④
「さあ。好きなもんを好きなだけ食え。嫌いなものは無理して食わなくていい。次からそれは作らねぇ」
サチはびっくりして横に座るガザンを見上げた。
卓上にはサチが本当に食べていいのかと思うような料理がたくさん並んでいる。
「サチのために作ったもんだ。いくらでも食え」
「ガザンが作ったのですか?」
サチはもう一度驚いた。
村では男が料理を作ることはない。
「もちろんだ。ここには俺とサチしか入れねぇ。それに食い物を与えるのは、鬼人の嫁取りの基本だ。懸想した女を魅了して手に入れる。俺はサチに求愛してんだ」
ガザンはまた、にやりと笑った。
決していやではないが、こんな言葉をかけられたことのないサチは、どうしていいのか分からなかった。
そんなサチの戸惑いに気づいているのか、ガザンはてサチを追い詰めようとしない。
「まあ、それはまだ気にすんな。逃がす気はねぇが、ゆっくりいこうってのも嘘じゃねぇ。それよりも、サチは今でもすげぇ美人だが、栄養は足りてなさそうだ。無理に詰め込むこたないが、食えるだけはしっかり食え」
そう言って、何度言われても美人という言葉が腑に落ちない様子のサチに、なにから食べたいか聞いた。サチは並んだ料理をまじまじと見た。
美味しそうな匂いの立つなにかの肉が入った汁。白い米を使って作った粥には卵の黄色が映えている。茶色いとろりとしたタレのついたなにかの焼いた肉。何種類もの果実。ほかにもサチの知らないたくさんの料理が、あふれんばかりに置いてある。
サチの目には、卓上のすべての料理がきらきらと輝いて見えた。
「腹にやさしそうなもんもある。さあ、どれからにする?」
小さくあれと指差すと、すぐにガザンが取り分けてくれた。サチは匙を手に取ると、寝ていた部屋まで届いていたいい匂いのする汁から食べはじめた。
……乾いた体に染みわたる気がした。さらに乾ききった心にも。
「サチ? どうした? なんで泣く……」
「おいしい……。とっても、温かくて、とっても、美味しいです……」
サチは泣きながら食べた。一瞬動揺したガザンも、サチが喜んでいるのだと分かって、自分も食べながら、優しくサチが食べるのを見守った。そして次々ほかの料理も勧め、どんな料理なのかをサチにも分かりやすいように説明しながら取り分け、サチの面倒を甲斐甲斐しくみた。
サチは物心ついてから初めて、お腹いっぱい食べるということを知った。お腹だけでなく、胸もいっぱいになっていた。
幸せだ。幸せだ。これまでのサチの人生で、今が一番幸せだと思った。
ガザンにそう言って、何度も礼を言っているうちに、お腹のくちくなったサチは、だんだん眠くなってきた。ガザンはサチを自分にもたれかけさせて、両腕で抱え込むと、ゆっくりと揺さぶった。
「眠くなんのは、サチの体が眠りを欲してるからだ。これまで、よく頑張ったな、サチ。ずっと一人で、大変だったな」
ガザンの労りが、サチの心にしみる。
「……サチは今俺の腕のなかにいる。俺がサチを守ってやる。ここは安全だ。俺とサチしかいねぇし、ほかのやつは絶対に入って来られない。安心して眠れ」
ガザンは、とてもいい匂いがした。深い森のなかのような、深く息を吸い込みたくなる清々しい香り。……これまで、村の者が来ない森の奥は、サチにとってどこよりも、安心できる場所だった。
でもやはり、それよりも前に、どこかで嗅いだことがあるような……。
どんどんサチの緊張が解れていく。
「……サチ。俺に、ここに、ゆっくり馴染んでいけ。サチの面倒は俺がみる。サチをこれから、もっともっと幸せにしてやるから」
……これ以上の幸せって、どんなもの?
「サチはずっと、俺の側にいろ」
温かくて、いい匂い……。ガザンの側は、とても安心……。
「もう、狭間の村には帰さない」
……村にはサチの居場所はなかった。
「村はサチにはいらねぇ場所だ。村の人間も、サチにはいらねぇものだ」
そう……。村の者は嫌いだ……。いらない……。
「サチがやつらを捨てるんだ。……………………いらねぇな? サチ」
いらない。
そう言葉にしたのだろう。触れ合うガザンの体から、ガザンが満足げに笑ったのが伝わってきた。
「おまえの敵は俺の敵。……おまえはもう俺のもん」
サチを抱えたまま、ガザンがゆったりと、力強く宣言した。眠りへと向かうサチの心から、いつしか不安は消えていた。
これが鬼人の魅了というものか。
「これからいくらでも時間はあんだ。ゆっくり眠れよ、サチ。起きたらたくさん話そうぜ。サチの話を聞かせてくれ。俺の話も聞かせてやるから」
サチは幸せな気持ちで、ガザンの声を聞きながら、ガザンの腕のなかで眠りに落ちた。