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サチの幸せ  作者: 真守祐子
山の鬼が村の女に懸想する
1/7

「おら」

「……ありがとう」

「ユイにやるついでだ。それにこんな小さいの、ユイにやるわけにいかん。ユイにはいいもんだけやりたい。でも、おまえなら気にしないだろ?」

「……はい。ありがとう」


 村にやってくる山の鬼は美しいものが好きだった。サチと同じ村に住むユイはとても綺麗な娘だ。年の頃は同じでも、醜いサチとはまるで違う。

 山の鬼は獲物を持ってきてはせっせとユイに貢いでいた。


 山の鬼が気まぐれにサチにも獲物を分けてくれるのは、以前にサチが山の鬼を助けたことがあったから。


 ほんの些細なことだったが、山の鬼を助けたことはサチの誇りだ。醜く卑しいサチが、他人様(ひとさま)の、ましてや、山の鬼の役に立てたのだから。


 サチの心のなかの、一番大事な部分で強く明るく光るもの。


 サチの感謝を受けて満足したのか、山の鬼は挨拶もなく無言で踵を返して去って行った。





 サチは村の一番外れのそのまた外側にあるあばら小屋で、一人で暮らしていた。サチのような醜く卑しい人間は、村のなかに入ってはならんと追いやられた。村の井戸も使えないので山の沢から水を汲んでくる。

 水に映る自分の姿をたまに見る。


 目がまんまると大きく、口もがばっと大きく、鼻もばんと大きい。

 目元涼やかで、口も小さく、鼻など極めて可愛らしい、ユイとは比べるべくもない。

 それだけでなく、サチは村の誰にも似てない。


 サチは深く深く息を吐いた。





 サチはなんとか糊口をしのぐために、毎日山に分け入って食べ物を探す。村の者が山の幸を採るのを邪魔すると、ひどい折檻を受けるので、なるべく奥の人の来ない場所を探す。季節のよいあいだはそれでも飢えることはない。でも、悪い季節になると……。


 山の鬼が気まぐれにくれる獲物はどんなに小さくても、サチにとってはとんでもないごちそうだ。でも、それ以前に、サチの命を繋ぐ大事な大事な糧でもある。干物にしたり、日持ちするように工夫して、大事に食べる。美味しいときに食べるなどという恵まれた行いは、サチのような者には許されない。


 だがある日、その大事な命の糧が、村の者に見つかった。


「どっから盗んできた!」

「ユイんとこからか!」

「いいえ! いいえ! どこからも盗んできてはおりません。これは山の鬼に頂いたものです」

「嘘をつけ!」

「いいえ、嘘などついておりません」

「山の鬼は美しいもんが好きだ、おまえみたいな醜いもんがそんな恩恵受けられるはずがない!」

「そうだぞ、この盗っ人め!」


 思い切り突き飛ばされて、サチは地面に倒れ込んだ。そこへ山の鬼がやってきた。いつものように、ユイに獲物を貢いだ帰りにサチにおこぼれを授けに来たのだろう。

 村の者に囲まれて地面に倒れたサチに気づくと、無言でしばし立ち止まる。


「……」


 そしてつまらなそうにふいっと顔を背けると、手に持っていた小さな魚を道端に放り捨てて、そのまま踵を返して去って行った。


 残された村の者たちは、毒気をぬかれたように立ち尽くしていたが、やがて我に返ると、手に持っていた大事な大事なサチの糧を地面に打ち捨て、サチの目の前でわざと踏みにじるようにしながら、村のなかへと戻っていった。


「……」


 残されたのはサチと、踏みにじられたサチの大事な糧ばかり。


「……」


 サチは無言で拾い集める。


 汚れたものは洗えばいい。おなかに入れられるなら、大事な糧には変わりない。だけど、すでに粉々になって土と混ざってしまったものは、いくらサチでもどうしようもない。


「……」


 拾う手や、手のなかのもの、そして地面にも、ぽたりぽたりと涙が落ちる。悲しいのは、村の者に嫌いぬかれていることか。それとも、山の鬼に無視されたことか。

 この村にサチを好いてくれる者はいない。サチは村で一人きり、似ている者も一人もいない。


「……」


 それでも、山の鬼が来たから、今日は殴られずにすんだ……。

 そう思うことで、サチはようやく泣き止んだ。


「……」


 最後に、山の鬼が放り捨てていった小さな魚も拾い上げたサチは、それを見ながら、もうぼんやりと霞んでしまった、昔の記憶をたどる。

 サチがほんの子どもの時分、サチの記憶のなかには、親の顔も覚えてないが、山の鬼がいた。


 ざんばらだけど、黒くて豊かな髪。額に浮かぶ星形の黒い痣。深い山の緑のように微妙に変化する瞳。頭に置かれた大きな手。軽くサチを抱き上げた逞しい体躯。

 決してユイのように綺麗とは言えないけれど、自然の川が美しいように、自然の森が美しいように、自然の山が美しいように、山の鬼も美しい。

 そのときの山の鬼の言葉はサチは覚えていなかった。声を掛けてはもらえなかったのか……それとも。


 それとも、これは、孤独がサチに見せたまぼろしなのだろうか……。


 だって、サチの記憶のなかの山の鬼と、いま村に来る山の鬼と、見た目は同じでも全然違う。……本当は存在しない、まるで、ゆめまぼろしの、ような……。


 そんなことには耐えられないサチは、自分に言い聞かせる。


 サチが醜くて卑しいから駄目なんだ。もっと頑張れば、きっと、きっと……。


 洗えばまだ大丈夫なものと、粉々になって、取り返しのつかないもの。


 サチは生きることを諦めない。サチの心のなかの一番大事な部分で、強く明るく光るものがあるかぎり……。





「あいつのことは、おれはなんとも思ってない」


 ある日、珍しく、村の外れにユイがいた。相も変わらず山の鬼がユイに貢ぎ物を届けに来ると、ユイは山の鬼にサチについて尋ねた。そして、なんとも思っていないなら、もう、サチには獲物をやらないよう、山の鬼に甘えるように、猫なで声で言っていた。そして、山の鬼が気づかぬよう、サチを見た(あざわらった)





 サチの心はぽっきり折れた。

 サチはとうとう、諦めた。


 洗えばまだ大丈夫なものと、粉々になって、取り返しのつかないもの。





 無意識のうちにふらふらと、山の奥を目指して歩く。誰もいないところへ行きたい。死んだあとまで、あんな、村の者たちのそばにはいたくない。みながサチを嫌いなように、サチもみなが嫌いだと、生まれて初めて自覚した。


 歩いて歩いて、歩き疲れて、ばったり倒れたサチは、そのままその場で動かなくなった。















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