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笑い方を忘れたのはいつからだろう。
それどころか、考えるのすらいつの間にかやめていたような気がする。
それ程、私はずっと前から疲れ果てていたのだ。
だからこそ、トラン様は私に嫌気が差してしまったのだろう。
私がこうなってしまったのも当然の結果よね……。
私はそんな事を考えながらひたすら目的もなく道を歩き続けていたが、そろそろ自分がどうすべきか考えないといけないと思い立ち止まる。
そして、この道をずっと行った先に何度も手伝いをしにいった修道院があったのを思い出したのだ。
あそこなら、顔見知りの修道女もいるからしばらくは置いてもらえるかも……。
それから、今後の事を考えないと……。
私はとりあえずの目的が決まった為、再び歩きだす。
それから風景を楽しむ事もなく、ただ前を見続けて歩いていたのだが、後ろの方から豪華な馬車が走ってきたので私は道をそれて通り過ぎるのを待つことにした。
しかし、馬車はゆっくりと私の横を通り過ぎた後に止まったのだ。
そんな止まった馬車を見て私は緊張してしまう。
今の時代、人攫いや賊のような悪い事をする人は少なくなったが、やはり女一人だと危険のリスクは上がるのだ。
私はすぐに外套のポケットに手を入れ小型ナイフに触れる。
もちろん、私には戦う力はないから、この小型ナイフは自害用である。
その小型ナイフを握りしめいつでも抜けるようにしていると、馬車の扉が開き一組の喪服を着た上品そうな夫婦が降りてきたのだ。
私はその姿を見てほっとしていると、男性の方が声をかけてきた。
「お嬢さん、一人かな?」
「……はい」
「最近はこの辺も安全になったとはいえ、やはり一人だと危ない。場所を教えてくれれば送っていこう」
「……そのお言葉は大変ありがたいのですが、私なら大丈夫です」
私はそう言って頭を下げると今度は女性の方が話しかけてきた。
「私達はあなたに何かしようとするわけじゃないから安心して」
女性はそう言って微笑み、私はそんな二人を見て善意で言ってくれてるのがわかった。
しかし、今の私はアイリスではなくリリスである。
そのリリスは貴族間で最悪な令嬢として、知れ渡っている。
そんなリリスである私を乗せたとわかったらきっとこの二人は嫌な思いをするだろう。
それに私を乗せているのを見られた二人にも悪い噂が立てられてしまう。
私は喪服を着ている人の良さそうな夫婦を見て余計に駄目だと思った。
余計に悲しい思いはさせられないわ……。
だから、私はかぶりを振った。
「いけませんわ。私は沢山の男性を誑かし、家族に見切りをつけられて追い出された身です。だから、私の事はどうか放っておいて下さい……」
私がそう伝えると、女性は私をじっと見つめた後、男性の方を向いた。
きっと小声でもう行きましょうと言ったのだろう。
これで良い。
私は夫婦に頭を下げると逃げるようにして歩きだすが、すぐ男性が後ろから声をかけてきた。
「待ってくれ」
「……なんでしょう」
「やはり、このまま君を置いていってしまうのは心残りだ。私達の我儘に付き合ってくれないだろうか」
私はそう言われて女性の方を見ると、頷いてきた。
「送り届けるだけよ。だから、心配しないで」
「……後悔するかもしれませんよ」
「その時はその時よ。ただ、私はもう選択を間違えたくないの……」
女性はそう言って悲しそうな表情を浮かべる為、私はもう断れなくなってしまった。
「……わかりました。では、この道をずっと行くと聖アレッシス修道院があるのですが、その近くまでお願いします」
「えっ、あんな遠い場所まで徒歩で向かっていたの……。ちょうど良いわ。私達もその近くの教会に行こうとしてたから……」
「教会……ですか」
「ええ、ある人に会いに……」
そう言った後に女性は悲しそうに俯く。
すると男性の方が声をかけてきた。
「では、二人共馬車に乗って」
そう言われ、私は女性に誘導されながら馬車に乗り込むが、その際に家紋が見えた。
しかし、あまり外との繋がりがなかった私には名のある貴族だろうという事しかわからなかったのだ。
それから男性も馬車に乗り込み、走りだしてしばらくすると男性が名乗ってきた。
「私はリヒター・エルドラ。侯爵をしている。そして隣が妻のアマリーだ」
「……エルドラ侯爵、この度はありがとうございます。私はリリスです」
そう言ってフードを取ると二人共、驚いた顔をしたので、やはりリリスは有名なのだと、私は理解してしまう。
すると、エルドラ侯爵夫人が私を複雑な表情で見つめながら言ってきた。
「……あなたはハートラル伯爵のリリス嬢?」
「もう、ただのリリスです。エルドラ侯爵夫人」
「……そうね。でも……いえ、何でもないわ」
エルドラ侯爵夫人は何か言おうとしたがそのまま黙ってしまう。
そしてしばらく会話がなくなったのだが、今度はエルドラ侯爵が声をかけてきた。
「……君は聖アレッシス修道院に慰問に行った事はあるのかな?」
「は……いえ、一度もありません。姉のアイリスが行っていたみたいですが……」
「そうか、彼女はアイリス嬢の方だったか。一度、遠くで見かけた事があってね。とても、感じが良い御令嬢だった」
私はそう言われ嬉しくなる。
なにせ、リリスの事もあり、他の貴族には褒められるどころか一緒になって私は貶されていたのだ。
せいぜい、褒めてくれたのは月に一回行けるスペンド公爵家の方々ぐらいだろう。
だから、褒められるなんて久しぶりだったのだ。
でも、今の私はリリスなのよね……。
私はそれを思いだしながら言った。
「……そうでしたか。きっとご本人に仰っていただければ喜びますわ」
「……そうだね。直接、言わないと相手には伝わらないからね」
エルドラ侯爵は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
私はそんなエルドラ侯爵を見てきっと喪服の意味に繋がるのだろうと理解して黙っていると、エルドラ侯爵夫人が私に一枚の写真をそっと見せてきたのだ。
そこには私より少し年齢が少し下の可愛らしい御令嬢が写っていた。
「写真ができて便利な世の中にはなったけれど、場合によってこれは人を縛りつけてしまう呪物になってしまうのね。おかげで私達はエブリンが亡くなってから二年もこんな格好をしているのよ。おかしいでしょう?」
エルドラ侯爵夫人は苦笑しながらそう言ってきたのだが、私にはエルドラ侯爵夫人が泣いているように見えてしまった。
お二人は今も当時と同じ……いえ、それ以上に苦しんでいるのでしょうね……。
写真を部屋に置いてきた私とは大違いね……。
そう思いながら私はエルドラ侯爵夫人にかぶりを振る。
「お二人に思われてきっとエルドラ侯爵令嬢も喜んでいますよ。けれど、いつまでも喪服だと彼女が悲しみますわ」
「エブリンが悲しむ?」
「はい、娘思いの素敵なご両親なのにいつまでも喪服では、エルドラ侯爵令嬢がお二人の事を向こうでできた御友人に自慢できませんよ」
私がそう言うと夫妻は驚いた表情をした後、お互いに見つめ合う。
「……そうか。私達は向こうでもあの子を悲しませてしまっているのか……」
「全く、私達は二年経っても成長してないのね」
夫妻はそう言って微笑み合う。
そんな夫妻を見てなんとなく一歩踏み出せた様な感じに見えた私は嬉しくなった。
大丈夫、きっとこの二人なら私達とは違ってやり直せるわ。
私はそう思いながら、夫妻を見つめていると馬車はゆっくり止まった。
どうやら、聖アレッシス修道院の近くに到着したらしい。
「ありがとうございました」
私はそう言って深々と頭を下げた後に馬車から降り、聖アレッシス修道院のある方向に向かって歩きだしたのだが、夫妻がわざわざ馬車から降りて私に声をかけてきたのだ。
「心の整理を付けたら必ず妻と一緒に君に会いに行くよ」
「だから、元気でいてね」
私はその言葉を聞いた後に振り向き思わず固まる。
そして頬をゆっくりと涙が伝った。
なぜなら、そこにはずっと見たかった心からの笑顔があったからだ。
だから、私は夫妻に笑い返そうとしたのだが、笑い方を忘れてしまっている私は結局夫妻に作り笑いを浮かべる事しかできなかったのだった……。