COTTONの元
それは、誰にだってある、ありふれた思いなのかもしれないけれど、
なんだか私はいつもうっすらと孤独な気分でした。
生まれてすぐに、お店をやっていた祖父母の所に一人で預けられていたせいか、
周りはいつも大人ばかりで、ほとんど同世代の子供と遊んだことがないまま育ちました。
自ずと大人の話しばかり聞かされることになりました。
お店の影響なのか、私は八方美人で、友達は沢山できたけれど、
それでもやっぱり孤独な気分でした。
断わり下手で、なるべくみんなに話を合わせていたので、友達はいたものの、
本当は、好きな映画も、漫画も、音楽も、小説も、なんだかみんなから微妙にずれていました。
たぶんお店のお客様たちの影響なのかもしれません。
常連のお客さんの膝の上で憶えたものが全てだったのだから仕方がありませんでした。
でも、思春期の頃、両親に連れて行ってもらった関東某所の或るお店で少し気持ちが変わりました。
そのお店では、プロの音楽家や、絵描きさんや、八百屋さんや、おまわりさんや、トラックの運転手さんや、大学教授や、サーファーの質屋さんや、デパート勤めのおねえさんや、エリート社員さんや、
種々雑多な人たちが思い思いにお酒やお茶を飲みながら談笑していました。
性別も年齢もお仕事も学歴も経済状態も生い立ちも立場も関係ない、
クラスレスで、自由で、マニアックで、
子供の好奇心と、大人のマナーを知り尽くした人たちの秘密基地のようでした。
私のように、いつも誰かと比べて凹んだり、本音を隠す人はいませんでした。
みんな大人なのに全く私を子供扱いしませんでした。
叱るのも褒めるのも直球な人たちでした。
大袈裟と笑われるかもしれないけれど、いつも魂で話してくれました。
そのお店には昼のマスターと夜のマスターがいて、店内の空気を読みながら、
クラッシック・ジャズ・演歌・歌謡曲・ボサノバ・民族音楽等々、
幅広い知識を元にステキな選曲をしてくれました。
わたしの14歳の誕生日は、そのお店の人たちが祝ってくれました。
その日、私は、誤って少しだけアルコールの入った飲み物を飲んで酔っていたらしく、記憶定かではないけれど、
泣きながら「ねぇー!みんな何処にいたの~!?」と聞いて回ったそうです。
後から聞いた話ですが、ふたりのマスターは、にっこり笑って
「ここで君を待っていたんだよ」と言ったそうです。
今は、もうそのお店はありません。
なんだか出来すぎたお話しだなぁと思われるかもしれません。
でも、案外と現実はロマンチックなことが用意されているものだと思うんです。
それで、今度は私がこの台詞を言ってみたいんです。
『ここで 君を 待っていたんだよ』