1話
気付けば私の体は星空に浮かんでいた。
決してクスリやってるとか、ラリってるわけじゃない。
なのに何で? なんて思う間もなく私の体は加速して下に落ちていく。
いつになったら着地するのだろう。私はただ、二十センチほどジャンプしただけなのに。
今日は夜風が気持ちいい。腰まで伸ばした髪の毛が逆立つように風に揺られる。
パジャマのまま外に出た記憶はないけれど。
白やオレンジの光が不規則に灯っている。
「綺麗な夜景。あと何メートルくらいで下に着くのかな」
不思議と、恐いとは思わなかった。上に掲げたままになっていた右手を下ろしながら下を見ると、目の前に水が見えた。
どうやらプールのようだ。
「大きなプールだなぁ……ぎゃ!」
のんきなことを言った瞬間、水面に足がついてそのまま勢いよく水しぶきを上げて、私の体は沈んでいった。
パジャマが体にまとわりつく。
そうだった、私カナヅチだった。しかもかなり重症。バタ足すら危うい。
必死にもがけばもがくほど体は沈んでいく。
(し、死ぬ……)
何がいけなかったんだろう。受験生なのにアイドルにかまけてしまったから?
夜中なのにアイドルのDVDを見て騒いでいたから?
違うんです、神様。
私はただ、受験勉強の気分転換にチョコパルフェのライブDVDをちょっと、ほんの三時間くらい見ていただけなんです。
それとも何だろう。公式ペンライトを所持しているにもかかわらず、こともあろうに使い古したシャーペンを、ペンライト代わりにしてはしゃいでいたから、それはアイドルへの冒涜だと、アイドルの神様が怒ったのかな。そんな神様がいるか分からないけど。
段々と息が苦しくなっていく。コポコポと水泡が出来る音がする。それ以外は何も聞こえない。
ああ、本当に死にそう。
さよならお母さん。さよならお父さん。さよならチョコパルフェ。
チカコは、アイドルの神様の怒りに触れてしまいました。でもチョコパルフェを好きな気持ちは変わりません。ですので棺にはうちわと、法被と、そしてペンライトも忘れず入れてください。ちゃんとメンバー全員分を入れてください。
あと、もしかしたら受験の神様も怒らせてしまった可能性もあるので、念のため私の告別式が終わったら太宰府天満宮に行って菅原道真公に謝っておいてください。
意識が遠のいていく。
完全に意識を手放す直前、ザブンという音が耳に届き、水が大きく揺れるのを感じた――。
*
私がアイドルにハマったのはいつだっただろう。
確か小学生のころに近所のお姉さんに連れて行ってもらったアイドルのライブがきっかけだった気がする。キラキラのステージの上で、可愛い衣装を着て全力で歌って踊るアイドルを見て、感動したのを覚えている。カラフルなペンライトや推しメンの団扇が、綺麗にそろって揺れるあの一体感。アイドルもファンもみんな笑顔で過ごす時間。
私は一気にアイドルの虜になった。
「チカコちゃんもアイドルになればいいじゃない」
お姉さんの言葉を真に受けてひっそりとオーディションを受けたこともある。
ま、結果は見ての通り不合格だけど。
自分がアイドルになれなかったからって、アイドルファンを辞めるつもりは全くなかった。むしろ物凄い競争率を潜り抜けて活躍するアイドルに、もはや尊敬の念すら抱いている。
そんな中、一番好きなアイドルがチョコパルフェ。
同年代の女の子五人組のユニットで、国内に留まらず、海外でも人気を博している。チケットは入手困難を極め、まだ一度しかライブに行ったことがない。
「もう一度、行きたかったなぁ……」
最初に行った頃は、あまり振付を覚えていないのもあって隣の人の見よう見まねで必死についていった。
けど今なら。しょっちゅうDVDを見て覚えた今ならあの頃より盛り上がれるはず。
目の前に、大きなライブ会場が見える。
チョコパルフェが現れるのを今か今かと待つたくさんのファン。
やがてイントロが流れる。ああ、これ、私が一番好きなあの曲だ。
右手にオレンジのペンライトを握りしめる。どこから現れるか全く予想がつかないので注意深くステージを観察する。
大きな爆発音。それに合わせて私たちファンはぐっと膝を曲げてジャンプの体勢に入る。
そして、勢いよく右手をあげて飛び跳ねるのだ。
「イエーイ!!」
「随分ノリノリな目覚めだな、侵入者よ」
「はっ!? え!?」
突き上げた右手にはペンライトもシャーペンも握られていない。
当然、先ほどまで目の前に広がっていたステージも見当たらない。
その代わり、すぐ近くに見たことのない男の子の顔がある。
金色の髪に、青い眼をしている。外国の人かな? それともヴィジュアル系の方か何か?
ふと、男の子の右手に目が行く。そこに握られていたのは……え?! 拳銃!?
しかも後ろには見るからに強そうな、黒いスーツに身を包んだ男性がたくさん立っている。
「全く。そんな目覚め方する奴、見たことないぞ」
「あ、ああ、あなた…だ、、誰ですか」
「そりゃこっちのセリフなんだ、よ!」
「やめて!」
何の躊躇いもなく、男の子は私に銃を向けた。完全に溺死したと思った矢先、あれ? 生きてる? 良かった! と思ったのに。
今度こそほんとに殺されると思い、ぎゅっと目をつぶった。
頬骨がある辺りに銃弾が当たる。よっぽど細長い球なのか三秒ほど当たりっぱなしだ。
ぽたぽたと手の甲に滴が垂れている。おそらく血だろう。
でも、何でだろう。ちっとも痛くない。むしろ冷たくて何だか……気持ちいい。
「そんなにビビるくらいなら、人ん家に勝手に入ってくるなよな」
顔色一つ変えずに男の子は撃ち続けていた。
目を開けてもう一度銃を見る。銃口から撃ち出されていたのは、銃弾ではなく、水だった。
「み、水鉄砲……」
「は?」
男の子の顔がゆがむ。怖い怖いそんなに睨まないで。
「当たり前だろ? さすがの俺も殺人はしねーよ」
「ちょ、ぶは、やめ」
「やだね。警察に突き出さないだけありがたいと思え」
結局男の子は水が空になるまでひたすら水鉄砲で攻撃を続けた。避けようにも何故か足を縛られていて動けない。一方的に攻撃を受け続ける。
攻撃が終わり、やっと助かったと思ったのもつかの間、男の子は立ち上がってこちらに向かってくる。ざっと見たところ、百八十センチくらいありそうだ。
「お前、どっから入ってきた」
「え?」
「どっから侵入してきたって聞いてんだよ。ほれ、答えろ」
「むむう……」
凄まれてもはや怖さは絶頂に達する。しかも答えようにもこたえられない。
そんな両手で思いっきり頬をサンドされていたら声出ないから。腹話術師でもたぶん困難極めるからね、これ。
「わ、わたひはたら……」
「あ?」
「あいどゆのりーぶい……」
「き、聞こえねーよ……ククッ」
何でだ。何で怒りながらこの人笑っているんだろう。
「すまん。これじゃしゃべれねーな」
やっと気付いたのか、頬が解放される。意外にも普通に謝るんだな、この人。
ジンジンする頬を自分でも抑える。ちょっと熱い。
「わ、私はただアイドルのDVDを見て騒いで、ジャンプしてたらそしたら……」
不法侵入だなんていう濡れ衣を晴らすために必死に説明する。足は縛られたままになっているので、手をぶんぶんと振りながら。
その様子を、お前何言ってんのとでも言いたげな目で見てくる。
そんな呆れた目で見ないでほしい。恥ずかしいから。
「……というわけで」
「なるほどね。言いたいことは何となくわかった」
思いが伝わったのか、男の子はため息をつきながら立ち上がる。
「とでも言うと思ったか! 往生際が悪いぞ、お前は」
「あうっ!」
ああ、やっぱり伝わってなかった。
思いっきりチョップされてしまった。
「そんなおとぎ話、誰が信じるんだよ」
「おとぎ話じゃないんです」
「いい加減にしろよ」
「そう言われてたって……」
本当なんだって。本当にチョコパルフェのライブDVD見て、思いっきりジャンプした瞬間、体が空に浮かんでいて、そのままプールに落ちていったんだって。
……改めて考えたら確かにこれは信じられない話だわ。
「やっぱり警察に突き出してやろうか?」
「そ、それだけは勘弁してください!」
死にかけた上に不法侵入で逮捕だなんて。
あと今更だけどここ、どこなんだろう。
知らない場所で、知らない男の子に水鉄砲で攻撃されて警察に突き出される――。
やっぱり、アイドルの神様及び受験の神様が怒ってるんだ。
「さ、警察に電話しよう」
「……」
もはや何も言い返せない。とうとう私も犯罪者の仲間入りか。
そっとため息を吐いた、その時だった。
「ノエル様、お待ちください!」
「……なんだ、ボルド」
「そこのお嬢さんが言う事は本当かもしれません」
「なんだと?」
またしても黒い服を着た屈強な男性が部屋に入ってくる。この人たちは何なんだろう。
SPか何か? それとも執事か何か?
そう言えばチョコパルフェがフランス公演した時のドキュメント番組で、熱狂的なファンからメンバーを守るために取り囲んでいた人たちも、こんな強そうな人たちだったな。
「これをご覧ください」
そう言って、その男性は部屋にある大きなテレビの電源を入れた。
「これは?」
「そちらのお嬢さんがプールに落ちてきた時の防犯カメラの映像です」
防犯カメラ。セ○ムかな。
テレビに映像が映し出される。何の変哲もないプール。
「数秒後です、画面上部を見ていてください」
そう言われ、私も男の子も言う通りにする。
「え?」
「なんだこれは」
思わず声を失った。
画面に映し出されていたプールの上空が、雷のように光った。
次の瞬間、光の中から何かが落ちてくる。
それは、左手を腰に当て、右手を突き上げている私だった。
こうして改めて見ると随分間抜けな恰好に見える。
「信じられませんが、光の中からいきなりお嬢さんが現れています。ですので不法侵入というよりも、どこか離れた場所からテレポーテーションしてきたとしか……」
「ウソだろ……」
男の子は、何度か映像を早戻しをして私が落ちてくる瞬間を食い入るように見つめている。おそらく、映像に何か仕掛けがないかどうか確かめているようだ。
「どうやらお前の言う通りだな」
「信じてもらえました?」
「信じられないが、これを見てしまうと信じざるを得ないだろ」
まだ若干疑っているようだけど、映像もあるしなぁという感じで少し悩んでいるようだった。
「試しに聞くが……お前、出身は?」
「に、日本……」
「日本だと?」
「あ、ご存知ですか?」
「いや、知らない。聞いたこともないな」
「そうですか。ち、ちなみにここは何という国ですか?」
日本語通じるようだけど、明らかにこの男の子も後ろの男性たちも日本人じゃないよね。
「ここはレイジナ王国だが……知っているか?」
「いえ、知らないです」
「そうか」
レイジナ王国。聞いたことのない名前だった。
もしかして、これは他国にテレポートしたどころの騒ぎじゃないかもしれない。
い、異世界へ来ちゃった?