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ムダにはならない。

続・人と話せるキツネに叱られた。

作者: 虹色冒険書






挿絵(By みてみん)

イラスト制作・『みこと。』様。深くお礼申し上げます。











 昼休みの時刻。

 俺はロッカーの中に入れておいた昼飯、出勤する時にコンビニで買ってきた焼きそばパンを片手に、庭園へと向かう。

 雨の日以外は、職場であるこの浄水場の敷地内にある庭園のベンチに座って飯を食う。それが、ここに勤め始めた頃からの日課だった。

 大抵はひとりで食うんだが、友達と一緒の時もある。

 ベンチに向かって歩いていく最中で、桜の木の根元にうずくまるようにしているその姿が見えた。

 お、今日はいるようだな。

 向こうも俺に気づいたらしく、首をもたげるようにしてこっちを見てきた。


「よお」


 俺がそう声を掛けると、そいつは短くて甲高い鳴き声を上げて応じた。


「くあっ」


 つい数か月前にできた、俺の新しい友達――『キツネ』だ。

 正気を疑われちまいそうだが、こいつはただのキツネじゃない。人と話せるキツネなのだ。

 俺がベンチに腰を下ろして焼きそばパンの包装を解き始めると、キツネはどこから見つけてきたのか、その足元に置いてあったリンゴを咥え上げた。


「それが今日の昼飯か?」


 笑い交じりに俺が問うと、キツネは頷いた。

 キツネは決して、俺には近づいてこない。いつもこうして一定の距離を保ち、数メートル離れた場所から俺と話すのだ。

 野生動物と人間は、不用意に接触してはいけない。このキツネはそれを理解しているのだ。そして、そのことを俺にも教えてくれた。初めて会った時のことは、一生忘れられないだろう。

 あれ以来、俺はしばしばこのキツネと一緒に昼飯を食っていた。頻度にして、大体週に三回くらいだろうか。

 いつもこのキツネはこうして果物や、たまに魚(近くの川で獲ってきたらしい)を持ってきて、俺が来るまで食べずに待っていてくれるんだ。そして食った後は絶対にゴミをその場に残さず、持って帰ってくれる。この庭園に空き缶や弁当殻や煙草の吸殻を捨てていく輩には、是非ともこのキツネを見習ってほしい。

 

「最近、調子はどうだ?」


 焼きそばパンを食った後、俺はキツネに問いかけた。

 飯を食い終わったら、昼休みが終わるまでの数十分をとりとめのない会話をして過ごすのが常だった。


「くあっ」


 ――ぼちぼちだ、お前は?


 正気を疑われかねないのを承知で言うが、このキツネと初めて会った時から、俺は彼の言葉を理解できるようになったらしい。

 

「まあ、俺もぼちぼちだな」


 その時、どこかから子供達の声が聞こえてきた。

 視線を移すと、鬼ごっこでもしているのか、小さい子のグループが庭園の中を駆けていた。男の子がふたりと、女の子がひとり。見たところ、小学校低学年くらいだろう。

 この時期、庭園は一般開放される。ここを散歩コースにする人もいるし、桜の花を見に来る人もいるし、土日にはよく子供達が遊びに訪れるのだ。

 

「はは、楽しそうだな」


 俺が言うや否や、キツネは食べたリンゴの芯を咥えてその場から立ち上がった。


「行っちまうのか?」


 キツネは、頷いた。

 どうやらこいつは、俺以外の人間に姿を見られたくないらしいのだ。


「そっか、じゃあまた今度な」


 俺がそう言った直後だった。


「おい、ちょっとこれ見ろよ!」


 子供達の中のひとりが、庭園のどこかを指差してそう言ったんだ。

 他の子達が続々と集まって、しゃがみ込んでいく。


「えっ、何これ!」


「うわっ、何だこりゃ!」


 皆、声を上げる。

 何だ、綺麗な花でも生えてたのか、それとも珍しい虫でも見つけたのか?

 その時だった。


「グァウッ!」


 ――おい、触るな!


 キツネが、子供達に向かっていきなり吠え始めたんだ。

 もう立ち去ったと思っていたが、そうじゃなかったようだ。


「な、何だ?」


「えっ、キツネ?」


 子供達が、『見つけた何か』からこちらに視線を移す。

 俺は困惑した。普段、このキツネは大人しくていい奴だ。こんなふうに唸り声を上げて吠えたことなんて、初めて会った時以来一度もない。

 俺は困惑しつつ、


「お、おい、急にどうしたんだ?」


 キツネは俺のほうを向き、


「グァウ、ガウッ!」


 ――あの子達を、止めろ!


 そう命じた。

 俺が理解できずにいると、


「グァウッ! ガウガウッ!」


 ――止めろと言っているんだ、早く!


 尋常じゃない様子から、俺はとにかくキツネの指示に従うことにした。

 賢くて利発なキツネであるこいつが、こんな風に吠えるってことは、あの子達に何か危険が迫っていることの証であると感じられた。


「君達、ちょっと!」


 俺は子供達に駆け寄った。

 そして、彼らの興味を引いていたそれが、視界に入った。

 ――真っ赤な人間の指が、地面から生えていたのだ。


「っ……!?」


 な、何だこれは?

 それに視線を釘付けにする俺を他所に、子供達は立ち去っていった。

 俺は、思わずまじまじと観察した。

 よく見れば、それは人間の指ではなかった。炎のような、サンゴのような……とにかく、見るからに不気味で毒々しい、触ることすらはばかられる謎の物体だった。

 植物、なのか……? と思った時だ。


「くあっ」


 ――そいつは『カエンタケ』だ、絶対に素手で触るんじゃないぞ。


 いつの間にか、こちらに来ていたキツネが、そう言った。


「カエンタケ……?」


 聞いたことがない言葉に、俺は問い返した。


「くあっ」


 ――猛毒キノコだ。お前達人間なら、一齧りで死に至るぞ。


「何だって……?」


 この化け物のような物体がキノコだって? しかも、そんなヤバい毒キノコだと?

 半信半疑のまま、俺はスマホを取り出した。

 検索欄に『カエンタケ』と打ち込み、調べてみる――そして、キツネが言っていたことが本当だったと知った。

 ――カエンタケ。

 燃える炎のような形をした、非常に毒性の強いキノコだとのことだ。

 致死量はたった三グラム、キツネが言っていた通り、一齧りで人を死に至らしめるほどだという。

 触れることすら危険で、通常の毒キノコは触るだけなら害はないが、このカエンタケは例外だ。その汁が皮膚に付くと、炎症を引き起こすらしい。


「こんな奴が、うちの庭園に生えているなんて……!」


 市によっては、ホームページや貼り紙でこのカエンタケに注意を呼び掛けているそうだった。

 日本各地で発生が確認されており、条件さえ揃えば公園などにも生えてくる可能性があるらしい。食用とは思えない見た目をしているが、無害な別のキノコとの誤食事例があるそうだ。

 スマホを握る手が、汗ばんでいるのが分かった。

 もしキツネが、あの子達を止めなければどうなっていたか……。

 いや、この庭園にはあの子達以上に小さな子供だって遊びに来るのだ。何も分からない幼児が、興味本位でこのカエンタケに近づき、何かの拍子でこれを口に入れたりでもしたら……! それ以上はもう、考えることができなかった。

 俺はスマホをポケットにしまって、キツネに向き直った。


「お前のお陰だ……!」


 その後、俺はすぐに上司を通じて保健所に通報し……見つけたカエンタケは処分され、庭園内に別のカエンタケが生えていないかの調査が行われた。さらに、庭園の入り口にカエンタケへの注意を促す看板も設置された。

 被害が出る前に対処できたのは、不幸中の幸いだったと思う。

 上司は俺を褒めてくれたけれど、実際は俺の手柄じゃない。

 翌日……俺は改めてお礼を言うために、焼きそばパンと、それにリンゴを持って庭園に向かった。

 今日はいてくれているだろうか……と心配したが、それは杞憂に終わった。


「くあっ」


 ――お疲れ。


 俺が歩み寄ると、いつも通り桜の木の根元にうずくまっていたキツネが話し掛けてくる。

 

「ああ」


 日ごとにそうしているように、俺はベンチに座る。

 昼飯の焼きそばパンを食う前に、キツネに言いたいことがあった。


「あのさ、昨日はありがとな」


 キツネが、どことなく怪訝な面持ちで俺を向いた。


「お前が教えてくれたお陰で、あの子達がカエンタケの被害に遭うのを防げた。それに、注意喚起ができたのも……全部お前のお陰だよ、本当にありがとう」


 俺はためらいつつ、片手に持ったリンゴを差し出した。


「あのさ、これ……」


 キツネが、ぴくんと身を震わせた。

 何が言いたいのかは分かる。だから俺は先んじて、言った。


「誤解しないで欲しいけど、『餌付け』じゃないんだ。今回のこと、それに初めて会った時も……俺はお前から大事なことを教わった。だから、どうしてもお礼がしたくてさ……」


 このキツネは、『餌付け』という行為を非常に嫌う。初めて会った時は、そのことで叱られたのを鮮明に覚えている。

 だから、俺がこういう風に食べ物を差し出せば、また怒り出すかも知れない。それを理解していても、俺はこのキツネに感謝を伝えたかったんだ。

 キツネは、俺が持つリンゴを見つめた後……今一度、俺の目を見てきた。


「悪い、やっぱダメだよな。事情があるにせよ、これはお前からすれば餌付けに他ならな……」


 そこまで言った時、思いがけないことが起きた。

 いつも一定の距離を隔てて、それ以上は決して近づいてこないキツネが、俺の近くまで歩み寄ってきたのだ。


「っ……!」


 そして彼は、俺が持っていたリンゴをかぷりと咥えて(その際、俺の手には決して触れないようにしていた)、また離れていった。

 

「お前……!」


 嬉しさに、胸が満たされる。

 キツネはリンゴをその場に置くと、俺に向き直った。


「くあっ」


 ――餌付けは受けない。だが、『友達』からの贈り物なら、喜んで頂戴するよ。


 餌付けじゃないことを、理解してくれた。俺の好意を、キツネは受け入れてくれたのだ。

 それに加えて、俺を『友達』と言ってくれたことが、何よりも嬉しかった。


「ありがとう……!」


 精一杯の感謝を込めて、俺は言った。

 キツネが、笑ったように見えた。


「くあっ」


 ――これからもよろしくな。


 餌付けを、という意味ではない。

 これからも、友達であってほしいという意味を込めた言葉だった。


「ああ、こちらこそよろしく」


 そうして俺達は、いつも通り一緒に昼飯を食い始めた。











【カエンタケ】



その名の通り、燃える炎のごとく独特かつ不気味な外見をした強力な毒キノコ。食用である『ベニナギナタタケ』との誤食事例が報告されている。

致死量は僅か三グラム程度で、接種後およそ十分程度の短時間で症状が現れる。腹痛や嘔吐、下痢など消化器系の症状から始まり、その後は頭痛やめまい、呼吸困難、言語障害、ひいては皮膚の糜爛、呼吸器不全など、熾烈かつ多彩な症状が現れ、致死率は極めて高い。

その毒成分は現在解明されておらず、解毒剤は存在しない。

天然化学兵器、はたまた最強最悪の毒キノコと称されることもある本種は、その果汁に皮膚刺激性を有しており、触ることすら危険である。

近年、日本各地で発見事例が上がっており、条件が揃えば公園などにも発生することがあるため、見つけたら絶対に近づかずに、保健所や自治体へ連絡するのが望ましい。






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― 新着の感想 ―
赤いヤツですよね。 キツネ❤︎ でもマダニには注意よね(笑 良きお話をありがとうございました
[一言] カエンタケ、噂で聞いたことはありますが、触ってもダメ、食べたら一口で死んでしまう……すごい毒性ですね。 キツネさんのお蔭で子どもたちが助かってよかったなぁと思ったのも束の間、主人公の好意をキ…
[良い点] 面白かったです。 誰とでもべたべた接するのがいいわけじゃない。 相手によって適切な距離感を保つことこそが重要。 そして自分の常識や固定観念を相手に押し付けない。 厚かましくするのもいいけど…
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