第三十三話「秘匿」
「神……くん、神くん」
「……そろそろ離れろ。 鬱陶しい」
ハッと気付いた少年は離れた。それでも涙目である事には変わりはない。大切な人が一人、戻って来たのだから。
「何……あった……?」
言いづらそうにしながらも少年は精一杯に言葉を述べた。
「首が痛いな……頭も痛い。 よくここまで来たな」
と、神……ではなくマール・ボルカトフはすぐ後ろに居た狼を見た。
「……なるほどな。 その狼に助けられたか。 で、お前はどこまで知った?」
きっとあの時の事だろうと思い、口に出そうとするが上手く出ない。多くの言葉は発せないようだ。
「元が赤ん坊のせいか、ポンコツめ。 とにかく、ここから出るぞ」
彼は怯むことなく立ち上がり、屋上から出て一階へと向かった。少年と狼もそれに付いて行く。
四階、三階へと降りていき、ついに問題の二階へと到達した。
「………」
一瞬の驚愕と戸惑いがありながらも一呼吸をおいて、彼等は素通りした。その顔は無表情を貫いているが思いふけているのは明白だ。
そこで少年は袖を掴んで引き留めた。
「………」
「……!……!」
やはり、このガラスの破片の集まりとへばり付いた血痕に無関係ではないと考えた少年は不自然に周りを見ながら、目で訴えた。
「……ここに居ても仕方ない。 とりあえず、一階に行くぞ」
渋々ながらも少年は理解して彼と共に降りた。
「「………」」
一階へと降りた彼等。立ち止まったマールに少年は緊張した。何をするつもりなのか、不安もあり期待している部分もあった。
「おい、オペ……一つ聞く。 これからどうする気だ?」
そんな答えは決まっていた。決心したことだ、揺るぎはしない。その決意を言葉に乗せて言うだけだ。
「……ける!」
「………」
「みんなを……助……ける!!!」
「……それが答えか」
そして、マールは一階の何もない空室へと入った。本当に何もない部屋……ではないのか。
マールは壁を探り始めた。ただ呆然と見ているわけにもいかなく。少年も探り始める。
探り始めて十分を超えた辺りでマールが見つけたようだ。
「……!」
壁に僅かな隙間があり、それに気づいたマールは四角に出来た隙間を迷うことなく押す。するとどうでしょう。部屋の隅の床は見事に開き、隠し階段が見つかるのであった。
「!!!」
少しながら驚いた少年を睨みながらもマールは隠し階段を先行して生き、少年もそれに続いて行った。
遺跡にあった、あの長くて暗い、変な顔が棲んでいたあの階段の事を思い出す。そのせいで今は手の震えが止まらない。
「……あの階段の事か」
マールは口を開く。何かを語ってくれるだろうか。
「……うん」
「……ハァ、マール・ボルカトフと言う男と神と言う男が居るのは分かるな?」
こくりと頷く。
「あれは神ではなくマール・ボルカトフの過去の記憶の現れだ。 今のお前と同じ年齢の頃だ、貴様の実年齢のではなくその見た目だ」
赤ん坊ではあるけど見た目は少年、されど中身は元の赤ん坊と現在の少年の精神年齢が激突して半壊した状態。少年としての意識もあれば赤ん坊としての意識もバッチリある。故に自分が時々何をしているのか分からなくなる。だから余計に彼には今は少年であることを強く維持してもらわねば。
「……そんなにこの傷が何なのか知りたいか?」
「……!!!」
少年は首をひたすらに縦に振り続けた。これ以上の秘匿はさらに深刻な事態を招くとして、マールは一呼吸をおいて、そもそもの始まりを語り始めた。
少なくとも、まともな教育を受けている筈のマール・ボルカトフの精神構造はイカれていた。出産直後の赤子を捨てる親の子だ。嫌にでも似ている部分があるのかもしれない。
一人になり大人になってもそれは変わらない。彼は他人が嫌いだ。今ある生活が幸せだ、不満だ、金を寄越せ? 下らない、そんな物はただの世迷い言だ。生きたくば、そこら辺の虫、草、魚や動物を喰らえばいい。
野蛮的? それは結構な事だ。なら、その野蛮的な行為を窮地に立たされた時も実行しなければいい。死ね。
この世界も嫌いだ。庶民だろうが何だろうが自身の幸福しか求めない。それは当たり前、その当たり前が一番嫌いだ。何故、他人に合わせなければならない。自然に身を委ねて生を受け入れる。それだけで世界は変わる。何もかも。
考え方も変わるしやりたい事も変わってくる。だからこそ、この世界が嫌いになった。
何もない世界は美しい。理想を一から作れるからだ。けれど、私に具体的にどう世界を変えるかなんて考えていない。ならどうする。
世界を変えるに相応しい何か。マール・ボルカトフは深く考え込んだ。
ふと、彼は窓から外を覗き込む。バカだらけだ。
赤ん坊を抱え込む母親が一人、垣間見えた。
「……ふーん、その手もあるか」
それは実行するにはあまりにも最悪な事だった。何故、出会ったのか。本当に最悪だ。この出会いがなければ、今の事態はない。
……未来を思えば、これは正しいのかもしれない。