十九話:ゴムとタイヤ
俺の剣撃によって、アテン商会キャラバン隊の隊商が停車している方向へと傾いてしまった、植物魔獣プランタクルス。それに火属性魔法『ファイアーボール』を撃ち込もうとエーテルを手の平に溜める、隊商代表マーク・バーリの娘、ローズ。
「おい、馬鹿やめろ!」
俺は慌ててそれを止めるように忠告するが、ローズはそれを聞かず、そのまま『ファイアーボール』を放つ。
直撃を受けたプランタクルスの上半身は、下半身から引きちぎられ、先頭から二番目の馬車へと激突する。
「大丈夫か?」
俺は馬車へ駆け寄り、運転手の安否と馬車への被害状況を確認する。
「ええ、なんとか」
幸いにも、プランタクルスが突っ込んでくる前に運転手は馬車を降りて避難していた為、難を逃れていた。馬車自体も、プランタクルスが『ファイアーボール』を撃ち込まれた時点で、既にエテリアスへと還元しだしたので、それほどのダメージを被っていなかった。
ただし、馬車が横へと衝撃を受けたため、木製の車輪がストレスに耐えられず折れてしまっていた。
「これ、何とかなります?」
キャラバン隊の修復を担う大工も駆け寄ってきたので、大破してしまった車輪をどうするのか聞いてみる。
「うーん、難しいね。折れたスポークとリムならスペアがあるから大丈夫だけど、タイヤが取れてしまって変形しちゃっているからね……」
ちなみに、彼が言うタイヤは、現代日本人が想像するような空気入りのゴム製タイヤではなく、鉄などの金属製である。
金属製タイヤというのは、過熱した金属をホイールの上に置いて焼き入れをし、金属が冷える過程で収縮することによって、しっかりとホイールに嵌まるのである。
その為、馬車は大工が作るが、車輪は鍛冶屋が担当している。タイヤが無事であれば大工でもなんとかなったかもしれないが、変形してしまっては鍛冶屋に直してもらう必要がある。
「タイヤがないと直せても、早くは進めないね」
確かに。車輪に強度を持たせるのがタイヤだ。タイヤが外れたまま走行してしまうと、木製のホイールが使い物にならなくなる程の傷がついてしまう。
車輪の一つや二つだけなら何とかなったかもしれないが、前輪後輪4つ共にやられてしまっている。
他の馬車と車輪の交換をすることもできない。馬車の種類が違い、よって車輪の大きさも違うからだ。
どうすれば減速せずに旅を続けられるのか、という思考は、マークさんがローズのもとへと駆け寄る音で中断される。
「ローズ、大丈夫だったか?」
「うえ~、アイツに汚された~。この白いのベタベタするし、うえっ、臭~い」
ローズは俺を指差しながらとんでもないことを言う。
ローズを助けた後、彼奴の状態を確認していなかったが、改めて見てみると確かに、白く高粘度な液体でぐっしょりと濡れていた。
あの液体は、俺が雄蕊を切り落としたときに飛び散った、プランタクルスのドロップアイテムである粘液かなんかだろう。
まったく、俺を非難していったい何を達成しようとしているのだか。
「ローズ、いい加減にしなさい。ジュリアスくん、娘を救ってくれてありがとう」
俺への非難はマークさんに全く取り合ってもらえず、ローズのプライドを保とうとする努力は無駄に終わった。
ざまぁねぇ。
「いえいえ、娘さんも護衛対象なので、仕事をしたまでですよ」
でもまさか、護衛対象が護衛対象を傷つけるという珍事は想定外だったけどな。
マークさんは、ローズに掛かった粘液を拭き取っていたので、俺はローズのプライドを更に逆撫でてやろうと思い、マークさんを手伝うことにする。
ローズの顔を拭ってやろうと腕を伸ばすが、手拭いがローズの顔に触れる寸前で俺は直感的にその腕を止める。
この独特な匂い。いや、まさか。
「ジュリアス様、プランタクルスのドロップアイテム集めておきました」
そこに、白い液体が入った容器を持ったユータが戻って来る。
俺は咄嗟にその容器をひったくり、液体の匂いを改めて嗅ぐ。
「やはりか! ユータ、これラテックスだぞ!」
ラテックスは、簡単に言えば樹液だ。植物が分泌する主に白や黄色の乳濁液であり、空気に触れると凝固する性質を持っている。地球では、ゴムノキ類から採取した樹液のことを言う。
つまり、ゴムの原料なのである。
「ラ、ラテックスですか……何ですかそれは」
「マークさん。タイヤ、作れますよ」
これが、もしただの魔物のドロップアイテムだったら難しいかもしれないが、プランタクルスは魔獣だ。つまり、プランタクルスの元になり、ラテックスを分泌する植物がこの林の中に生えているはずなのだ。
「本当かい? もしかして、それでかい?」
流石商人と言うべきか、俺の自信満々な発言にポテンシャルを見出して、俺が提案することに疑惑と好奇心で食いついてくる。
ゴムタイヤを作るのに成功すれば、それが売れることは確かだ。何せこの世界には、まともなタイヤやサスペンションがないにもかかわらず、道路に凹凸が激しい石畳舗装をする馬鹿どもが蔓延っているのだから。
「はい、大工さんと娘さんを貸していただければ、明日の朝までには作れます」
ゴムを作るには、実際、ラテックスを乾燥する過程で5、6日掛かってしまう。だが、事前にタイヤに合ったサイズの型枠を用意し、ローズの火属性魔法を使えば何とか短縮できるはずだ。
「ならちょうどいいですね。今からホイールを修復しても、作業が終わるのが暗くなってからになりそうですから」
隊商のリーダーであるマークさんの指示を丁度仰ぎに来た大工さんが、俺のアイデアをサポートしてくれる。
「分かった」
マークさんは太陽の位置と馬車の被害状況を再確認して決断を下す。
「今から無理に動いても、日が明るいうちに林を出るのは無理だね。野宿の支度や見張りは他の者に指示するから、君たちは車輪の修理に専念する。君たちはそれでいいかい?」
「はい。でも、もし魔物が来たら俺達を呼ぶように指示してくださいね。一応そっちが本業なので」
タイヤを作る許可を得られたので、俺たちはマークさんと一旦別れ、立往生になった馬車へと戻る。
戻ったところで、大工さんが自己紹介を始める。
「改めてこんにちは、護衛のジュリアス君。僕はアテン商会キャラバン隊の大工ルーイスだ、本業は商人だけどね。気軽にルルって呼んでくれて構わないよ」
あ、やっぱりね。商会が壊れないかもしれない隊商の馬車の為に、わざわざ大工を雇っているというのは奇妙な話だと思っていたが、やっぱり商人兼大工だったか。それに、もし保険の為に雇っていたら、鍛冶ができる大工か、鍛冶職人も雇うだろうしな。
「こんにちは、元貴族のジュリアスです。それで、こっちが俺の下僕のユータです。早速ですけど、ホイールの円周と幅分かりますか?」
「もちろん、円周は6尺3寸、幅は2寸だよ」
「じゃあ、ルルさんは幅8寸、長さ6尺5寸、高さ5分の型枠を作ってください。ユータ、お前はプランタクルスの元になった植物を探して樹液を大体この容器3つくらい取ってきてくれ。ローズ、お前はちょっとそこへ座れ。お前はその傲慢さとプライドについてちょっと説教する必要がある」
俺はルルさんに大工仕事を頼み、ユータをお使いに向かわせ、ローズに満面に作ったスマイルで微笑みかける。
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ルルさんが型枠を作り終え、俺がローズの説教を終えたころ、林の奥からユータが大きな革袋を担いで戻ってきた。ちなみに、ローズへの説教はマークさんとの二人がかりの作業となった。
「おいおい、もう採取できたのか? 随分と早かったな」
ユータから革袋を受け取って中身を確認する。
いくらなんでも早すぎる。ユータがラテックスを採取に林へ入ってからまだ一刻も経ってない。
この世界のゴムノキはどうか知らないが、地球のパラゴムノキは1本から一日採取できる量は30㏄だ。ユータが容器を3つ用意したとして、2時間で採取できる量は多くて7.5㏄ってところだ。
「丁度プランタクルスが発生していたのでそれを狩ってきました。あと、プランタクルスの元になる木は見つけたのですけど、あれ全然ラテックス分泌しないですよ」
なるほど、だから早かったのか。
こっちの世界でもラテックスが採取できる植物は木か。それなら採取の仕方も分かるから、量産も可能だな。
「まあな。自然に分泌させて一日3勺程度だ」
「うわー、鬼畜だわこいつ。プランタクルスいなかったら明日の朝までにタイヤ作るなんて無理だったじゃん」
「おいおい、ユータを過小評価してもらっちゃ困るな。ユータならプランタクルスがいなくても、水属性魔法でラテックスを絞り出してたさ」
ローズは俺のコメントに絶句しながら、ユータに憐みの目を向け、流石にユータもこの無理難題を出した俺にジト目を向けてくるので、俺はユータを褒めて宥めてやる。
さて、俺がこれから作るタイヤは、現代人が知っているような空気入りタイヤではなく、総ゴムタイプのタイヤだ。さらに、1839年にチャールズ・グッドイヤーによって発見された、弾性限界を大きくする加硫は行わない。
ちなみに、空気入りタイヤは1845年にロバート・ウィリアム・トムソンによって発明されており、あまり知られていない話だが、総ゴムタイプのタイヤの特許は、あのダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルが取得している。
早速ラテックスを型枠に流し込みたいところだが、ラテックスを固めるにはまず、酸を添加しなければならない。先程、ローズを説教しているときにマークさんから買い取っておいた酢酸をラテックスが入った革袋へと投入し、かき混ぜる。その後、型枠へと流し込み、半固形化させる。
通常ならば、半固形化したラテックスは、プレスローラーでシート状に成形され、5、6日ほど自然乾燥されてゴムになる。だが、この世界では魔法が使えるので、俺が工学魔法の『プレス』で手っ取り早く、型枠に合うように圧力を加え、ローズが火属性魔法で乾燥を促す。
ゴムのシートが乾燥したら、型枠から取り出し、必要な大きさに剣で切っていく。最後に、ルルさんが直したホイールへゴムのストリップを巻き付け、両端を工学魔法『ウェルド』でくっ付けてタイヤにする。