十話:少年
エーテリア大陸の中心部に、ヴィステリア王国という名の小国が存在する。
その王国に都市はたった一つしかない。
王国の東部に位置し、王国の首都を担う都市、名を国名と同じく王都ヴィステリアという。
この街は、小国唯一の都市ではあるが、決して小さくはない。
城壁から城壁まで二里と大陸全土で第二の巨大さを誇り、人口で比べるのなら90万人と大陸随一だ。
この街がここまで発達したのには、大陸の地形と街が築かれた場所に大きな要因がある。
このエーテリア大陸は一つの大陸と考えられてはいるが、事実上は二つに分裂している。
大陸の南側から内部にかけては地中海が存在し、北側には山脈が聳え立っている。
そして、地中海の海岸から山脈の麓までには狭い平原が広がっている。
その平原に、地中海に面するように築かれたのが王都ヴィステリアである。
「全ての道はヴィステリアに通ず」と言われるように、大陸を横断するには必ず通る必要がある街となっている。
そんな街に人が集まり、冒険者ギルドの本部や商業ギルドの本部といった様々な施設が利益を求めて根を張るのは必然的なことである。
ヴィステリアに通ずる「道」は陸路だけではない。
街の南には港があり、海洋貿易も盛んに行われている。
王都ヴィステリアの繁栄を表しているのは街の大きさと人口の多さかだけではない。
街の北側のある貴族の居住区は大陸のどの街よりも豪華爛漫で、王城は難攻不落の武装を備え、庶民の為の娯楽施設が街の至る所に点在している。
しかし、そんな街にも繫栄に恵まれず、発展が滞り、闇に埋もれた場所がある。
スラム街。
街の南側は商業地区とされ、その地区の大通りには港や商業ギルドの本部をはじめとした様々な営利組織の建物や商店が並んでいる。
そんな、街一金が行き来する地区の奥、裏路地の行く末にそれはある。
いや、ここまで大きく富んだ都市だからこそ、貧富の差も激しくなり、このような場所が必然的にできてしまうのかもしれない。
――――――――――
王都ヴィステリア、商業地区、中央通り、
そこを一人の少年が駆け抜ける。
「気を付けろ、バカヤロー!」
混雑している通りを駆けていた少年は男にぶつかる。
当たり前のような結果だが、実は少年がわざとぶつかったのだ。
少年の手が男のポケットに入り、小銭入れが抜き取られる感覚をなくす為に。
「ごめん、ごめん、おっちゃん! 急いでたんだ」
少年はぶつかったことには素直に謝り、走り去る。
そして、新たな獲物を見つけるために人ごみの中を徘徊しだす。
「なぁ、チャドリック。心配性すぎないか?」
「何をおっしゃいます、ジュリアス様。この通りのすぐ裏にはスラム街があるのですよ。スリや暴漢にはくれぐれも注意してください」
「へー、スラム街ねぇ。こんな街にもあるのか」
少年の耳に留まったのは、貴族らしき少年とその彼のバトラーらしき男との会話だった。
「あの服装は、貴族の坊ちゃんってやつか? 注意されたのに全然警戒してねーな。この街の厳しさってのを教えて差し上げますよお坊ちゃん。もちろん、授業代は頂きますよ」
癖になった小声の独り言を口走り、標的を貴族の少年へと定める。
そして、また走り出す。
「いてー!」
少年はジュリアスと呼ばれた貴族の少年にぶつかると、その拍子で彼に覆いかぶさるように倒れる。
倒れこむことは計算外だったが、もちろん、スルことは忘れない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。急いでいたんです」
少年はすぐさま起き上がり、いつも通り素直に謝り、走り去る。
「大丈夫、大丈夫。気にしてないから」
ジュリアスは貴族らしからぬ気前の良さを見せる。
「ジュリアス様、ご無事ですか? ん? き、君、待ちたまえ!」
「どうした? あっ、アアー! スラレター!」
少年は後方から聞こえてくるジュリアスの悲鳴を聞き、満足そうに微笑む。
「ざまぁ」
――――――――――
「ただいま」
商業地区、港に最も近いスラム街の一角、そこに少年の住居がある。
「あら、おかえりなさい。今日は早いわね」
「お兄ちゃんおかえり!」
少年には若い母と弟が1人いる。
父はいない。
「今日はいい収穫があってね」
少年はポケットから小銭を取り出し、母親に手渡す。
「こんなに……あなたいったいどうやって?」
「まぁ、いろいろね」
少年は誤魔化す。
母親には年齢を偽って冒険者ギルドで働いていると言ってある。
貴族の子供から剃った、などと言えるわけがない。
「そう」
母もそれ以上は追求しない。
スラムに住むものにとって金の出処など気にする余裕などないからだ。
少年が早く帰ってきたのにはもう一つ理由がある。
家族全員で食事をするためだ。
彼の母は普段、日中の仕事を終えると一旦家に戻り、彼の弟と食事をし、彼が帰ってくる頃には夜の仕事へと出かけてしまっている。
少年は一度母親の後をつけたことがある。
彼の母親は昼中の服装よりきわどい服装をし、中央通りへと向かった。
彼女はそこで、男が通り掛かるたびに声をかけ、男が聞く耳を持たず過ぎ去るたびに辛そうな顔をした。
そして、興味を示す男がいると、共に宿屋へと入っていった。
しばらくすると、二人は出てき、母親は男から金を受け取ると帰路に就いた。
少年は母親の行動について追及することはなかった。
子供だからと言って無知でいられるほどスラムは優しくないからだ。
少年は母親の行動を責めることもなかった。
むしろ自分を、育ち盛りで、家族で最も食料を必要としながら、小銭程度の金しか稼げない自分を、責めた。
少年はどうにか家族を救おうと長らく考えていた。
そして、一つの計画を練り出した。
今日、久し振りに母親と夕食を取り、計画を実行に移す覚悟ができた。
少年は夜の仕事のために出かける母親を見送ると、
手紙を書き始める。
少年は彼がこれまでやってきたことについて告白した。
母親の夜の仕事について知っていたことも書いた。
家族の出費が二人の収入より多いこと、その出費の大半が自分の為だということも。
そして、少年が考えた計画のこと。
手紙を書き終えると、弟を寝付かせる。
少年は外出する準備をし、手紙をリビングのテーブルに置くと、家を出る。
――――――――――
王都ヴィステリアは最初から大きかったわけではない。
街に人が増え、窮屈になるたびに新たな城壁が築かれ、街が大きくなっていった。
そうして使われなくなった城壁は、邪魔とされ、取り壊されていった。
だが、もともと邪魔になるような場所になかった城壁は、現代まで取り壊されずに残っている。
ヴィステリア港の東側に位置し、海に突き出たこの場所も、そのような城壁の一部である。
少年は旧城壁の端に立ち、数十フィート下にある海を眺めていた。
「これしかないんだ」
少年は悟った。
母親が一生懸命稼いだ収入の大半は自分の口の中へと消えていくことを。
少年は手伝った。
自分の食費ぐらい自分で稼ごうと頑張った。だが、スリで得られる収入など高が知れていた。
少年は見た。
自分が成長するにつれ、必要な食料の量が増え、その度に母と弟が窶れていくことを。
少年は決めた。
自分は家族から消えると。
ただ消えるだけではだめだと、少年はわかっていた。
彼の母親は優しくて面倒見の塊のような人物だ。
少年が行方不明になれば、大金をはたいて冒険者を雇い、少年を見つけ出そうとするだろう。
少年は自分を奴隷商に売り飛ばすことも考えた。そうすれば少なからずとも金が入る。
だが、結果は同じだ。大金をはたいて、少年を買い戻そうとするだろう。
だから母親にあきらめさせる方法しかないと少年は考えた。
ここから飛び降りれば、朝には亡骸が岸に流れ着くだろう。
「これしかないんだ……」
少年は一粒の水滴が頬をたどるのを感じた。
彼は何を今更と言わんばかりにそれを拭い、自分を戒めた。
彼は再度覚悟を決め、短かった人生最後の言葉を放つ。
「さようなら」
そして、彼は飛んだ……
いや、飛ぶはずだった。
「えっ」
数十フィート下へと落下しているはずだった少年は、何者かに片手をつかまれ、旧城壁の端で宙吊りになっていた。
「なあ、
お前が捨てたその命、俺が拾っても文句は言えねぇよなぁ」