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白と黒のあいだ  作者: 織田 智
4/5

 舞と付き合い始めてから最初の頃は楽しいことがいっぱいだった。彼女がサークルに入ってきてすぐに、誰もが気を遣って聞きもしない内定の話について言ってきたのは今でも忘れない。


 あの時の俺はめちゃくちゃに焦っていて、何でもいいから内定が欲しかった。他のサークルメンバーは複数社からオファーがあって、自分には何もないという事が、まるで自分は必要とされていない人間だという気がしていたからだ。


 だが舞に「がんばって」と言われた次の面接では不思議と肩の力が抜けて気楽に臨めた。そうしたら、あっさりと仕事が決まったのだ。

 これは彼女に感謝するしかなかった。


 それから俺はあの子と付き合うようになって、大学生最後の1年は夢のような時間が過ごせたと思う。使える時間はできるだけ彼女と費やした。彼女が喜ぶことは何でもしたかった。


 でも仕事が始まってしばらくすると、気づいてしまった。俺が就職した先はとんでもない企業だった。新人一年目からとんでもない量の仕事を押し付けられて、挙句上司の仕事まで押し付けられた。

 係長以上は5時には定時退社するが、それ以下の人間は何時になっても終わらないような仕事をさせられる。

 終わらなければクズだのなんだのと罵声を浴びせられて、入社時採用された50人は、夏が過ぎる頃には15人にまで減ってしまっていた。


 それでも俺は食らいついてがむゃらに仕事をした。


 なぜなら舞が毎日俺の家の片づけと、帰ったらすぐに食べられる食事を用意して支え続けてくれていたからだった。

 あれだけ内定がもらえなかったんだ。もし今仕事を辞めて次が見つからなかったらどうしようという不安に駆られて、辞めるにやめられない状況が続いた。

 そうこうして続けているうちに冬になって、同期はついに俺を入れて5人にまで減ってしまっていた。残った4人の上司はまだ話が分かりそうな奴だったが、俺の上司はことごとくクズだった。



 俺は連日連夜続く仕事で、体は疲れ切っていた。そこにミスをして罵声を浴びせる上司に心身ともに枯れ果てていた。

「ねぇ、本当に体調悪そうだよ? 休んだら?」


 そう言われたが、半ば意地になって仕事に打ち込んでいただけかもしれない。情熱もへったくれも無かったが、意地だけはまだ少々残っていたようだ。


 そんな意地がついに3月に切れた。

 過労と睡眠不足で職場で俺は倒れてしまったのだ。気が付いたときには病院に運ばれていて、3日間は検査入院と言い渡された。


 休んだ初日は会社の進捗が気になって仕方なかったが、3日目にもなるとさすがにもう諦めがついた。同僚に訊いてみると他の人間が俺の仕事をカバーしているのだという。


 なんだ——最初から他の人間でもカバーできる仕事だったのか……。


 俺は退院して暫く休暇をもらい自宅療養しているときにも舞はやってきた。


 母親も心配して様子を見に来ている時だったので、横になりながらふたりの会話を聞いていた。


 そして俺は彼女の話を耳にして、ショックを隠せなかった。


 「——舞ちゃんももう3回生でしょ? 就活はどう? いいところ決まった?」

 「はい、なんとか室戸商事という会社に採用が決まりまして……良かったです」

 「すごいじゃない。おめでとうね、舞ちゃん」


 寝たふりをしていた俺は布団から起き上がって、思わずふたりを追い出してしまった。


 でも仕方がなかったんだ。室戸商事は俺の第一志望で、最終面接で落とされた商社だ。舞のさばさばした性格は知っているが、時折見せるあの無神経さにはいら立ちさえ覚えるときがあった。


 最悪なことはそれからも続いた。

 休暇が明けて仕事に復帰してみると、俺が今までしていた仕事がすべて他の奴らに割り振られて、俺の仕事がすっかりなくなってしまった。

 仕事量が減った。と言えばそうかも知れないが、これは明らかに異常だ。


 毎日仕事場に行って、席に着く。

 メールをチェックする。メールはない。

 昼過ぎにまたメールをチェックする。メールはない。帰る前も同じだ。


 俺の仕事はこれだけになってしまった。


 あぁ、そういうことか。と暫く耐えてきたが、もういろいろと限界だった。


 5時の定時で会社を出るようになって真っすぐ家に帰るのも辛かった。そこで、河原をふらふらと歩いていると、ホームレスが集まる場所にたどり着いていた。

 この日本に存在しているのに、存在していない人だって何人かいるのだろう。彼らの存在の有無を証明してみせたい。俺がこいつらの存在を左右してみたい。

 そんな悪魔のような考えが俺の中で思い浮かんだ。


 気づいた時には彼らのコミュニティから一人を消し去ってしまっていた。

 ぎゅっと首を絞めて殺したのだ。彼がこと切れる間際の何とも言えない表情は今でも忘れられない。翌日俺は最近ずっと見ていなかったウェブニュースをチェックした。ひとつのウェブサイトだけではなく、いくつも違う場所を隅から隅まで目を通した。


 でも世間では俺が消し去った彼の死について報じられることはなかった。俺の功績がこの世に残らなかったのだ。


 マジかよ? 俺は人を殺したんだぞ? 何でこの事を誰も認めようとしないんだ。


 俺を見てくれよ。



 再び何もしない為に向かう会社で時間を潰し、帰宅するだけの日々が始まった。しかしいくら表面上今までと変わらない日常を取り繕ってみても、人ひとり手にかけたことで得た妙にすっきりした感覚を忘れられないでいた。


 またあの、自分が誰かの人生を左右させるという感覚を味わいたい。

 そう願っていると俺の元に悪魔が薄気味悪い笑みを浮かべながら再び降臨した。悪魔は甘美な言葉を巧みに使ってあの感覚を肯定する。


 そして今度はその甘言に乗せられて、近くの公園で遊んでいた小学生を手にかけてしまったのだ。大人よりもか細い首の彼は息絶える瞬間苦しそうに藻掻いた。罪悪感も多少はあったが、その歪な高揚感に抗えずにいた。その幼い命が消えかけるのを目前にして、自分の口端が緩やかに持ち上がっていることに気づいた。

 

 さすがに近所の小学生が殺害されたとして世間では大きな話題になった。そのニュースを舞とテレビ越しに見ながら「世間では物騒なこともあるもんだな」などと他人事のようにつぶやいていた。


 そして再び自分の生活が単調な作業の繰り返しになってきた頃、また別の子どもに手をかけてしまった。この快感は癖になる中毒だと言ってもいい——いや、俺はすっかりと悪魔に取りつかれてしまったのだ。


 だが、場所が悪かった。ちょうど部屋の中で子どもと遊んだ後に舞がそこに入ってきたのだ。

 俺たちはしばらく見つめあったが、俺の次の行動は決まっていた。


 舞は俺のことを愛していた。俺も彼女を心底愛していた―—だから俺が憎むこの世界から彼女を救ってやったのだ。

 彼女がこの世界との柵が切れる瞬間、感謝すらしたのではないだろうか。そう考えると、瞳孔が開き切った彼女の顔にこれまでに感じたことのない愛着すら感じた。


 だが俺は舞の完成された体を目前にして、愛と狂気の間に苛まれていた。やがて俺は彼女を隠す考えに思い至ったのだ。——そうだ、完成された舞を見られるのは俺だけだ。


 ◆◆◆


 裁判所でそう供述して、俺に死刑判決が下った。4名もの人を殺めた連続殺人犯では仕方ない。自分が第三者なら同情の余地すらない。

 一審で死刑判決がでたものの、上告することもできると言われたが、国選弁護士しかつけていない俺に勝ち目など皆無だという事は言うまでもなかった。向こうの求刑は死刑一点なのだ。ただ、その判決を受け入れた。罪の意識から——とかそういったものではない。ことごとく疲れてしまったのだ。



 やがて俺の首に縄が掛けられて、刑が執行されようとしている。みんなは俺の死を望んでいるんだろう? 死んでやるさ。



 そういえば数日前に監修にきいた話では、舞の遺体はまだ見つかっていないらしい。無理もない——俺は彼女を安置した正しい場所を誰にも教えていないのだ。

 


あの事件から5年も経っているというのに——


 可愛そうな舞。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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