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8話

 クリフさんがウィルソン家を訪れたのは、次の日の朝だった。

 しゃがみこんで一生懸命床掃除をしていると、玄関の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「チカコちゃん! チカコちゃんいる?」

「まあまあクリフさん。そんなに慌てて」

「あ、メリルさんおはよう。今日も綺麗ですね」

「やだわ、クリフさんまたお世辞を」

「お世辞なんてとんでもない。僕は思ったまま言ったまでです。――ところで、チカコちゃんはいますか?」

「チカコさんならあちらで床拭きを……」

「いるなら良かった。ちょっとお借りしますよ」

「はいどうぞ……ってえ?」


 さっきから何回も呼ばれているような気がしたけど……。まぁいいか。とにかく今は掃除に集中しないと。


「いた! チカコちゃん大変なんだ。すぐ来てくれ!」

「あれ? クリフさんどうしてここに」

「理由はあとで話す! とにかく一大事だ!」

「え? ちょ、ちょっと!」


 まだ掃除が――、と言いかけたと同時にクリフさんは私の手を取って走り出した。

 何? 一大事? どういうこと?


「ちょっとクリフさん、チカコさんをどこへ?」

「私の店です! 夕方には返しますのでー!」


 そのままウィルソン家の玄関を出て、門をくぐり抜ける。

 どうしよう、昨日ノエル……ノエル様にクリフさんには近づくなって言われたばかりなのに。でも一大事だって言うし……。

 それに、私……今日あずき色ジャージ着てるんですけど!


「その服いいね! ノエルのおさがりだろ?」

「そうです」

「似合ってるよ」


 走るスピードは落とさずに、ニコニコしながら話しかけてくる。

 やっぱり誰が見てもジャージ似合うのかな。似合うって褒め言葉のはずだけどなんだか複雑だな。

 今日ジャージを着ている理由はごく単純なことで、掃除中にバケツをひっくり返してしまい、メイド服がびしょ濡れになったから着替えたというただそれだけの理由だ。

 クリフさんが呼びに来た時は、ちょうど床にこぼれた水を拭いている最中だった。

 拭いている途中できちゃったけど大丈夫かな……帰ったら続きやらなきゃ。


そんなことを考えていると、あっという間にクリフさんの店の前まで来た。近道を駆使して来たので、昨日より五分くらい所要時間を短縮出来た気がする。すごいクリフさん!

 けれどやっぱり……ジャージ姿だとじろじろ見られて恥ずかしい。


「さあ、こっちへきてくれ」

「お、お邪魔します」

 

 招かれるままに店の足を踏み入れる。

 中央に小さな四角いテーブルに、白い木製の椅子が二つ。おそらくお客さんと打ち合わせをする時に使うんだろう。

 奥の壁は一面本棚になっており、様々な本がぎっしりと詰め込まれている。じっと見ていると、また書かれている言語が日本語に変化した。

 『植物図鑑』『動物図鑑』『レイジナ王国史』『心理学』……ジャンルもバラバラだ。


「こっちこっち」

「あ、はい」


 部屋の奥からクリフさんが手招きをしているので急いで駆け寄る。


「一大事って何です……」

「ニャア」

「え?」


 クリフさんの右腕に抱かれていたもの――それは、昨日ちらっと目が合った猫だった。

 丸い大きな目で、こちらをじっと見つめている。まるで私が何者であるかを観察しているような目つきにも見える。


「この子はシュシュっていう女の子なんだけど……」


 クリフさんが左手でのどを触ると、気持ちよさそうに目を細めた。

 か、可愛い!


「クリフさんの猫ちゃんですか?」

「そうだよ。うちの看板娘だ」

「ほんとに可愛いですね!」

「そうだろ? 実はね、この子に新しい毛布を作ってあげようと思ったんだけど、なかなか良いデザインが思い浮かばなくてね。チカコちゃん、何かいい案ないかな?」

「わ、私ですか?」

「そうとも」


 突然一大事だと連れてこられて、何かと思ったら猫の毛布づくり?


「これからレイジナ王国は冬を迎えるからね。あったくしてあげたいんだ」

「なるほど!」


 確かに。今はまだ比較的暖かいから床の上でゴロゴロしていてもいいけれど、冬になったらそれが出来ないよね。

 うん、確かに一大事かも。一気に寒さが襲ってくるかもしれないし。


「うーん、ちょっと考えてみます」

「よろしく頼む。あ、今お茶入れてくるよ」


 そっとシュシュを下ろして、クリフさんはキッチンのほうへと向かった。

 二人きりになった部屋で、改めて私はシュシュの顔をまじまじと見る。

 どうやら今日はそんなに警戒されていないようで、目を逸らされることはなかった。

 真っ黒でスマートな体と、意思が強そうな黄色い瞳。そこだけ見ると気高さそうに見えるけれど、後ろのしっぽはくたっと垂れ下がっている。


「なんかギャップがあるなぁ。チョコパルフェで言うと……そうだなぁ、エミちゃんタイプかも!」


 エミちゃんというは、チョコパルフェの最年長メンバーで今年二十二歳になるお姉さん。アイドルとしては珍しくきりっとした顔立ちで、ファンの間ではクールビューティーと称されている。すらりと伸びた手足を駆使したダンスはかっこよく、歌もメンバーの中で一番うまい。

 そんなカッコいい系アイドルの代表がエミちゃんなのだけれど、実は悪戯好きで、よくユイちゃんがターゲットにされている。悪戯を仕掛けられたユイちゃんはいつも大慌てして、その様子を最初は笑いながら見ているけれど、段々居た堪れなくなって最後にはエミちゃんが『ごめんねユイ!』とぎゅうっと抱きしめるまでが、いつもの流れである。


「エミちゃんと言えば、この間のライブのソロ衣装かっこよかったな」


 たしかこんな感じで……と、そばにあったペンと紙を拝借して思い出しながら衣装の絵を描いてみる。

 お、我ながらなかなか上手いぞ。

 光沢のある青の布生地をベースとした衣装で、右肩から斜め下にかけて白いラインが入っている。そのラインの縁にはこれまた白い小さなビーズが縫い付けられており、それがライトに照らされるとキラキラと輝いて見えた。


「お茶持ってきたよー。お、いいね、それ」

「クリフさんありがとうございます」


 ふわりと、リンゴの甘い香り鼻をくすぐる。


「アップルティー、好きかい?」

「はい、大好きです」


 クリフさんが淹れてくれたアップルティーは、ちょうど昨日見たポットとティーカップの看板が目印のお店が購入したものらしい。

 私も、後でのぞいてみようかな。


「へえ、それがデザイン?」

「あ、いえこれは……」

「何だか服みたいだけどいいんじゃない? な、シュシュ」

「ニャア」


 シュシュは私の持っている紙を見て、一度だけ鳴いた。そして前足で顔をこすり始める。


「どうやら気に入ったみたいだよ」

「ほんとですか?」

「ああ。シュシュは機嫌がいいと顔をよくこするから」


 なるほど、シュシュはエミちゃん推しか。

 ……なんて、しょうもないことを考えながらも、確かに衣装の柄を毛布にしてみるのもいいかもしれないと思い始めた。


「クリフさん、ミシンありますか?」

「ああ、あるよ。まさかデザインだけじゃなくて作るのもやってくれるのかい?」

「ええ! これでも私」


 裁縫に関しては自信がありますから――。


  *

 裁縫に目覚めたのは確か中学一年生の時だった。

 いつも可愛い衣装を着ているアイドルを見て、自分も着てみたいと思ったのが始まりだった。

 お母さんのミシンを拝借しては、せっせと衣装を作って遊んでいたのだ。もちろん最初は上手くいかず、何これボロ雑巾? と思ってしまうような出来だったけど、回を重ねるうちに段々上手くなって、今では自分で言うのもあれだけど、結構完成度の高いものが作れるようになった。

 ああ、神様。裁縫のようにどうか料理も……!!


「生地はたくさんあるから好きなの使っていいよ」

「分かりました」

「じゃ、私はお店のほうにいるから、何かあったらいつでも呼んでね」

「はい」


 クリフさんが置いて行ってくれた生地をざっと眺め、ぴったりの色を選び出す。

 実は、さきほどエミちゃんの衣装をそのまま描いていたけれど、私にもう一つ案があった。

 それは、私がチョコパルフェの専属衣装デザイナーになったらという妄想の上で考えていた、架空の衣装。

 それを毛布の柄にしようと思ったのだ。

 もちろん、シュシュはエミちゃん推し(予想)なので、エミちゃんの架空の衣装の柄にする。


「よーしっ! やるぞー!」


 気合を入れて、私は早速シュシュの毛布作りに取りかかった。



  *

 ミシン及び手縫い針と格闘すること二時間。


「クリフさーん! 出来ましたー!!」

「お、出来たか」

「はい! 見てください!」


 出来上がった毛布を抱えて、私はクリフさんのもとへ駆けつけた。じゃーん、と目の前で広げて見せる。


「これは、思った以上の出来だね」

「ほんとですか?」

「ああ。さっき描いていた絵とは違うようだけど……でもこれもいいね!」

「ニャア」

「ほら、やっぱりシュシュは上機嫌だ」

「シュシュ、新しい毛布だよ」

「ニャア」


 くるくると毛布でシュシュを巻く。頭をすっぽりと覆われて大きな目だけが見えている。


「可愛い!」

「すっかりお気に入りのようだね」


 シュシュに気に入ってもらえて、私もすっかり上機嫌になる。


「チカコちゃんありがとう。何かお礼をしなきゃね」

「いいんです。お役に立てたし、シュシュも喜んでくれたから」

「そんなわけにはいかないよ。そうだ、今度街を案内してあげるよ。チカコちゃん、まだ街をじっくり歩いたことないだろ?」


 そう言ってクリフさんは、うんそうしようと頷いている。

 確かに、街に出てきたのは今日が二回目だし、あまりよく知らない。

 それに、いろんな道を網羅しているクリフさんなら、きっと素敵なお店や素敵な場所も知っているんだろうな。

 でも……何か忘れているような……


「チカコー! 無事かー!」


 あ。思い出した。

 うわあ、どうしよう。


「チカコ!」

「ノ、ノエル様……」


 そうだった。ノエル……いやノエル様からはクリフさん接近禁止令が出てたんだった!


「クーリーフー」

「お、ノエルいらっしゃい」

「『お、ノエルいらっしゃい』じゃねえよ! 全く、人の家のメイドを勝手に連れ出すとはどういうことだ」

 水鉄砲を構えながら、ノエル……いや、ノエル様はクリフさんを睨み付ける。


「ち、違うんですノエル様! クリフさんはその、私に手伝いをお願いしにきて」


 だめだこれ。完全にノエル……いやノエル様怒ってるよこれ。

 すっかりパニックになった私は、何とかしようと毛布ごとシュシュ抱き上げた。


「シュ、シュシュの毛布を作っていたんです!」

「そうだよ、ノエル。チカコちゃんにはシュシュの毛布を作ってもらっていたんだ」


 クリフさんも繰り返す。

 ノエル……いや、ノエル様はじっとシュシュのほうを見ていた。おそらくシュシュも毛布の中からノエル……いやノエル様の綺麗な顔をじっと見つめているんだろう。

 やがてゆっくりと水鉄砲をおろし、私のほうに近づいてくる。


「ほんとに、毛布を作ってただけか?」

「はい」

「この柄は?」

「これはチョコパルフェの……」

「チョコパルフェ?」

「クリフ、お前は入って来なくていい」

「もう、ノエルは冷たいねぇ」


 前に私にやったように、クリフさんの頬を水鉄砲でぐりぐりする。結構痛いと思うんだけど、クリフさんは全く平気なようでやっぱりニコニコしていた。

 一通り私が事情を話すと、ノエル……いやノエル様は、はぁっと長いため息を吐いた。


「まぁそれならいい」

「ごめんなさいノエル様。約束守れなくて」

「全くだ」

「あう!」


 むぎゅっとぽっぺたを右手でつかまれてしまった。

 頬が熱い。


「兎に角、用事も済んだようだし帰るぞ」

「はい。クリフさん。ではまた」

「ああ、また。――で、いつ案内しようか?」

「案内?」


 出口に向かっていたノエル……いやノエル様の足がぴたっと止まる。


「あの、今日のお礼にクリフさんが街を案内して下さるそうです」

「そう。チカコちゃんだって屋敷に籠りっきりじゃかわいそうだろ?」

「ノ、ノエル様?」


 わなわなと、ノエル……いやノエル様の右手が震えているのが分かった。そして震えたままで懐に手を入れると、無言で水鉄砲を取り出してクリフさんの顔めがけて発射した。


「ノエル様!?」

「いやあ、いつ浴びても冷たいねえ」

「ふ、ふふ、ふざけるな! お、俺はっ! それを心配してたんだよ!」

「な、何を!?」


 結構な勢いで水を掛けられているというのに、クリフさんは相変わらずあははーと呑気に笑っている。もしや攻撃され慣れている?

 ノエル……いやノエル様が攻撃の手を緩めることはなかった。もうすべての水を使いきる勢いだ。


「チカコに街を案内だぁ?」

「そうだよ? 何か悪い事でもあるかい」

「ありまくりだ! この、女たらしがぁ!」


 今までに見たことないほどに水鉄砲をぶっ放すノエル……いやノエル様。

 とりあえず、私はシュシュが濡れないようにと抱きかかえて、奥の部屋に避難させた。


「人聞き悪いなぁ。可愛い子をデートに誘うのは当たり前だろ?」

「デート?」


 あ、デートだったの?


「馬鹿か! クリフお前馬鹿か!」

「何で? チカコちゃんだって街、散策したいだろ?」

「え? え?」


 確かに街を散策はしてみたい……日本とまるで違うこの世界が気になるし。でも、そうするとノエル……いやノエル様との約束を破ることになってしまう。

 ああ、どうすれば!


「チカコ!」

「は、はい!」

「今度の休みに俺がチカコを街へ案内する」

「へ!?」

「俺と城下町でデートだ。オシャレして出かけるぞ!」

「は、はい!」


 それは、唐突に決まったデートだった。

 ノエル……いやノエル様とデート?

 しかもオシャレしてって私、着てきたパジャマかこのあずき色ジャージかメイド服しかないんですけど!?


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