7話 教会では柘榴が歩く
ラズログト・ビリーバ・アンデルスは、生まれついての神の信徒である。
彼が物心ついたのは5歳か6歳。その頃にはもう既に、身の回りには神にまつわるものが数えきれないほど溢れていた。それは教典、讃美歌、降臨絵、沢山の"やじりのない矢"。彼の家は裕福であり、そして神を深く信仰していた。
そんな彼は賢く優秀であったため、そのためアンデルス家の長男として期待されていた。若くして親戚が神父をしている教会へと移り、そして親戚の死後その職を継いだ時、彼の両親は非常に満足した。ラズログト自身も、神を心から信じており敬愛している。だから自分の立場を呪うことはおろか、不満に思ったこともない。
………そんな風に順風満帆な人生を送ってきたからだろうか。彼は滅法アクシデントに弱く、焦りや緊張といった感情に慣れていなかった。
「あ、おはようございます。たったの1日で戻ってきちゃって…申し訳ないです」
だから、昨日の夜発狂していた筈の少年が翌日にはケロッとしているなど、彼が冷静でいられるような光景ではなかったのだ。しかし何度も言うように、彼は聡明である。よってこう結論づけた。
彼は衝撃のあまり、記憶を封じ込めてしまったんだ、と。
実際それは正しく、下手に刺激しないという選択もまた正しいものだった。
死体がただのアンデットやグールで無かったことに気づく迄は。
「グラクくん!…グラクくんッ!!」
ハッと意識が現実に戻り、先程までの邪悪な情報が頭から霧散する。ここ数日で聴き慣れた老人の声は、今まで聞いたことが無いほど焦っていた。
「ど……どうしましたか?」
「大変じゃ、実は………いや、いまは話している場合では無い。一刻を争う、儂に継いてきてくれ!」
「わ、分かりました…」
只事ではない雰囲気に気圧され、呆然としているクラリスとモモに別れを告げるまま走る。ゼイゼイと息の荒いラズログトさんは、そんなものには構ってられないとばかりに、俺を追い離す勢いで地面を蹴っていた。
「ハァ…ハァ…………簡単に言おう、コレはこの街の危機じゃ」
鬼気迫る表情の老人は、苦しそうにそう言葉を紡いだ。
「なにがあったんですか…」
ラズログトさんは何も言わない。ただ黙って着いて来てくれと、その目で伝えるのみだ。俺は正直頭が回らないし、何が何だかさっぱりである。
ただハッキリ分かるのは、彼に着いていけば何があったのかが分かるであろうこと、そしてそれが碌でもないものなのだろうということだ。ゴクリと鳴る俺の喉と2人分の靴が地に叩きつけられる音だけが、暗くなり始めて来た町に響いていた。
そして着いたのは、見慣れたレンガ造りの建物。この町唯一の教会であり、俺がこの世界で最も多く夜を過ごした国営の宿屋だ。
「フゥ…フゥ……………さて、ここからは慎重に行かねばならんですぞ」
硬い表情のラズログトさんはそう言ってこちらに目線を投げかけると、彼の体から青い光が漏れ出てきた。
「本来なら君にも教えておくべきだったんじゃが………後悔先に立たずじゃな。儂程度のものでは心細いが、それでも最低限の守りはしてくれるでしょう」
そう言いながら俺の輪郭をなぞるように手を動かす。すると光は俺の体に移り、光を纏った部分がほんのり温かくなってゆく。
「…!?……なんだ、あったかい?」
「それでは入りましょう、間違っても戦うなどを考えてはなりませんぞ。最悪儂が足止めをしますが、それでも逃げ切ることすら不可能じゃろうからな」
老人は腹を括ったようにドアの手摺りを掴み、マイホームの入り口をゆっくりゆっくりと開けた。
そこには招かれぬ来訪者がいた。
「おや、思っていたより早かったのう」
「ええ、もし貴女に暴れられでもしたらこの町は荒野と成り果ててしまうでしょうからな。儂はそこまで自らを過信してはおりませんぞ」
落ち着いた様子のラズログトさんは、使う言葉を慎重に選ぶように話す。しかしその額には大量の汗が流れており、俺は見てるだけで心臓の鼓動が上がった。
「それで………あぁ、グラクだったか?何故私の方を見ようとせんのじゃ?まさかそんなナリで人見知りという訳でも無かろうに」
ラズログトさんがこちらを見る。嫌だ、本当に嫌だ。
「汗が酷いぞ?グラク。私はどこにも行かんから、落ち着いて喋ると良い」
嗚呼ラズログトさん、そんな目で俺を見ないでくれ。俺は知らないんだ、気づかないんだ、それに知りたくも気づきたくもない。
「いやはや、随分と恥ずかしがり屋なようじゃな。そこまで威圧した覚えは無いのじゃがのう」
嫌だ。気づきたくない、絶対に気づきたくない。
どうせ気のせいだ。その声が明らかに少女のものであることも、髪の毛がふわふわとした茶髪だということも、簡単に挽肉にされそうな華奢な身体も、まるで豆腐のように容易にえぐることができそうな柔らかな頬も、血の通わぬ蝋人形のような真っ白な肌も、そのくせに爛々と輝き俺を見つめるその瞳も、全て、全て全て、気のせいだ。奇跡的にそう見えているだけだ。何かの錯覚に違いない。だって……………
「君は、死んだはずだろ」
あの時、俺のせいで死んだ筈の彼女は、その眼は、黄泉の国から帰ってきた今も変わらず俺を眺めていた。
「死んだ筈、か……………まぁ確かに死にかけはした、それも二度ものぅ。しかし私は死にはせんかった」
その真っ赤な瞳は、全く揺らがず俺をその視界に固定し続ける。
「その話は後でするとしよう。そんな事より、きちんと目を合わせてくれて私は嬉しいぞ?グラク」
「………………諦めただけだ、目を背けていたってそちらからやって来るんだ、逃げようが無いだろ」
汗は止まらない、それに体は震えっぱなしだ。だが、逃げるのは辞めだ、吹っ切れたなら吹っ切り尽くすしかない。
「ハハ、それもそうじゃな。しかし……それなら何故、私はお前を追うのだと思う?」
「何故………」
俯きたくとも頭が下がらない、彼女から目を離すのが怖いのだ。そんな風に目線を外せない俺を見て少女はクスクスと笑う。そしてこちらに近づくと、ズイっとこちらに顔を寄せてきた。
「先程私は死にかけたと言ったな、お前も見たじゃろう?あの恥ずべき姿を」
背丈は俺より全然低いというのに…その笑みを浮かべた顔は、まるで飲み込まれそうなほどに俺の目に大きく映った。
「どうやらその時私の……いや、この脳は生き延びる為にフル稼働しておった。故に目に入る情報は全てを記憶され、そして大切なものとして認識されていた訳じゃな」
彼女は白魚のような人差し指を上げ、その頭をトントンと鳴らす。
「そ、それがどうしたって言うんだ…」
「察しが悪いのう、あれほど熱く見つめ合ったというのに」
「……………まさか」
引き攣る俺の顔を見て少女の顔にはさらに大きな弧が描かれる。それはまるで、大好物を目の前に出された子供のような、獲物を目の前にした獣のような、そんな表現が当てはまるであろう笑顔だった。
「あぁ、その顔じゃよ。今も焼きついているものと全く瓜二つじゃ、同一人物じゃから当たり前と言えば当たり前なんじゃがな」
………嗚呼、やっぱりコレは死体では無いらしい。徐々に赤く染まっていくその頬を見て、俺は今更ながらそう思った。
「まぁそういう訳じゃ。会いに来た理由はそれだけじゃし、別にお前に何かしようという訳でも無い。ただ気になったから顔を見たくなった、本当にそれだけの話じゃよ」
そう言った彼女は俺から離れ、そのまま扉へと近づいていく。どうやら本当にそれだけの用だったらしい。
「それと、何故肉体が回復しているのかだとかはそこの神父に聞くと良い。それである程度疑問は解消されるじゃろうよ」
思い出したように言葉を残し、取っ手に手を添える。……しかし、俺はそれを止めた。
「なぁ………聞きたいことがあるんだが」
ピクリと動きが止まり、彼女の顔がこちらに向く。
「君は、俺を憎まないのか?」
………どうやら困惑させてしまったらしい。少し眉を下げた彼女は、唇を閉じて話の続きを待った。
「俺は、君が叫ぶ声を聞いていた。そして急ぎもせずにノコノコと来て、君のボロボロの姿を見ただけで逃げた。……てっきり、それを責めに来たんだと思ってたよ」
「む、それはつまりお前は、私に罪悪感があるということかの?」
「…………そうなるね」
それを聞いて、彼女は指で顎をなぞり少々考え事をする。そして10秒にも満たない時間で出すべき言葉は見つかったようだ。
「謝罪をしようというのなら別に要らん、まぁお前がやりたいというのなら構わんが。それより、もし何かしようとしてくれているのならば、私の頼みを聞いて欲しい」
「頼み……………………まぁ、聞くだけ聞いておこう」
「ならば、願いは一つだ」
彼女はしっかりと俺の目を見つめる。
「泊まるところがどこにも無いから、寝床を貸してくれ」




