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笑い方を忘れたのはいつの頃からだろう?
そして、考えるのすら忘れていたのも。
ただ、わかっているのはいつ間にか疲れ果ててしまっていたということだけで……
トラン様がそんな私に嫌気が差してしまったのも……
そんな事を考えながら私はひたすら目的もなく、目の前の道を歩き続ける。
しばらくして自分がどうすべきか考えないといけないと思いながら立ち止まりも。
何しろ、このままだと本当の幽霊になってしまうので。
あの場所を出てさえも——と、私はかなり前に外で何をしていかを思い出すことにする。この先、何をすればいいのか、ヒントが手に入ればと。ほんの少しでも。掃除に湯浴みや着替えは一人でやっていたけれど、やはり貴族令嬢の知識なんてたかが知れているので。
「特に外での生き方なんて……あっ」
この道をずっと行った先に何度も手伝いをしにいった修道院があったのを思い出し、私は再び歩き始めることにしたが。
あそこなら、顔見知りの修道女もいるはずなのでしばらくは置いてもらえるかも——そう考え。
それから、今後の事をゆっくり計画を立てればとも。
「どちらを選ぶかを……」
私はそう呟きながら、とりあえずの目的が決まったことに安堵する。
それから風景を楽しむ事もなく、ときおり周りに視線を向けながら黙々と歩きも。
何しろ、周りに警戒をしなくてはならなかったので。今の時代、人攫いや賊のような悪い事をする人は少なくなったけれども、やはり女性一人だと危険のリスクは極端に上がってしまうから。
こんな風に古くて汚れているものを着ていたとしても——と、私は道を外れて立ち止まる。
後方から来る豪華な馬車が通り過ぎるのを待ちながら。馬車が私の横を通り過ぎ、スピードを落としていくのを見ると思わず緊張してしまったが。
何もない場所で止まる、つまりは私に用があるはずなので——と、外套のポケットの中にある小型ナイフに触れる。非力な私にできる唯一の抵抗、自害用のナイフを。
馬車の扉が開き一組の喪服を着た上品そうな貴族らしき夫婦が降りてきた際には、ナイフを握る手の力を緩めたが。
「お嬢さん、一人かな?」
男性の優し気な声に安堵も。
ただし、続けて「最近はこの辺も安全になったとはいえ、やはり一人だと危ない。場所を教えてくれれば送っていこう」
そう言ってくる男性に私は感謝しながらも首を横に振ったが。
「そのお言葉は大変ありがたいのですが、私なら大丈夫です」
そう返事して。
「私達は貴女に何かしようとするわけじゃないから安心して」
女性の方がそう言って微笑んできても心変わりせずに。
何しろ、彼らが善意でそう言ってくれるからこそ、貴族間で最悪な令嬢として知れ渡っている今のリリスである私が側にいるべきてはないとそう思ったので。
きっと、彼らは嫌な思いをするだろうし、誰かに見られたら悪い噂が立てられてしまう可能性もあるので——と、私は彼らの服装にそっと視線を向ける。
ただでさえ、辛い出来事があったのだろうから余計な悲しい思いはさせられない、そう考えながら。
「いけませんわ。私は沢山の男性を誑かし、家族に見切りをつけられて追い出された身です。だから、私の事はどうか放っておいて下さい……」
これなら流石にもう大丈夫であろうと。女性がこちらをじっと見つめた後、男性の方に何か囁いたらなおさら。
きっと、もう行きましょうと言ったのだろうから。
ただ、夫婦に頭を下げ、逃げるようにして歩きだすと後ろから思っていなかった言葉がきたが。
「待ってくれ。やはり、このまま君を置いていってしまうのは心残りだ。私達の我儘に付き合ってくれないだろうか」
「ねえ、送り届けるだけよ。だから、心配しないで」
「……後悔するかもしれませんよ」
私がそう言っても夫婦は頷いてきて「その時はその時よ。ただ、私達はもう選択を間違えたくないの……」と、もう断れない感じにもなってしまって。
いや、もしかしたら彼らが優しい嘘を吐いてくれたのかもしれないが。あの雰囲気からきっと慈善活動をしているはずなので——と、私はもう断ることは諦め、ここは甘えることにする。
「わかりました。では、この道をずっと行くと聖アレッシス修道院があるのですが、その近くまでお願いします」
「えっ、あんな遠い場所まで徒歩で向かっていたの? でも、ちょうど良かったわ。私達もね……その近くの教会に行こうとしてたのよ」
女性はそう言って少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。
「では、二人共馬車に」と、男性の言葉に我に帰るとすぐに微笑みながら私を豪華な馬車の中までエスコートしてくれたが。
しかも、暖かい毛布を膝にかけてくれて——と、私はその毛布に刺繍された家紋に視線を向ける。
外との繋がりがほとんどなかった私でもどこかで見たことがあるような? そう思いながら。
「私はリヒター・エルドラ。侯爵をしている。そして、隣にいるのが妻のアマリーだ」
馬車が走りだし、しばらくして男性がそう名乗ってきたことで、顔を合わせたことはないがトラン様の遠縁の親戚であることを思いだすことができたが。
「エルドラ侯爵、この度はありがとうございます。私はリリスです」
そう言いながらも今の私には既に関係ないことだとも。
特に顔を見せれば——と、フードを取る。夫婦の驚きに満ちた表情で、やはりリリスは有名なのだと理解しながら。
「あなたは……ハートラル伯爵のリリス嬢?」
エルドラ侯爵夫人が複雑な表情でそう尋ねてきたらなおさら——と、私は頷く。
「もう、ただのリリスです。エルドラ侯爵夫人」
「……そうね。でも……いえ、何でもないわ」
そう言って黙ってしまう彼女の姿に、やはり馬車を降りるべきだと判断も。
ただし、エルドラ侯爵が「……君は聖アレッシス修道院に慰問に行った事はあるのかな?」と、そう尋ねてきたことで別の言葉を口に出すが。
「は……いえ、一度もありません。姉のアイリスが行っていたみたいですが……」
「ふむ……そうか。彼女はアイリス嬢の方だったか。一度、遠くで見かけた事があってね。とても、感じが良い御令嬢だった」
そう言われ、つい頬を緩めも。
何しろ、リリスの事もあり、他の貴族には褒められるどころか一緒になって貶されていたので。
せいぜい、褒めてくれたのは月に一回行けるスペンド公爵家の方々ぐらいで……
つまり、褒められるなんて久しぶりだったと。
まあ、私ではなくだが……
「……そうでしたか。きっとご本人に仰っていただければ喜びますわ」
「そうだね。直接、言わなければ相手には伝わらないからね」
エルドラ侯爵はそう呟く。まるで自分の言った言葉を噛み締めるように——と、私は先ほどの言葉が喪服姿に繋がるのだろうと、なんとなく理解してしまう。
エルドラ侯爵夫人が私より少し年齢が少し下の可愛らしい御令嬢が写っている一枚の写真をそっと見せてきたら確信にも。
「写真ができて便利な世の中にはなったけれど、場合によってこれは人を縛りつけてしまう呪物になってしまうのね。おかげで私達は娘のエブリンが亡くなってから二年もこんな格好をしているのよ。おかしいでしょう?」
何しろ苦笑する姿に重なり、私にはエルドラ侯爵夫人が泣いているように見えてしまったので。
彼らは今も当時と同じ、いや、それ以上に苦しんでいるのだろうと。
写真を部屋に置いてきた誰かとは大違いで……
そう思いながら私は口を開く。少しでも彼らの気持ちが軽くなればと。
「お二人に思われてきっとエブリン様も喜んでいますよ。ただ、いつまでも喪服姿だと彼女が悲しむ可能性も……」
「えっ、どういうこと?」
「それは娘思いの素敵なご両親なのにいつまでも喪服姿では、エブリン様がお二人の事を向こうでできた御友人にきっと自慢できませんので」
私がそう言うと夫妻は驚いた表情をする。
それから、お互いに見つめ合いも。
「そうか。私達は向こうでもあの子を悲しませてしまっているのか……」
「全く、私達は二年経っても成長してないのね」
更にはそう言って微笑み合い——と、彼らがなんとなく一歩踏み出せた様な感じがして嬉しくなる。
大丈夫、きっとこの二人なら私と違ってやり直せる。
そう確信し、彼らの明るくなっていく表情から視線をそっと逸らしも。
今の私にはとても眩しく見えたのと、馬車がゆっくり止まったので。
つまりは私が行くべき場所へ。
「ありがとうございました」
私はそう言うと深々と頭を下げた後、馬車から降りる。
そして、逃げるように聖アレッシス修道院に向かって歩きだしたのだ。これ以上、立ち直りかけている彼らと長くいるのは良くないと思ったので。
「心の整理を付けたら必ず妻と一緒に君に会いに行くよ」
「だから、元気でいてね」
なのに、夫妻がわざわざ馬車から降りてそんな言葉を——と、私はゆっくりと振りかえる。
思わず涙が出てしまいも。
なぜなら、そこにはずっと見たかった心からの笑顔があったから。
置いてきた写真の中のあの表情が。
ただ、それでも私には作り笑いを返すことしかできなかったが……




