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終末のバレンタイン

作者: 小林ナイン
掲載日:2026/02/13

 今日、世界が終わる。

 そう知らされたのはちょうど一か月前の話だった。


 なんとも、地球の近くにあった星の一つが爆発して今日には地球が飲み込まれてしまうらしい。

 難しい仕組みはよくわからないけれど、最新の技術を駆使してわかったというこの絶望的な事実に、当然世界中が困惑した。


 もちろん日本も例外ではなかった。

 ネットやニュースは大きく荒れて、ああ人ってこうなるんだなと私は少々悲しくなった。

 そして、見ているのもなんだか空しくなってそれっきりネットもニュースも見ないで、この終末をどう過ごそうか、とだけ考えることにした。不思議と何かに縋ろうとも思えなかった。


 それから今日まで、私はひたすらこれまでできなかった、やりたいことしたかったことに打ち込んだ。

 

 思いっきり音楽をやりたかったから、昔買って長らく弾いていなかった懐かしいギターを弾いて曲を作った。

 

 中学生の頃にやっていたバトミントンを久しぶりにしたくなって、でもする相手もいなくて、ラケットとシャトルをケースから取り出しては壁打ちして遊んだ。

 

 これまでは栄養なんて気にせず自堕落な日々と食生活だったから、変な意地からたまにはサラダを思いっきり食べてみたくなって、スーパーでたくさんのサラダを買っては食べた。


 

 でも、そんな日々も今日で終わる。

 私だって怖くないわけではない。というか、怖いからこそだったのだと思う。

 急に終末を告げられて、でも逃げ道もなくて、じゃあそれなりに満足できる終わり方がいいなと思って過ごした日々。


 今日はどうしようかなとスマホを眺めていると、ふと今日がバレンタインであることに気づいた。

 何も考えていなかった。

 幸いスイーツづくりが好きなのでチョコレートは家にまだあったはずだ。

 誰に渡すでもないが、久しぶりに作ってみることにした。


 最後に作ったのは確か高校生1年生の時だ。

 好きな男の子がいて、その子は昔からの幼馴染だったからそれを言い草に彼に渡すつもりで作った。

 前年までは恋情とか意識してなくて、認識の上ではただ純粋な幼馴染だったし、彼を含めて男の子に渡すこと自体に気が引けたので、男の子に作ったのは初めてだったことを覚えている。


 でも結局、私は渡さなかった。

 彼といつまでいられるのかなんてわからないけれど、他の女の子のもとに行って関われなくなってしまうかもしれないけれど、でもただ私はこの日常を壊したくなかった。


 臆病だと言ってしまえばそうなのかもしれないが、恋情なんかで失ってしまうにはあまりにも惜しい、大切な人だったのだ。

 

 昔、人と関わるのが苦手でクラスに馴染めていなかった私を、そっと陰で支えてくれていた。

 

 進路のことで親と喧嘩して塞ぎ込んでいたときは、ただ話を聞いてくれた。

 

 受験の時はいろいろなストレスで押しつぶれそうだったけど、同じ学校を受けると言ってくれて側にいてくれた。


 

 そうやって懐かしい思い出に耽りつつ、私はガトーショコラを作っていった。

 いつもはミルクが多い、しっとりしたガトーショコラを作るのだけど、今日は少しビターな味にしてみることにした。

 ゆっくりと焼き上げて、焼きあがったガトーに砂糖をまぶし、切り分ける。

 一切れ食べてみると、非常に満足の行く味だった。とても美味しい。


 でも少し作りすぎてしまった。冷蔵庫のストックしていたチョコレートをすべて使い切ってしまったから仕方ない。

 

 そうやって言い訳していたら、今日が最後の日であったと思い出いだしてしまい、また少し後悔する。

 でもずっと家に閉じこもっているのも何か違うような気がした。

 どこかに出かけてそこで終わりを迎えよう。


 いつも以上に丁寧にメイクをして、お気に入りの洋服を選んで、髪を結う。

 アクセサリーは高校の修学旅行で買ったこの星のイヤリングとネックレスを付けていこう。

 最後に財布と残したガトーショコラを鞄に入れて私は家を出た。


 行く当てなどないが、とりあえず駅に行くことにした。

 はて、そこからどうしようかなと思いつつ、改札をくぐる。


 最近はスーパーなど、せいぜい自分の家の近くまでしか出かけてこなかったから、街の様子は知らなかったけれど、思ったより落ち着いていた。

 もっと荒れ果てているものだと思っていたが、皆今日で終わりだなんて信じていないように電車に乗っている。でもやっぱり、幾分か人は少なく感じた。


 

 ぼーっとしながら電車に揺られていると、いつのまにか寝てしまっていた。

 気づいて目を覚ますと懐かしい地名が聞こえる。

 どうやら地元の方まで来てしまったらしい。


 降りてみるか、と思って重い腰を上げる。

 なにせ30分くらいは寝てしまったから、少し体がだるい。

 人間らしい感覚を改めて認識して少し可笑しく感じたけれど、幸せなことだろうと思った。


 

 かつての最寄り駅、要するに実家の最寄り駅に降り立った私は、数年ぶりの地元の空気にむず痒い感覚を覚えつつ、どこに行こうかと思いを巡らせていた。

 両親とは仲が良くなくて、大学に入ってからは一人暮らしを始め、まったく地元に寄り付かなくなってしまっていた。

 自宅の近くは避けつつ街を見ることにするか、と決心して小学校の方へ歩いて行った。


 

 私の通っていた小学校は、ちょうど私が卒業した翌年に改修工事がされてしまって、今ではモダンな見慣れない校舎になっている。

 でも、かつて歩いていた通学路は当時の風景を残していた。

 まっすぐな小道の両脇にはツツジの木が並んでいて、小さい頃はここで彼とよく蜜を吸っていたっけ。

「懐かしいな……」と思わず声が出てしまう。


 


 数十秒くらいだろうか、その場に留まって感傷に耽った。

 

 そして、小学校に行ってもどうせ知らない校舎があるだけ、とこの道を見れたことだけで満足してしまった私は、結局行き先を変え公園に向かった。

 本当は実家のマンションから見えるから若干気が引けるのだけれど。


 

 さっきの道を外れて、長い上り坂を上がっていく途中にその公園があった。

 古びてさび付いたブランコと、小さな水飲み場と、そしてまるで遊具の数合わせかのように公園と木々の境に並べられた多くのベンチ。

 私が小学校の頃に彼と遊んでいたときはもう少し遊具があった気がしたが、大きくなったとなってはありがたい。

 近くにあったベンチに座って、意味もなく空を眺める。


 寂しいほどに雲のない空だった。

 2月の中旬ということも相まって太陽も頼りない。


 寒いなと思ってふと足元に目をやると、小さい子が書き残したであろう落書きがあった。

『またね』

 文字の隣には上手なネコと謎の生命体のイラストがついている。


 そうか今日で終わるのか、とまた思い出す。

『また』ということは彼または彼女も、小さいながらにわかっていたのだろうか。

 

 彼らなりに頼りない未来をつなぎ留めたかったのかもしれない。

 

 はたまた何も知らずに、いつもの落書きを消し忘れただけかもしれない。


 

 冬の冷たい風が公園に吹き抜ける。

 久しぶりにブランコにでも揺られてみようかと寒さに身を縮めながら歩みを進めていると、背後からじゃりっと砂のこすれる音がした。


 人気(ひとけ)なんてあったっけと驚いて後ろを振り向くと、懐かしい顔があった。

 幼馴染のまさに彼である。


「びっくりした……」私は少し声を震わせて彼につぶやく。

「こっちこそ。ベランダから眺めてたら見えたからさ」

 あまりにもさびれた公園である。どうしても目立ってしまったらしい。

 両親じゃなくて彼が見つけてくれたのはすごく幸運なことだ。


「久しぶりだね」

「うん、久しぶり」

「高校卒業して以来だね」

「うん、そうだね」


 彼はかつてのようにゆっくりと私の話を聞いてくれる。


「元気にしてた?」

「うん、元気だよ。今日はとっても寒いけどね」

「でも寒いの好きじゃなかったっけ?」

「まあ好きだけど、今日はあったかくても良かったかなって」


 そう言って彼はポケットから手とカイロを二つ取り出す。

「さっき持ってきたから。どうぞ」

「ありがとう」


 彼のくれたカイロはずいぶんと温かかった。

 試しにしゃかしゃか振ってみるけれど、案の定小気味いい音がする。

「その音好きだったね」


 彼は懐かしそうに優しく笑う。

 私もつられて笑ってしまう。

「うん、カイロなんてひさしぶりだよ。大学受験のとき以来だね」

「メッセージ書いたよね。懐かしい」


 ああ、あったなと思い出す。

 懐かしそうに、綺麗な瞳を輝かせて彼は言う。

 思わずその澄んだ瞳に吸い付けられてしまって、ああ、この瞳が好きだったなと思い出す。

 

 そして一緒に、鞄に入ったガトーショコラのことも思い出した。


「今日って何の日でしょう」


 おどけて聞く私に彼は答えを手繰り寄せるように悩む。

 何を私が言ってほしいのか、言い当てようとでも言わんばかりに。



「バレンタインかな」

 熟考の末出たのは予想通りの答えだった。


 だから私も予定通りに、「ふふ、そんなこと気にするお年頃だったのね」とからかって見せる。


「相変わらずだねぇ」と彼は笑った。

 まあきっと彼の事だから、あえてそう答えたのだろう。



「ガトーショコラ作ったの」

 少し言うか迷ったけれど、もう少しこの人をからかいたくなって口にする。

 鞄の中から取り出したガトーショコラはちゃんと崩れずに形を保っていてくれてるようだった。


 すると彼は意外そうに眼を丸くした。

「バレンタイン、作るタイプだったっけ」

「うん。友達にはね」

 少し嘘をついた気持ちになりつつ、でも変わらずからかうように答えた。


「なるほど、今日は誰かに会った帰りだったの?」

「いや、お散歩だよ。今日は……」


 

 不意に言い淀んでしまう。からかっていたはずなのに、うまい言い訳ができずに調子が崩れた。

 そういう話になるなんてわかってたのに。


 そして私はまた、空を見上げた。


 彼の瞳も地面も見ることはできなかった。

 ガトーショコラを作った理由なんて、それを持ち出した理由なんてただ一つの曖昧な感情の表出でしかない。

 彼を思って、とかそういうものでもないことを自分はわかっていた。


「寂しくないの?」

 声が震えながら私は彼に尋ねる。

「そうだねぇ、寂しいね」

 優しい声で、でも変わらない調子で彼は答えた。


 本当に思っているのか、とちょっとぼやけた目で彼を見ると、ごめんねと言いたげな顔で私を見つめてくる。

「寂しいけど、今日は悪い日じゃなかったよ」


 そうしてまた彼は口をつぐんで、手に持ったカイロを私の手に押し当ててくる。


「大丈夫だよ。寒いから少し暖かいところにいこう」

 今度は彼は背中にカイロを押し当てて、彼の家に連れて行った。


 

 彼の家は私と同じマンションの一階だった。

 両親は海外に出張していて、高校の時から彼は一人で住んでいた。

 中に入ると、暖房がよく効いていて、小さいころよく遊びに来ていた時と同じ見慣れた内装をしていた。


「親は帰ってこないの?」

 まだ少し声が震えたまま彼に問いかける。


「どうも飛行機が飛ばせないらしくてね」と彼もまた寂しそうに答えた。

 でもまたすぐに優しい顔をして、「フォークあげるから、ガトーショコラ食べて少しゆっくりしな」と私を椅子に座らせてはフォークを目の前のテーブルに置いた。


 優しい気持ちに触れてばかりで少し気持ちが揺らぎそうになった。

 せっかく落ち着いてきたのに、また視界が霞みそうになる。


 食べる?と少し聞こうかなとも思った。

 でもきっとよくないなと思ってぐっと堪えることにした。


 

 一人でガトーショコラを食べていると彼はホットミルクをもって椅子に座った。

 私の分まで用意しているところが彼らしい。


「ホットココアにしようかと思ったんだけど、かぶるかなと思って」

 少し気恥しそうに彼は微笑む。

「ううん、ありがとう」


 最後の一口というところまで食べて、口を開く。


「先月からね、誰とも話してなくてさ」

 澄んだ瞳で彼は私を見つめている。


「今日久しぶりに話してさ。嬉しかったけど、どういう心持でいたらいいのかわからなくて。君といたいとか、私は言っちゃいけないんだろうなって」

「別に悪くないと思うけどね」


 何でもないように彼は答えた。

「僕らはね、世間から何を求められているのかわかってしまうタイプだから。きっとそれが痛く刺さってしまうんだよ。舞はもっと泣いてもいいんだよ。ここには二人しかいないんだから」


 久しぶりに名前を呼ばれてびっくりする。

 少し瞳を潤ませながら彼を見ると、やっぱり透き通った眼をしていた。


「この世界が終わるから、何をしようっていうんじゃなくて、特別でなくてもいいんだと思う。もしかしたら終わらなかったらいいなとか願ってみても、それが人間らしいってことだと思うよ」

 私が悩んでいたすべてを見透かすように語りかけてくる。


「言葉でしか近寄れなくても、きっと大丈夫だよ」


 彼はどこまでわかっているのだろうか。

 本当は寂しくて、昔のように体を寄せてもたれられたらなんて願ってしまう私に、からかって言葉でしか近づけないことに苦しんでいた私に、どこまで気づいているのだろうか。

 好きだって思いに、大切だって思いに、どこまで気づいているのだろうか。


「ずっと大切に思ってるよ」

 ずっと言えていなかった言葉を口にして私は最後のガトーショコラを口に入れた。


「僕も思ってるよ」


 きっとそれ以上に言葉も行動もいらないから。

 付き合うとか付き合わないとかそんなのは些細な違いだった。

 ただこの心の空白を、自分という存在を、貴方と預けあえたらそれでいい。

 それをこうして確かめ合えたのだから、恋人とかいう枠にとらわれるのもなんだか違うように思えた。


 

 そうやって暖かい心地に包まれていると、ふと地面が大きく揺れた。

 そして私たちは、私たちのこれからをすぐに悟って、手を伸ばし小指を結んだ。

 

 もう怖くはなかった。

 私は1人じゃないし大丈夫だ。


 「碧、またね」

 

 そうして最後に彼の名前を口にして、数秒もない間に地球は終末を迎えた。

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