呪われた子が産まれたので、集落が滅んだのだが
この作品は、過去に書いた短編の外伝です。
一応、この作品単体でも楽しめます。……たぶん。
アルヴ大陸中央に広がるヴィスエジャの森には、ゴブリン族の集落がある。
その集落では七十を超えるゴブリンが、森の恵みを得ることで暮らしていた。
自然に生きる動植物を狩り、それを食べて命を繋ぎ、やがて自然に還る。
それがゴブリン族の生き方だった。
「また、やつらが来たぞ!」
「武器を取れ! 殺セ!コロセ!」
……だが、今のゴブリン族はその自然の摂理からかけ離れた姿であるように思える。
ニンゲンと呼ばれる存在が森にたびたび侵入するようになってから、自然が、ゴブリン族がどんどん狂っていく。
それに対抗しようとするゴブリンは、気付けば怒りに囚われ、統率の取れた行動ができなくなっていた。
このままでは、森をニンゲンによって支配されてしまう。
今は魔獣がニンゲンを襲うことで森が護られているが、今後もそれが通じるとは思えない。
『何だこいつら!?くそっ!止めッ!?』
ほとんどのニンゲンの力は弱く、ゴブリンにとって脅威になることはないが、私が恐れているのはその数である。
おそらく、ニンゲンが数に任せてゴブリン族と戦ったなら、負けるのはゴブリン族であろう。
私には、ニンゲンが全てを破壊する悪霊にしか見えなかった。
(何としても、ゴブリン族を護らなければ……!)
たった一人でもいい。ゴブリンという種を後世に残さなければならない。
一人でもゴブリン族の、その教えを受け継いだ者がいれば、再興することだってできる。
だが、もしも、
「あなた、この子がまたお腹を蹴ったの」
教えを受け継ぎ、生き残ってくれるのが私の子だったなら、私は他に何も望まない。
「ああ、元気な子が産まれるといいな」
「私はね、男の子でも女の子でもいいの。ただ元気に生まれてきてさえくれるなら……」
私の妻は、私が旅をしていたときに出会った。
出会った頃の優しさは、今でも変わらない。
旅をしていた頃、私は愚かにも道ゆくニンゲンに襲いかかるなどという行為を繰り返していた。
ニンゲンという種が憎く、この憎しみがどこから来るのか知りたくて無謀なことだと知りながらも止められなかった。
しかし、ある明け方に襲ったニンゲンが異常なほど強く、命からがら逃げ出したことがあった。
傷だらけで、今にも死にそうなほど弱っていた私は、意識が朦朧としながらも闇雲に歩き回った。
そうして辿り着いたのが、後に妻となる娘の住む、ホブ・ゴブリン族の集落だった。
余所者であるはずの私はその集落で歓迎され、特に気に掛けてくれたのが一人の娘だった。
集落で受けた献身的な介抱により私は順調に快復し、ある疑問を抱いた。
(ニンゲンへの憎しみの根源の追求に、意味はあるのか?)
なぜニンゲンが憎いのか、その問いに答えが出たところで何も変わらない気がしたのだ。
むしろこんなことに時間とエネルギーを費やすよりも、同胞の為になるようなことをした方がいい。そう思えてきたのだ。
そう考えた私は傷が癒えるとすぐ、ホブ・ゴブリン族に礼を言い旅を続けた。
今度はニンゲンに襲いかかるなどということはせず、ニンゲンの文明を、技術を観察し始めた。
私が憎んでいたニンゲンが、弱いはずの存在がなぜ強かったのか。
その秘密を探るようにひっそりと、遠くから見ていた。
不思議と、そうして同胞の為に尽くそうと思っている間だけはニンゲンに対する憎しみが気にならなかった。
そして、ニンゲンの持つ技術のいくつかを理解した私は集落に戻ることにした。
途中、どうしても忘れられなかったホブ・ゴブリン族の娘に求婚し、なぜ旅に戻るときに声を掛けなかったのか、と怒られながらもこの愛を受け取ってもらえた。
妻を連れ集落まで戻った後は、族長に旅の間に学んだことを報告し、ニンゲンの技術を集落でも使おうと持ち掛けた。
「ならぬ。我らゴブリン族に伝わる教えを破ることは許さぬぞ」
「では、私が教えを破らないよう、改良して参ります」
集落を少しでも良くしようという私の熱意に負け、改良したものが教えに反しないならば使用を許可をもらった。
それから毎日少しずつ何人かの有志を集め、私の見聞きしたことを話し干し肉の作り方やより強固な家の造り方、武器の作成に勤しんだ。
何回も失敗し、再現の諦めた技術もあった。
しかし、結果として集落はこれまで以上に豊かになり、今まで五十人が限界だった集落の人口が七十人に増えたのだった。
それからしばらくして、ニンゲンが森に踏み入るようになり、ゴブリン族は憎しみの渦に囚われた。
しかし、最悪な出来事はその後に起こった。
「ウンギャアァ、ウンギャァ」
子が、産まれた。
まるでニンゲンのような肌を持ち、輝くような髪色のその子は、私に久しく忘れていた憎しみを思い出させた。
(この仔の姿は、私の本来あるべきはずの、姿)
「族長……これは?」
嫉妬のような、憤怒のような感情を振り払いながら、族長に尋ねる。
旅をしていた時ですら、ゴブリンからニンゲンが生まれることがあるなんて聞いたことがない。
「……これは、先祖返りかもしれんな」
……先祖返り。族長は、百年に一度生まれる呪われた子だと説明する。
確かに、森にニンゲンが攻め込んできている今、禍乱を招くとも言われたこの子は集落を滅亡に導く存在になるだろう。
(それだけは、それだけは避けなければ!)
「……では、この子の処遇はどのようにしましょう?」
気付けば私は、自分の子を殺そうとしていた。
族長の制止がなければ、私は自分の子の命を奪ってしまっていただろう。
「触らぬことじゃ。触らなければ、我らに害をもたらすことはない。村の者には死産であったと伝えよ。生まれた仔については、何人も他言無用である」
……私が、この子を守らなければ。
妻は、私たちの子が元気に生まれたことを知っている。
だから、妻には本当のことを話しこの子を隔離して育てることに協力してもらわなければならない。
村で安全に育ててやれないのは心苦しいが、このまま村に置いておけば仲間によって無惨に殺されてしまうだろう。
この子を暮らす場所は村から少し遠くして、万が一にも見つからないよう道に細工をしておく。
仲間に怪しまれないよう素早く木を切り、妻の魔法で整地する。
二人で力を合わせれば家だって造ることができた。
私たちの子どもは、ニンゲンのようにゆっくり成長するのかと思ったが、どうやら違うらしい。
生後四日ほどだが、立ち上がろうとしている。ゴブリン族の中でも早い成長だ。
二人で、自分たちの子どもの成長を見守るのは楽しく、一緒に暮らせないのが悔しくて仕方がない。
私は仲間にバレないよう、ニンゲンに対抗するための技術を見つける旅をするという嘘を吐いた。
これで、これから子どもが大きくなるまで片時も離れずに世話をすることができる。
(せめて、この子が大きくなるまでは一緒にいられる)
だが、私はこの子に触れることができない。
私が一度、この子の頭を撫でてやろうとしたとき、ほんの少し触れただけで私は自分を見失い、この子を殺そうとしてしまった。
それきり、私は妻に子どもに触らないよう忠告し、自身も誤って触れてしまうことがないよう気をつけた。
それから三ヶ月間、私はこの子が狩りの仕方を覚え、生き残るための術を叩き込んだ。
ただし、武器の存在や扱いは一切教えなかった。
万が一にもこの子が武器を持つことで、生き残るため以上の力を得てしまうことを防ぐためだ。
武器は扱えずとも、罠や素手でも獲物を狩る方法は教えた。
あとは妻がこの子に教育を施したら、私たちのできることは終わりだ。
(あとは、ニンゲンとの争いさえ終わってくれればいいのだが……)
私が集落に戻った四日後に、妻は子どもに会いに行った。
集落では男は狩りをし、女は集落で共同作業をしている。
そのため、怪しまれないように妻が合間を縫って子どもに会いに行くのが難しかったのだ。
私が子どもの様子を族長に報告し、妻にも子どもに会わせたいと相談してようやく妻が集落を出ることができた。
嬉しそうに集落を出た妻は、半刻も経たずに集落に戻ってきた。
狩りに出ようとしていた私は、一体どうしたと聞こうかと思ったが、止めた。
普段、冷静な妻が傍目にもわかるほど動揺していたのだ。
そして妻は、私に気づいた様子もなく家の食料を持って、すぐに走り去った。
「……あの子ね、狩りが上手くできないみたいなの」
再び、集落に戻ってきた妻が事情を説明する。
どうやらあの子は、身体一つで狩りをしていたというのだ。
教えたはずの罠は、手先が不器用だったために失敗し、代わりに鋭い聴覚で獲物を探し、挑んでは失敗していたらしい。
罠の扱いはそれなりにしっかりと教え、何度も作らせていた。
初めは上手く作れないものだと思っていたが、まさか諦めてしまうとは思わなかった。
仕方ないので、今度またじっくり教えてやることにしよう。
結局、子どもが自分で獲物を狩れるようになるまでは、妻が時々子どもに会いに行くことにした。
ついでに、ゴブリン族の教えも伝授してもらえばいいだろう。
だが、他のゴブリンが怪しむ前に私がまた罠の作り方を教えに行かなくてはいけない。
もう会うこともないだろうと思っていた。つい、顔が緩んでしまう。
そして、妻は最後に気になることを言っていた。
「あの子、最近大きくならないの」
ゴブリンが餓死をすることは滅多にない。
なぜなら、餓死をする前に老化で死んでしまうからだ。
ニンゲンとは違って、老いとは時の流れではなく、腹を空かせることなのだ。
だから、あの子が四日も物を食べてないのであれば老化が始まり、最悪死んでいてもおかしくなかった。
やはり、あの子は誰かに祝福されているか、それとも呪われている。
そうでなければ、餓えや老いで死んでいたはずだろう。
それから、妻が何日かに一回子どもに会いに行く日が続き、一時集落に平穏が訪れていた。
この平穏を族長は喜んでいたが、私は違和感を感じていた。
(まるで、嵐が来る前の前兆のようだ)
旅をしていた頃、晴れが続いたと思ったら嵐が来たことが何度かあった。
その時の得も言えぬ感覚が、どうにも拭いきれない。
だから、私はその日から常に何かが起こってもいいように警戒していた。
ゴブリン族が、いつも通りの朝を迎えた日のこと。
妻もおおそよ教育が終わり、今度いつ私が面倒を見てやろうか考えていた。
ところが、その日だけは胸騒ぎが止まらず、狩りに出ることも止めていた。
集落の中で働いていたゴブリンには、変な目で見られたが特に咎められることもなく、辺りの見回りをしていた。
気付けば、狩りの終わったゴブリンが続々と帰ってくる時間になり、気のせいだったかと気を緩めていた時だった。
「「グ……ッ……ギ……ャァァ……」」
「「ゴッ……オォ……ォ……」」
何が起きたのか分からないまま、咄嗟に下から襲いかかる何かを避けた。
目の前には、幾人もの仲間の死体が突き刺さり、転がっていた。
(敵襲か!?)
さらに、死角から男のニンゲンが襲いかかってきた。
敵がいることが分かっていれば、避けることは容易い。身体を横にずらし攻撃を避けた後、男を蹴り飛ばす。
男は、私が一筋縄ではいかないことを悟ると他のゴブリンを狙い始める。
あの様子を見るに、襲撃は一人ではないだろう。戦いを挑むには、分が悪い。
私は冷静に辺りを見渡す。
(……妻は、無事だろうか)
……一つだけ、血痕が秘密の道に続いているものがあった。
妻は、なんとしても子どもを助けたいのだろう。
私は、妻と子どもを守るべく集落を飛び出した。
(しかし、あの出血では、妻は助からないかもしれない)
認めたくないが、恐らく妻は致命傷を負っている。
だから、私は何としても妻を子どもに会わせてやらなければいけない。
私は、とある決心をしていた。
……森の、奥深くには森の守護者がいる。
気まぐれで、恐ろしく強いかの存在なら、あの忌々しい襲撃者どもを仕留められるだろう。
一人の父親が、森を走っていた。
大切なものを護るために、自分たちの歴史を終わらせないように。
その走りは決して力強いものではなく、今にも止まってしまいそうだった。
しかし、彼がその走りを止めることはなかった。たとえ、限界を超えていたとしても。
私は、いま、とてつもなく疲れている。足が、もつれて、今にもたおれそうだ。息は、できないし、胸が、くるしい。でも、これだけは、やりとげなければ、ならない。
だから、
「グゥゥッ! ギィヤアァァ!!」
この想いよ、届け。
『外伝β』は一週間後を予定しています。