第三十六話「後悔」
「……ハァ」
更に怪しげな会話が続く。先ほどの会話と繋げるにはあまりにも矛盾の大きすぎる物であった。要は逮捕するといっておきながら、今の話ではあのガキを俺の養子にすることで、ある程度の美談としてうやむやにすると言った具合だ……俺の息子にしたところで、却って児童ポルノの容疑が固まってしまうとマール・ボルカトフは考えた。だが、早急に警察がこの事件を解決しようと必死になっていても、流石にこのような明らかな嘘で出来ている物を自信満々にやるわけがない。何かのメリットがあると判断した。
しかし、現在の材料ではその答えに行きつくには少しばかりの時間が必要だ。その時間の間に私が行動しなければ、逮捕のコース一直線で刑務所行きだ。もしくは例を見ない事件と言うのもあり、死刑の可能性も免れない。それに性犯罪の可能性も含まれていれば尚更だ。
「………」
私は悟った。変人であり、数多の本を読んではいたが天才ではない。そんな現実を痛感した。今の私では、この状況を自力で覆せない。敷かれたレールを進むしかない。奴等の用意した列車にだ。
「……そこの……そこのガキ。 名前はヌヴァーで良いのか?」
少年は頷いた。あまり見ない名前なもので印象に残りやすかった。あの死んだ両親は何を考えて、こんな名前を付けたのだろうか、疑問だ。
少年は名前を呼んでもらって心から嬉しそうにニコニコしていた。何が原因で俺に懐いているのか、それが一番の謎だった。優しく接した覚えなど、一度もない。だからこそに不思議だ。この少年の中では何が起こっているのか。
「なぁ、聞いておく。 何で私のそんな態度を見せる? 君に何かをした覚えはないのだが……」
「……! ……!」
彼は台所からとある食品を持ってきた。チョコレートだ……待て、おかしいぞ。確かにちょっかいを出す程度の目的でチョコレートを見せびらかした。だが、そんな出来事でこんな懐くわけがない。それをきっかけに何か重要な事が起こったと言う事か?
それに気になるのは、少年の両親を殺害した犯人だ。あんな意味不明な殺し方をしたとなれば、まず普通の人間ではない事は確かだ……人間なら良いが。理解の範囲の外にあるあの殺し方を無理矢理にでも理解しようとするとなると、どうしても“人外”と言うワードがチラついてしまう。
少年の両親の死に方は本当に不可解な点が多い。となると、あの剣を持った関係者の事も考えると、自然と人間なのか? という疑問も出てくる。
これだけではまだ材料が足りていない。頭のおかしい愉快犯が人類のまだ見ぬ方法で殺害した可能性だってある。
まぁ、推理するだけでは特定は無理であろうが。実際に現場の検証や手掛かりの発見、それに基づいた操作などが必要であるがそれは現在も警察がやっている事であり、その警察から解放されなければ今の私にはどうすることも出来ない。つまり、何も分からないのだ。
さて。私が思考している間にも少年は首を傾げて見つめてきた……本当にその瞳を止めてくれ。理由は知らないが、己の奥底にある感情的な何かが蠢いている。何だろうか、これは。
何か、何かが私とこいつにはある。そう、似て非なる何かだ。
「………」
「……?」
――――――ああ。その答えは簡単な事だ。直ぐに考えれば分かる事だった。境遇が似ていながらも絶対的に異なっている。私を生んだあの二人は……忘れよう、アイツらはもはや関係ない。私を育てたあの二人のじいさんの点で共通してるのかもしれない。
捨てられた私を発見して以降、世話をしてくれたあのおじいさんが思えば、今の私を作るきっかけを作った。
「笑顔を忘れるな」
その言葉のせいで、時折独りでに笑い出す。過保護気味に優しくされたせいで、妙に自分が自分らしくなれない時がある。まるで真面目な人間のような行動が自身にとっての正しい行動に思えてくるほどにだ。
私自身はそんな出来た人間ではない。なのにそのおじいさんが死んだ時には、私の心は激しく動揺した。それは別の事を考えなければならない位だ。
その後に気難しいじいさんに引き取られた時も同じだったかもしれない。変わる現実を受け入れたくなかった。だからこその奇行の連続……いや、それは元々だ。こんなことの為に私が狂うなんてありえないことだ、絶対に。
ありえない、ありえないんだ。私が情に動かされるなんて。ヌヴァーに同情なんてしない。その通りだ。
――――――少年は再度、見つめながらこう言った。
「一緒に……食べよ」
その言葉をきっかけにこの二人は共に一緒の道を歩み出した。苦労を共に乗り越え、長い家族としての生活を送るはずだった。マール・ボルカトフの人生において幸福など存在しなかった。