第二章:契約
空翔る飛竜の姿に
私は思わず恋をした
命溢れるその御心に
私は知らずに触れていた
(聖クレア伝 第二八章)
単なる偶然か、それとも竜神が引き合わせたか、二人はほぼ同時に契約を結んだと私は聞いておる。
強大な力を持ちし竜族と………
小さき存在である人間………
契約を結びし者の試練の旅が、再び彼らを待ち受けておるとは、彼らは知る由もなかった………
俺は、鞄に入っていたバタフライナイフをポケットに入れて、山頂を急いで登っていた。
気温は低いが、動きが鈍る程じゃねぇ。
俺は、走れるところは走り、岩が多い場所は慎重に登っていった………
徐々に気温が上がっていく中、私は厚着を脱ぎながら頂上を目指していた。
この山は火山でもないし、こんなに頂上が暖かいなんて有り得ないのに………
そう思いながら、私は頂上を目指していた………
俺は、運良く魔物にも会わず、何とか頂上まであと一歩という所まで来た………
私は、春の様な長閑な気候の中、ゆっくりと頂上を目指した………
そこで俺は………
そこで私は………
『竜と出会った。』
黄金色の馬鹿でかい蛇みたいなそいつは、一際高い岩山に鎮座し、俺を真っ直ぐに見つめていた………
彼女━━直感的に雌と感じた━━は、咲き誇る花の中、そこだけ溶けない雪像があるかの様に、静かに体を休めていた………
[人間よ……何故この地に来た……?]
それが、そいつの一番最初に発した言葉だった。
俺は、自然と畏怖の念に駆られた。
こいつが………俺が探していた「神」………
そう思うと、体中がぞくぞくする様な、畏れ多い様な、複雑な気分がした………
{あなたはどうして此処に来たのです……?}
彼女は軽くこちらに首を向け、そう問いかけた。
何と美しいのだろう………
私は思わず跪き、ひれ伏した。
昨日、あの街を灰にした「竜」とは比べ物にならなかった。
この方なら、この醜い戦いを終わらせてくれるに違いない………
私は直感的にそう感じた………
俺は、頭を下げながら、そっとそいつに近づいた………
私は立ち上がり、静かに彼女に近づいていった………
そして俺は座り込み………
私は跪きながら………
『静かに、畏敬の念を込めて返答した。』
「……大いなる竜よ……私は力を得る為にこの地へ参りました……
この乱れた世の中を正すために………貴方様達の噂を聞き、この地へ参りました……」
……何故か、こんな堅苦しい言葉を使ってしまった。
だがそれが、俺の心からの答えだった。
最近、この世界の戦乱はますます酷くなっていた。
少なくとも日本の俺達はまだ巻き込まれてはいなかったが………
兵士による大量虐殺、略奪、婦女暴行は日常茶飯、日に日に海は汚れ、大気は澱み、森は焼かれ、次々と動物達は死滅していった………
様々な情報が交錯する中、これだけは偽りようのない真実だった。
俺は、こいつが他人事と思えなかった。
命が世界中で消されてゆく中、俺は安全な国でぬくぬくそれを指くわえて見てられなかった……
だからこそ、俺はこの山を登った。
そして、その答えは、今、目の前にいた………
「……この戦乱を終わらせる為です……
貴方様も気づいておいででしょう……?
この空気の澱みに………」
私は、昨日の街の惨劇を思い出しながら続けた。
「今は、小さな人間同士の争い……
でも、いずれこの戦いはこの世界を無に還す……
ですから、貴女のお力を借りて世界を救いたい……
そう思い、私は此処へ来ました………」
私の小さな主張に対して、彼女は少しは聞き入ってくれているようだった……
やっぱり、彼女はこの世界を救ってくれる。
そう思うと、自然と私の頬を涙が伝った………
俺は、静かにそいつの前に跪き、手を合わせた。
私は、静かにひれ伏し、胸の前で手を組んだ。
『そして、そのまま静かに返答を待った……』
[…我には関係無い事だ…
だが…お前のその誠意…何か心当たりがあるな…? どの様な世の乱れなのだ…?
それによって決めよう…]
そいつは、そう言ってから、静かに目を閉じた。
「木を枯らし、水を汚し、生物達を死滅させる乱れでございます…」
俺は相変わらずの口調で答えた…
あいつと初めて会ったとき…何故かそうさせる「何か」があったから……
[…そうか…
我らが世界を汚す乱れか…ふふ…]
そう言うとそいつは、俺のバタフライナイフに鼻先を近づけ……
静かに息を吹きかけた…
[その刃は…我が鱗を貫く刃となった…
それで…我が胸元に十字傷を入れよ…
そして……そなたにも掌に十字傷を入れよ…
契約を…結ぼうではないか…]
そう言うと、そいつは静かに横になった……
{……全世界、全種族に関わることですか……
となると……竜族も巻き込まれる……と?}
彼女は…私を問いつめるようにふわっと翼を広げ…静かに問いかけた。
「ええ…巻き込まれることになるでしょう…
ですから…私は貴女の力を借りたい……
この美しい世界を…消したくないのです……」
私は……涙が口に入るのも構わず……彼女に訴え続けた……
すると…ふと彼女は翼をたたみ、鼻先で私の頬に触れ、清らかな舌ですっと舐めた……
それは…不思議なほどに滑らかに…暖かに通り過ぎていった……
{泣くな…小さき存在よ…
私には…お前の心が見えている…
…辛かったろうな…
だが…これで…過去と決別しようではないか…
さあ…剣を抜きなさい…
そして…私の胸とお前の右手に十字傷を刻みなさい…}
彼女はそう言い…うんと首を上に挙げ、純白の胸を私に晒した…
俺は、静かに右手を十字に切った。
軽く滑らせるだけで、すぐに血が迸った。
私は、剣を抜くと、そのまま十字に掌を切りつけた。
溢れる鮮血が、足下の花を紅く染めた…
『そして、ゆっくりと、偉大なるその鱗を十字に切りつけた…』
驚くほど柔らかく、その鱗は貫かれた。
…俺は何をしてるんだ…?
何故神と呼ばれる竜を傷付けた…?
俺の中に…少なからず罪悪の念が生まれた…
[それで良い…十分だ…
さぁ…本番だ…
そなたの傷と我が傷を…重ね合わせよ…]
そう言うと、そいつはかっと目を見開き、俺を見据えた……
清らかなその鱗は、私の脆い剣でも容易に切り裂かれた…
いや…本当は…彼女が受け入れてくれたから…あれほどすっと切れたのだが…
純白の鱗が血の深紅に染められるのを、彼女は静かにそれを見つめた。
そして、小さく呟いた……
{……傷口を重ねなさい……
それが……貴女との契約になるわ……
これで……貴女と私は……二人で一人になる……}
彼女はそのまま…
私を静かに引き寄せた…
俺は静かに近づき…
私はそのまま引き寄せられ…
『そして、そっと契約の十字を重ね合わせた……』
強烈な衝撃が…俺の右手から全身へ駆け巡った。
自分の中に大きな力が流れ込み…自分から少しずつ何かが流れ出るのを感じた……………
悲しい過去が見えた…
彼女の…過去の戦いの姿が…
彼女は長細い竜族の群れに飲み込まれる、漆黒の逞しい竜を……力無く見つめていた……………
俺は、ふっと気が付き、岩だらけの山頂から身を起こした。
かなり長ぇ間倒れてたらしい……
真っ赤な夕日が…雲の海に沈んでいっていた……
赤…血……傷………
そうだ……俺……あいつと契約を結ぶとか……
そう思って、俺は右手を見つめた。
不思議にも…傷口は既に丸く膨らんだ形で塞がっていやがった……
[気が付いたか…洋輔…
まったく…死んだかと思ったぞ…?]
その声に振り向くと、夕日に煌めく黄金の鱗の竜が見つめていた。
「何であんた…俺の名前知ってんだよ…
って…何で俺タメで喋ってんだ…?」
[ふふっ…我はそなた、そなたは我…みたいな関係だからな…]
「あんたも…堅苦しい喋りじゃなくなったな…疾風」
[そうだな…って何故我の名を…!]
……こんなやりとりをし笑い合いながら、その日は過ぎていった………
私が目覚めたとき、既に日の光は真上から照っていた…
言われた通りにしたけれど…本当に良かったの?
私は、自分の掌を見つめ、問いかけた。
{おはよう、小さき友よ…
今日も気持ち良い一日になりそう…}
彼女━━アリューシュアは、静かに伸びをしながら目覚めた。
「ええ…そうね…
でも…私は怖い……
自分の力が……本当に世界を救えるのか……分からないの……」
{…必ず救えるわ…
だって…あなたはこの私が選んだ契約者ですもの…}
そう言うと、彼女はすっと私に寄り添い、暖かな翼を被せてくれた……
知らず知らず、美しい光が満ち溢れる空を…私達は静かに見つめていた………
どうだろう……うまくまとまってるかな……?