エピローグ
薄暗い廊下を抜けて、その先にある資料室の扉を開けようとノブに手をかけた時、天井の蛍光灯のひとつが消えかけていることに気が付いた。いつもなら無視する程度の些細な事にも「後ほど交換をするか」と頭の片隅で考えられるほど精神的余裕があった。現在担当していた事件がもう間もなく幕を引こうとしていることで得られたそれだ。
「大村先輩。どうもお疲れ様です」
私の名前を呼ぶ声に、扉を開けるために込められた力が体の中に戻ってきた。呼んだのは5年後輩の結城だ。
「結城か……お前も資料の確認か? それとも資料整理を押し付けられたか?」
「資料の整理ですよ。先輩の方こそどうされたんですか?」
先ほど開けようとしてやめたドアに再び手をかけて、今度は惜しみなくそれを解放してやった。資料室からは独特の湿気っぽい匂いが鼻を突き、何とも言えない雰囲気が漂っていた。
私は「先日終わった連続殺人事件の資料の整理だ」と後輩に注げ、私たちはそれぞれ別の通路へ入っていく。
先日まで担当していた連続殺人試験の犯人である鈴木亮二は4月4日に3人目の被害者である児童と、彼の恋人である細川舞の殺害に及んだ。
子どもの遺体は近所の河川から一週間後に発見されたが、恋人である彼女の遺体は未だ発見されていない。
犯人に何度も問い詰めつが、4月11日に山林に遺棄したとしか供述しない。彼の車に備えられていたETCの使用履歴や、高速のレコーダーに映ったビデオからしてもそれは間違いなさそうだ。あれから付近一帯を捜索してみるも、それが打ち切りになってしまった今では偶然発見されることを祈るばかりだ。
ただこの事件の一番の心髄は、犯人である鈴木亮二の細川舞に対するあの狂気的なまでの愛にある。
彼が犯行に及んでから実に1週間も彼女の遺体と生活を共にし続けたというのには驚いた。
◆◆◆
「それで、犯行に及んでから遺棄するまでの間、彼女の遺体をどのように扱っていたんだ?」
「僕たちは愛し合った恋人同士です。仕事から帰ってきて舞を愛でる。そして夜も一緒に眠る――あぁ、もちろん僕たちはその間も性行為を何度か行いましたよ」
記録を取る者の手が一瞬止まったのを見逃さなかった。
無理もない、ひどく醜猥な言葉に私も顔を一瞬しかめてしまったのだから。
更なる供述を取るために「愛していたのに殺してしまった動機を、また詳しく教えていただいても?」と続けると、何度も繰り返される質問に「——そのことについては何度も説明した通りです。僕の快楽を満たすための行為を目撃されてしまって……仕方なくというやつです」とため息交じりで返す。
殺害の動機に関しては大体の資料が出そろった。もう彼は死刑執行の日を待つばかりだろう。
私はそれから彼の会社等についても調べてみた。鈴木亮二が勤めていた会社はいわゆる「ブラック企業」というやつだった。
こんな環境でののしられ続けてきた彼が犯行に及んだのだ。ある意味彼も社会の被害者だと言っていいのかも知れない。
当然そんなものが許されるわけはないが——
◆◆◆
こうして鈴木亮二という意存在は正義の名のもとにこの世から消し去られた。
彼の首に掛かった縄が全体重を支えるその瞬間まで、恋人の名前をつぶやいていたと聞かされた。
私は彼の狂気性に嫌悪感を覚えながらも、もしも彼が最初からまともな会社で社会人としての人生を歩めていれば、彼らに違った道があったのかと思えて残念でならない。
証拠品として押収した細川舞のものと思われる真新しい靴を、そっと左右綺麗に並べてあげた。