第四話 リアルの中の惨劇
「おい、昨日はどうしたんだ?」
登校した九郎が自分の席に着くと、挨拶もそこそこに八郎が話しかけてきた。
「どうしたって?」
「お前が町に着いたら合流しようと思ってたのに、気づいたらログアウトしてやがっただろう」
「・・・ああ、あれね」
九郎は力尽きたような顔で生返事をした。
精神的には間違いなく力尽きている。昨日、見捨てて先に行ったことを問いつめる気力もないぐらいに。
「おい、何かあったのか?」
机の上に突っ伏し、死んだ魚のような目をしている九郎に、流石に八郎も心配になった。
「あの後、町に着いたんだけど・・・」
「着いたんだけど?」
「二度の死に戻りで所持金が全然なくて、鍛冶道具が何も買えなかった・・・」
八郎はその言葉を聞いて、しばらく天井を見上げた。
短くない沈黙の後、九郎に向き直ってようやく一言。
「まあ、あれだ。とにかく、ガンバレ!!」
「明日からがんばるぅぅぅ・・・」
「いや、駄目だ。それは頑張らないフラグだ」
立ち直りそうにない九郎をみて、八郎はため息を付いた。
「いいだろう。金は貸さんが、知恵なら貸してやる」
「・・・何か良い案があるの?」
「要するに金を稼げばいいんだろう? 別に生産職だからといって、生産でしか金を稼いじゃいかんわけじゃない。他のことで金を稼いで、それで鍛冶道具を買えばいい」
「まあね。そもそも、最初から作れるもので大した稼ぎはないだろうから、どちらにしても生産以外で稼ぐ必要があったけど」
ようやく少し立ち直った九郎が体を起こして答える。
金額は確認していないが、工房を借りるにもお金がかかる。最初に造れるアイテムでは借り賃の分すら稼げないだろう。
「そうだ。お前のサブクラスは盗賊だろ。戦闘職ほどではないが多少は戦える筈だ」
「モンスターを狩って、ドロップを売って金を稼ごうってこと? でも、金がないから、装備も買えないよ」
「初心者向けのモンスターなら、初期装備でも何とかなるだろう。ただ、武器だけは代えた方が良いだろうがな」
「何で?」
「いま分かっている限りでは、鍛冶屋に戦闘スキルはないだろう? 盗賊なら、短剣の戦闘スキルがある筈だ」
「確かに、公式には載ってたけど。どうやって取得するかも分かってないよ」
そう、"可能性の檻"ではクラスのレベルが上がっても新しいスキルを覚えることはできない。
どうやって覚えるかは様々だ。道場のような場所でお金を払って覚えることもあれば、クエスト達成の報酬として覚えることもあるらしい。
ただ、どんなスキルでも所定のレベル以上にならないと覚えられず、必要なクエスト等がそもそも起こらない。
だが、もし手に入れられれば、それは大きな力になる。
このゲームではプレイヤーの動きを補助するシステムアシストはスキルでしか受けられないので、スキルによる攻撃は通常の攻撃に比べの当たり易さや威力が全く違うからだ。
戦闘職の最大の強みは多くの攻撃スキルを持っていることだろう。多くの攻撃スキルがあれば、それだけ多彩な攻撃をすることができるからだ。
まあ、守人のようなリアルチートにとっては、スキルはあまり大きな意味はないのかもしれないが。
「そうだな。まあ、スキルはまだ先の話だけど、ドロップ目当ての狩りをするなら、短剣にしといた方が良い」
「確かに、ハンマーってちょっと使い難いし、短剣の方が良いかもね」
初期装備の武器はメインクラスによって決まる。鍛冶屋をメインクラスにした九郎の初期装備はハンマーだ。
しかし、ハンマーは威力は高いが、重くて当たりにくい。
グレイウルフに遭遇したとき、八郎ことカムイが当たらないと断言していたのはそのためだ。
大型のモンスターや守りの堅いモンスター相手には有効だが、初心者向けのモンスターには、そんな奴はいない。
よって、初心者の武器としては使い難いのだ。
短剣はその対極にある武器で、威力は低いが、当て易く素早い連続攻撃に向いている。
初心者向けの武器としては、一番使い易い。
そのかわり、威力が低く間合いが短いので、強力なモンスターとの戦闘には向いていない。
「よし。短剣を買った後、町中をまわって簡単なクエストを探してみるか」
「狩りには行かないんだな」
「それは最後だ」
「まあいいか。おれは7時頃狩りに行くから、狩りに行く気になったらメールくれ」
「OK」
話がひと段落したところで、ちょうど、先生が教室に入ってきた。
「じゃあ、後でな」
「ほいよ」
八郎は急いで自分の席に戻っていく。
それを見送っていた九郎は、ふと一人の少女が自分と同じように八郎の背中を見送っていることに気が付いた。
その少女、緋呂音々の顔に浮かんでいるのは不安と後悔。
九郎は気付かなかったが、九郎が八郎と話している間、ずっとあんな顔で様子をうかがっていたのかもしれない。
音々があんな顔をするのは、八郎がらみに違いない。
九郎はため息を付いて授業の準備を始めた。
「ちょっと、図書室行ってくる」
昼休み、八郎と一緒に昼御飯を食べた後、九郎はそう言って立ち上がった。
それを聞いて、八郎が目を丸くした。
「図書室? お前が図書室に行くなんて、明日は槍でも降ってくるのか?」
「拳骨ならいますぐ降ってくるぞ。・・・僕だってたまには用事がある」
殴りたいのを我慢して、九郎はあたりさわりのない言い訳を口にした。
そう、言い訳だ。
本当のことなど言える筈がない。
先程から、おどおどと様子をうかがっている音々の視線とそれを見守るクラスの視線が痛いなど。
どうやら音々が話しかけるタイミングをうかがっているようなのだが、あの様子ではいつまでたっても話しかけられないだろう。
だから、音々が話しかけ易いように席を外そうと思ったのだが、当事者であろう八郎は全く気付いていない。
なにか、気を使っている自分が馬鹿のような気がしながらも、九郎は図書室に向かった。
「あの、すいません」
「え? あれ? 緋呂さん?」
図書室に向かっていた九郎は、突然声をかけられて振り返り、その声の主を見て驚いた。
てっきり八郎に声をかけると思い込んでいたので、自分の方に声をかけられるとは思わなかった。
まあ、八郎がらみなのは間違いないだろうが。
「どうしたの?」
「えっと、あの・・・その・・・実は・・・」
「いや、何のよう?」
「ひあぁ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
いつまで経っても話が始まらない音々に九郎が思わず話を促すと、気分を害したと思ったのか、今度はひたすら頭を下げ始めた。
九郎はしばらく頭をひねり、自分から話を誘導することにした。
「えっと、八郎のことで何かあるの?」
「あ・・・」
いきなり核心に切り込まれて驚いたのか、視線をあちこちにさまよわせていたが、しばらくすると小さく頷いた。
「あの、怒ってませんでしたか?」
「怒ってる? 八郎が?」
音々が小さく頷いたのを確かめるた後、首をひねりながら八郎の様子を思い出していく。
「朝、あいつが怒ってたこと? 昨日、合流しなかったことを怒っていただけだよ」
「そうですか・・・」
それを聞くと、音々は顔を俯かせ顔を手で覆ってしまう。
「やっぱり、怒っていたんですね・・・うぐ、ひっく・・・」
音々の手の隙間から、涙がこぼれ落ちる。
それを見て九郎は焦った。
とにかく焦った。
理由も分からず彼女を泣かせてしまったことに。
そして・・・
通りすがりの生徒達の囁きに。
「うわっ、やっちまった」
「女の子を泣かせるなんて最低ね」
突き刺さる冷たい視線に、九郎の方が泣きそうになった。
「とにかく、こっち来て!」
「え? あ、は、はい」
この場所に留まることに耐えられなかった九郎は、思わず音々の手を引き、急いで図書室に向かった。
それが、致命的な間違いだと気付かずに。
「それで、急に泣き出して、どうしたの?」
九郎が音々から話の続きを聞くことができたのは、図書室に辿り着いてからのことだった。
人気が無くなって安堵した九郎は脱力しそうな体をイスの背にしがみついて耐えながら、机を挟んで反対側に座った音々に訊ねる。
「あの、八郎君が怒っていたって聞いたから・・・」
「別にアイツが怒ったって、緋呂さんには関係ないだろう?」
九郎は首を傾げた。九郎が合流しなかったことは、確かに八郎に悪かったかもしれない。
しかし、それで何故彼女が落ち込むのかが理解できなかった。
「でも、私、八郎君に酷いことして・・・八郎君が怒ってて、私、彼に嫌われたらって、すごく怖くなって、でも、そこで、私が自分のことしか考えてないって気付いちゃって、それがすごく情けなくて・・・」
「??? 酷いこと?」
そこでようやく、九郎はどこか会話が噛み合っていないことに気が付いた。
眉間を指で押さえ、これまでの会話で出てきた単語を整理する。
八郎。怒っていた。昨日。合流。音々。酷いこと。
昨日?
そこでふと九郎は昨日という単語に引っかかった。
九郎の知る限り、八郎と音々は昨日はほとんど交流がなかった筈だ。
VRで、村の広場で姿を見かけたくらいだ。
無論、二度目の死に戻りの後は別行動だったのだから、その後に何かあったのかもしれないが。
昨日。昨日。昨日。
昨日あったこと。VRでの出来事。
いや、違う。
VRで何があったかではない。
昨日がVRMMORPG"可能性の檻"のサービスが開始された日だということ、それが問題なのだ。
九郎はそこでようやく真実らしきものに辿り着いた。
「もしかして、ゲームに誘われたのに、八郎と一緒にゲームをやらなかったことを気にしてるの?」
「え? あれ? う・・・うん」
音々は戸惑いながらも頷いた。
それを見て、九郎は気の抜けたため息を付く。
確かに、音々を最初に誘ったのは八郎だ。友人に促されて八郎ではなく守人についていったことに引け目を感じるのは分からなくもない。
だが、音々の心配は全くの見当違いだ。
「いや、それは全然関係ないから。アイツが怒っていたのは、『僕が』途中で別行動して合流しなかったことだから」
「そ、そうなの?」
キョトンとした顔で音々は首を傾げた。
「そうだよ」
本音をいえば、自分を置き去りにして先に行ったのは八郎の方だろうがと叫びたかったが、それを音々に言うほど九郎は分別のない人間ではない。
「多分、八郎はあの時のことなんて、覚えてもいないから」
「あの、それはそれで悲しいというか・・・その・・・」
音々は喜ぶべきか悲しむべきなか悩んでいるような微妙な表情を浮かべていたが、とりあえずもう泣きやんでいるようだった。
九郎はそれで満足することにする。
「なんにせよ、僕じゃなくて、八郎に直接聞くべきことだったけどね」
「ご、ごめんなさい」
九郎の言葉に、音々はようやくそのことに気付いた様子で体を小さくした。
これで、この話を終わらせるべきだろう。
そう判断した九郎は、代わりにこれまでずっと気になっていたことを訊ねた。
「前から気になってたんだけど、緋呂さんは江田君のことをどう思っているの?」
「こ、江田君? 八郎君じゃなくて?」
九郎の口から八郎ではなく守人の名前が出てきたことに驚いているようだった。
だが、九郎にしてみれば八郎と音々の関係は間近で見てきたのだから、それなりに分かっている。
しかし、音々と守人の関係が良く分からなかった。
守人と話しているときは頬が真っ赤になっているので、何かしら好意をもっていることは分かる。
だが、音々は守人のことを決して名前では呼ばないし、自分から彼に近づくこともない。
元々彼女は気安く他人に話しかけられるような性格はしていないが、彼女のことを見慣れた九郎の目から見れば、近づけないのではなく、自分から距離をとっているように見える。
「江田君はね、すごい人だと思うよ」
音々は静かな声で答えた。
心の底からそう思っているのだろう。九郎にそう確信させるほどの揺るぎのない声。
「すごい人・・・」
「そう、すごい人。私もあんな人間になりたかった。でも私はなれなかった」
その声に込められているのは、後悔。
「あの人はね、決して特別な人間じゃなかったんだよ。私と同じ・・・弱い人間だった」
その声に込められているのは、懐かしさ。
「でも、あの人は強くなった。弱いままではいなかった」
その声に込められているのは、羨望。
「だから、私は彼に憧れているの」
そうして、彼女は微笑んだ。
蕾が咲いて花になるように。
「ほへぇぇぇ・・・」
力尽きた九郎は机の上に突っ伏していた。力尽きて脱力したその姿は、まるでナメクジのようだった。
あの後、誤解を解いた音々は教室に戻っていった。
音々と守人の関係をもう少し聞いてみたかったが、ヘタレの九郎では、あの雰囲気の中で更に踏み込んだことを聞く根性はなかった。
音々の守人に対する気持ちは恋愛感情とは違うようだが、彼女の中で守人がかなり大きな存在なのは間違いない。
もし守人が告白でもしたら、あっさり付き合い初めてしまうのではないだろうか?
友人の想い人のなにやら複雑そうな人間関係に、九郎はどうするべきか悩んだ。
「八郎がリア充になるのは嫌だが、江田君が更にリア充になるのは、それはそれで嫌だなぁ。ああ、僕はどっちを応援すればいいんだ・・・」
友人を祝福するという発想はないようだ。
悶々と考えているうちに、昼休みは終わりに近づいていた。
もうそろそろ教室に戻るべきか。
九郎がそんなことを考えていたとき、それは現れた。
顔面に青筋をたてた八郎が。
「ど、どうしたんだ、八郎」
鬼だ、鬼がいる。
そのあまりの迫力に、九郎はビビりながらおそるおそる訊ねる。
八郎は指を鳴らしながら、低い声で答えた。
「おう。音々を泣かしたってのはホントか?」
「え?」
頭に浮かんだのは図書室に向かう途中の出来事だった。
人目が痛かった九郎は、とにかく人目を避けようと、特に周りにフォローせずにあの場所からにげたのだが・・・
どんな噂が広がるかは何も考えていなかった。
「音々を無理矢理人気の無いとこに連れてったそうだな」
「いや・・・その・・・」
「アイツはおれの幼馴染だ。無理矢理交際を迫るなんざ、見過ごせねぇな」
「それは絶対違う」
反射的に突っ込むが、八郎は聞く耳を持たない。
全身から異様な闘気を放ち、あるモノを掴みあげる。
「ひぃぃぃぃ!」
九郎はイスから転げ落ちて、悲鳴を上げる。必死に逃げようとするが、腰が抜けてしまって這いずるようにしか動けない。
「ま、待て! イスはそうやって使うものじゃないぞ!」
「往生せいやぁぁぁぁぁ!!」
「げへあ!!」
九郎は5時間目を保健室で過ごすこととなった。