三話:兄さんと地理の授業を受けてみる
「ではアウグスタス様、続けましょう」
ミリー先生は休憩から戻ってきた兄さんを机に座らせると、机の上に一枚の地図を広げる。
『マップ・オブ・エーテリア』と記された地図だ。
俺は兄さんとは一緒に座らず、部屋の隅に行って座る。
兄さんからの誘いには承諾したものの、父さんからの許可はまだ得ていない為、今日はまだ見学という形になる。
部屋の隅からでは兄さんが見ている地図は見えないので、俺は別の地図、『王都ヴィステリア見取り図』を見ることにする。
「まずは前回の復習から始めましょう。この街、王都ヴィステリアの場所を示してください」
「ここです、地中海の先端」
この屋敷がある街はヴィステリアと言うのか、しかも王都。
あっ、本当だ。『王都ヴィステリア見取り図』に描かれている屋敷の一つに赤い丸印が書き込まれてある。
兄さんが言った通り、街は地中海の先端にあるのだろう。街の南には港がある。
それにしても大きな街だ。円形の都市で地図の定規によると直径2里近くある。
海に面しているのにもかかわらず、街は半円形ではない。街はほぼ円形で、海に面しているのはごく一部だけとなっている。
「正解です。では、王国の場所と国境の位置を具体的に説明してください」
「はい、王国は大陸の中央にあります。北の国境はノースリム山脈の麓、東はミドル川、南はメドウ川、そして西はフェルデン川です」
兄さんは地図を指でなぞりながら、テキパキと国境の位置を説明する。
『エーテリア』というのは大陸の名前か。
兄さんはその中心を小さく四角形になぞっていた。どうやら、この王国は結構小さいようだ。もしかすると都市国家かもしれない。
国土とは対照的に大きな王都は4つの区域に分けられている。
まず、街の北側に位置するのは神殿地区だ。
名前の通りに、この地区に俺が行くことになる大神殿がある。
この地区には神殿関係の施設以外に数多くの貴族屋敷が立ち並んでいる。もちろん、この屋敷もだ。
神殿地区と呼ばれているにも関わらず、実際大神殿は地区の中央ではなく、街の中央に近い場所にある。
東側は工業区域だ。
ここには鍛冶屋や工房など、生産系の店や建物がある。王城や騎士団の駐屯地などもこの地区にある。
一見奇妙な組み合わせにみえるが、騎士団は王城を守るために近くに駐屯地を置く必要があり、騎士団の装備をいち早く整備するために鍛冶屋や工房が近くに集まる、と理にかなっている。
東側はなんと冒険者区域だ。
いたよ、冒険者。モンスターがいるとわかってからもしかしたらと思っていたら、本当にいたよ。
やはり、剣と魔法の世界に来たからには、一度は冒険者にならなければな。
この区域には、冒険者ギルドの建物の他に、貴族以外の市民の住居がある。そのため、宿屋や酒場、喫茶店などが集結している。
南側は商業区域だ。
工業区域が素材を入荷しやすく、冒険者区域に出店している商会が冒険者から買い取った素材を出荷しやすい場所にある。
街の南側が海に面しており港があるのも、商業地区が街の南にある理由の一つだ。
ふと兄さんのほうを見上げると、ミリー先生が地図を折りたたんでいた。
「よくできました。明後日クイズがあるので今日習った内容も復習しておいてください」
おお、見取り図にのめり込んでいたらミリー先生の授業を聞き逃してしまったようだ。
『マップ・オブ・エーテリア』は使い終わったようなので、それを机の上から拝借する。
広げてみると、地名や地形しか記されていないことがわかる。街や街道はおろか、国名や国境すら記されていない。ザ・教材といった地図で、実用性は全くなさそうだ。
他の街や国の位置情報も知りたかったのだが、残念だ。
エーテリア大陸は円形で、半径約5000里程ある。
大陸の中央には、南北に伸びた地中海があり、その地中海は南側が大洋につながっている。
大陸の南側は標高が高く、海と陸がつながるところは断崖絶壁になっている。
南西には無数の峡谷があり、断崖絶壁に関しては南の海岸にも劣らない。
大陸の中央一体は大草原が占めている。
その西、西海岸にかけては広大な樹海が存在する。
大陸の北側に平地はない。標高が半里を超える山々が立ち並ぶ大山脈だ。
この山脈は大陸の東側で南東に折れるため、大陸の北東、魔界と表記されている地域、には陸路で入ることは実質不可能になっている。
折れた山脈は東南海岸まで続くが、その表記が途中から火山群に変わっている。
「おい、ジュリアス」
また地図にのめり込んでいると、いつの間にか目の前まで来た兄さんが声をかけてきた。
「今日は見学だけどさ、全然聞いてないじゃないか」
「あはは」
仕方ないじゃないか。俺は聞いて学ぶより見て学ぶほうが得意なのだ。
「今日はもう授業終わったから、ダイニングルーム行くぞ。そろそろディナーだ」
「はーい」
兄さんはそう言うと、さっさと部屋を出ていってしまう。
もうそんな時間か。結構な間地図を見ていたようだ。
俺は『マップ・オブ・エーテリア』をミリー先生に返すと、兄さんの後を追う。
ダイニングルームは屋敷の一階、玄関付近にある。
キッチンからは遠いが、もしゲストが食事に来た時に、ゲストにとっては便利な位置となっている。
ダイニングルームに入ると、既に家族全員が食卓についていた。
「姉さんおかえり」
転生して初めて会う姉さんに挨拶して、姉さんの向かい側に座る。
「ジュリアス、ミリー先生の授業受けたんだって?」
「見学だけだったけどな。全然聞いてなかったけどな」
姉さんと転生して初めての会話だというのに、兄さんが茶々を入れてくる。
「姉さんはなにしてたんですか?」
「学園で女としての窘めを習ったわ」
「お化粧とかですか?」
「そうよ」
6歳児にそんなことを教えているのか、お嬢様学校というのは。
高学年になったら一体何を教えられるのやら。
「ジュリー、ミリアンヌからジュリーが2桁の掛け算を暗算したって聞いたけど、本当?」
「偶然だろ偶然」
あの時答えっちまったのは失敗だったな。
確かに、現代知識全開で天才少年としてちやほやされるのも悪くないかもしれない。
だが、俺の才能に嫉妬して危害を加えてくるやつもいるかもしれない。
実際に、兄さんは俺が問題を解いたことに否定的だ。
能ある鷹は爪を隠す、俺はむやみに現代知識を披露するべきではないな。
「そ、そう。偶然」
「12掛ける12は?」
「144」
とっさに偶然だと言い誤魔化していると、父さんが突然問題を吹っかけてきた。
嵌めやがったなクソ親父、反射的に答えっちまったじゃねぇか!
「あはは、掛け算は得意だから」
苦しい嘘で誤魔化してみる。
「じゃ、じゃあ、1から100足してみろ。もちろん暗算で」
俺より頭が良いこと証明したいのか、今度は足し算の問題をだしてきた。
いやいや、そこは引き算か割り算を出そうよ。
それにこの問題、足し算で解くなら難しいっていうより面倒くさいだけだし、掛け算なら簡単に片付く。
どうしよう、ここは答えないのが力作だと思うのだが……
「えーっと、1足す2は3で、3足す3は6……」
「5050」
出来ないと嘘をつこうと思っていたのだが、姉さんが自分も挑戦すると言って、可愛く指を折りながら解きだすので、カッコつけたくなってしまった。
どうやら異世界に来ても俺の自慢癖はなくならないようだ。まあ、来てまだ半日しかたっていないがな。
「なっ!」
「えー!」
答えを知っていた兄さんは俺が答えを出した速さに驚く。姉さんも驚く。
「ジュリアス、答えを知っていたのか? それとも、今解いたのか?」
父さんが真剣な眼差しで聞いてくる。
はあ、だから知識を使うのは嫌だったんだよ。
どう答えるべきだろうか。
この問題は数学者カール・フリードリヒ・ガウスが小学校で出された課題と全く同じだ。
だから勿論答えは知っていた。でも、解き方も知っている。もし似たような問題であっても、難なく解ける自信はある。
「知っていました」
「なんだビックリした」
俺が解いて答えを出したのではないとわかると、兄さんは胸をなでおろす。
「でも、解き方も知っているので、似たような問題でも同じくらいの時間しか、かからないと思います」
「ん、どういうことだ? 足さなきゃいけないのだぞ。そんな早くできるわけ無いだろ」
「ジュリー、あなたこの問題は掛け算の問題だって気づいたのね」
いえ、気づいたのはカール・フリードリッヒ・ガウスです。
「掛け算? なんで?」
「1足す100は101、2足す99も101、50足す51も101。つまり、101になる組み合わせは50組ある。だから101掛ける50で5050」
兄さんは母さんの指摘に首をかしげるので、俺が説明してやる。
その説明に母さんは誇らしげに微笑むが、兄さんと父さんは目と口が大きく開いたまま閉じない。
「やっぱりジュリーには魔道士の才能があるわ」
「心配するなガスト、お前は剣士になるのだから数学ができなくても大丈夫だ。俺もできないから……うん、大丈夫だ」
俺には魔道士の才能があるらしい。
あれか、INT値が高ければ高いほど魔法の威力が上がるというRPGロジックか。
そう母さんが俺を褒めている横で、父さんは落ち込んでいる兄さんを励ましながら自ら落ち込んでいる。
まさか転生初日から現代知識の披露もするとは想定外だった。
想定外と言えば、異世界の文明・科学レベル、モンスターや冒険者の存在、住居の所在地なども初日に知ることができたこともそうだ。
テンプレとは違い、2歳児に転生したことで発生した2年間のタイムロスは、またもやテンプレ外れのスピードで知識を得られたことによって、なんと初日で無くせた。
テンプレ通りの異世界なのにテンプレには沿わないシチュエーション。どうやらこの世界は俺を楽しませてくれるようだ。
ああ……、転生したこと自体をこれっぽっちも想定外と俺は思っていないことに気付いてしまった。もしかすると俺は隠れオタクだったのかもしれない。恐ろしや……