きていく決心を。
「そう……。でも、スペンド公爵令息の婚約者に戻れるなら戻りたい?」
そう聞かれても。
何しろ、リリスが嘘を吐いたのなら問題になる。その問題児のいた伯爵家の元令嬢を妻にしたとなれば、きっとトラン様は他の貴族から馬鹿にされるし公爵家に一生傷がつくだろうから。
そして、あの暖かいスペンド公爵家の人達も。
だから、私は答えたのだ。精一杯作った笑顔で微笑みながら。
「戻りたくありません」と。




