第15章2節: 道具への愛着とメンテナンス(蘊蓄その1:手入れ)
シュッ、シュッ……。
砥石の上を、包丁の刃が一定のリズムで滑る音だけが、静かな小屋に響く。私は水を少量ずつ垂らしながら、刃先の角度を正確に保ち、慎重に刃を研いでいく。
包丁という道具は、料理人にとって、まさに魂とも言うべき存在だ。
前世でも、私は自分の包丁の手入れを他人に任せたことはなかった。切れ味の良い包丁は、食材の細胞を無駄に傷つけず、その結果、料理の味を格段に向上させる。
例えば、魚を捌く際、切れ味の悪い包丁を使えば、身が崩れ、ドリップが流れ出し、旨味が損なわれる。野菜を切るにしても、繊維を綺麗に断ち切ることで、食感や味の染み込み方が変わってくるのだ。
この異世界の鉄は、前世の鋼に比べれば質は劣る。不純物も多く、焼き入れや焼き戻しの加減も難しい。だが、それでも丹念に鍛え、丁寧に研ぎ上げれば、それなりに応えてくれる。私はこの牛刀もどきに、どれだけの時間を費やしたことか。最初はただの鉄塊だったものが、叩かれ、伸ばされ、研がれ、ようやく一本の「道具」として完成した時の達成感は、新たな発見をした時の興奮とはまた別の、深い満足感を与えてくれる。
「ふむ、こんなものか」
研ぎ上がった刃先を指先でそっと確認する。産毛が剃れるほどの鋭さだ。次に、土鍋やフライパンの点検。土鍋はヒビが入っていないか、フライパンは油が馴染んでいるか。使った後は必ず綺麗に洗い、乾燥させ、鉄製のものは薄く油を塗って錆を防ぐ。発酵用の樽も、定期的に内部を洗浄し、熱湯消毒を欠かさない。
道具は、使い手が愛情を込めて手入れしてこそ、その真価を発揮し、長く使い続けることができる。
これは、前世のどんな精密な実験装置にも通じる、普遍的な真理だろう。
私は手入れの行き届いた道具たちを眺め、静かな満足感を覚えた。




