ジェラート屋『パウリームース』~悔悟者とその親友は転生せずに第二の人生を始める~
私、ヘンリエッテ・ナーゴルトの生は明日で終わる。そう知り合いの騎士に告げられてから、私は漸く人生の終わりというものを悟った。
――どうして?私はただ愛しの婚約者であるレオ様と結ばれたかっただけなのに。
「馬鹿ね。レオボルト様に横恋慕した令嬢なんて無視すればよかったのよ」
バッと顔を上げると、鉄格子の向こうに懐かしき友の顔があった。
「フィオ……フィオミール!?貴女なの!?4年ぶりかしら……うふふ。全然変わってないわね」
「それはこっちの台詞よ。昔からエッティは自分が1番じゃないと気が済まないって暴れて……私が何度エッティの暴挙を止めたと思ってるの?」
フィオ――フィオミール・ザクセン元男爵令嬢は心底呆れたと言わんばかりの表情で私を見下ろす。本来なら不敬で処される態度も、6歳から12歳まで同じ音楽学校に通っていた仲に免じて許容している……そうよ!私は寛容な貴族なのよ!?
「私が今までに暴れたことがあって?全てあの泥棒猫が悪いのよ。人の婚約者に粉をかけようとして……偶々幼女趣味の子爵が物好きにもあの女を気に入っていると耳に挟んだから、私が直々に紹介してあげただけじゃない!」
「強姦の手引きと毒殺未遂、果てには悪役組織との癒着……私が色々落ち着いた頃にはエッティの断罪が確定していたんだけど?」
「だから!私がしたのは子爵に紹介しただけよ!残りは本当に知らないの……」
独居官房に入れられて早3日。掠れた声は飲み水すらまともにもらえない劣悪な環境を雄弁に物語っていた。美しい声と顔と髪が自慢だったのに。
――私を見ないで。でも傍にいて……見捨てないで。
「私が今働いてる食堂は情報の宝庫なの。そこではエッティの話題で持ちきりよ。『悪逆非道な侯爵令嬢』とか『傲慢と嫉妬が招いた当然の結果』とか『ナーゴルト家は愚か者の集まり』とか……皆、同情なんて欠片もしてないわ」
「……っ」
「泥棒猫……マルガレータ子爵令嬢は私が退学した後に転入してきた子ね?その子は被害者ながらもエッティに同情して、ナーゴルト家の爵位剝奪を反対したらしいわ。彼女が自由な場所で光を集めれば集める程、そこにいるエッティの闇は濃くなっていく……本当に酷ね」
「貴女はわざわざここに来て嫌味と洒落を言いに来たの?散々な再会だわ……!神は最後まで私を虐げる気でいるのね」
フィオに鋭い目を向けると、彼女は膝を折って簡素なワンピースの裾を床につけた。ザクセン家が没落して4年が経つ。元から貧乏貴族だった旧友に貴族の面影は感じられない。
――あぁそう。貴女も有象無象に染まってしまったのね……。フィオがいた頃の学校は毎日楽しかったのに。
昔はフィオのクラリネットに乗せてよく歌っていた。身分差はあっても、私たちは音楽を通じて心を通じ合わせていたと思ってたのに。
「……ねぇエッティ。憶えてる?もし私たちが貴族じゃなかったら何をしたいのかを」
「……当たり前じゃない。私、来世ではジェラート屋さんで可愛い制服を着て毎日フレーバーの研究をしているの」
ツンとそっぽを向いて即答すると、後ろで息を呑んだ音がした。私が忘れてると思っていたの?心外だわ。
――隣国でジェラートというスイーツに出会ってからずっと憧れているのよね。
「私が接客と研究で、フィオは会計と宣伝と掃除と……それ以外全部よ。気が向いたら仕込みくらい手伝ってあげる」
「人には得手不得手あるものね。改めてエッティの口から聞くと如何にも子供の夢って感じで微笑ましいわ」
今のフィオは間違いなく額に青筋を浮かべて口の端が上がっている。昔は目を輝かせて頷いていたのに。いつから可愛げがなくなってしまったのかしら。
「……そろそろ時間みたい。もう行くわね」
「ぁ……」
「……さよなら。エッティ」
フィオはあっさり私を置いて行ってしまった。寂しい別れの挨拶だけが残り、増幅した不安と恐怖が私の頬を濡らす。湿気とカビの臭いや光を通さない壁が今までの行いを責めているように感じた。
「……っ。グスッ」
――嫌よ。嫌……私、本当に明日……。どうして?私は……。
「確かに沢山意地悪してきたけど、打ち首になるまでのことはしていないじゃない……!どうして誰も信じてくれないの……?」
私は部屋の隅で膝を抱え、迫りくる死の恐怖に怯えていた。そして喉も涙も枯れたその時。
『――ドゴーーン!!』
「!?」
目と鼻の先で中型車が厚い石造りの壁に後ろ向きで激突する。私は隅っこにいたお陰で無傷だった。
――あ、危ないわね!何でバック発進!?あと何この車……。
薄暗い明りではぼんやりとしか見えないけど、石壁に大穴を開けた車は所謂キッチンカーの形をしていた。販売窓の下にはアルファベットで『ジェラート』と書かれている。私はタイムリーな言葉に目を見張った。
――この破天荒で雑な侵入とジェラート屋の車……絶対に彼女の仕業だわ!
「ま、まさかフィオ!?フィオな、の……」
最後に会った友人の名前を呼びかけて絶句する。何故なら――運転席から出てきたのはフィオではなく、鹿の着ぐるみだったから。
「牢屋が半地下でよかった~」と聞き慣れた声がしたと思えば、すぐに鹿の着ぐるみを着た侵入者は裏声で語りかける。
「やあ!私はパウリームース!このジェラート移動販売車の看板シカ娘だよ!明るくて元気いっぱい!仲間想いな性格さ!今夜は大切な友達……そう君だよヘンリエッテ!君を助けに来たんだ!」
「じぇ、ジェラート……?」
「そう!私と一緒にジェラートで夢を希望を届けていこう!ハハッ!」
――えっ何かしらこの着ぐるみ……色々と危険ではなくて!?
溌剌とした笑顔に今にも陽気な音楽が流れてきそうな風貌。パウリームースの見た目は子供のみならず、一部の女性受けしそうな印象だった。フィオったら結構センスあるじゃない。私もこういうの嫌いじゃないわ。
「って貴女フィオでしょう!?何よその恰好と乗り物!助けに来てくれたのはとっても嬉しいわ?けど……私の腰が抜けたら本末転倒じゃない!」
「……だってエッティのことだから。私が帰ったら泣いてると思って」
「……まさか。私好みの姿で助けに行けば、私が元気になるとでも……?」
フィオは答える代わりにパウリームースの頭を取り、あろうことか私の頭に被せた。えっ意外と視界広いわね。
「学費が払えなくなって学校辞めてから、ずっと家の為に生活資金を工面してきたけど……ある時お父様が私にこう言ったの。『もう勝手に音楽学校に行かせたり結婚相手を決めたりしないから、これからの人生、フィオのやりたいことを優先しなさい』って」
「……」
「その時、真っ先に浮かんだのがエッティのジェラート屋さんだったわ。侯爵家のエッティが叶えられない夢を、私が叶えてみたいって……」
「……嫌がらせ?」
「もあるけど、試食のアドバイスくらいは貰ってやってもいいかなって思ってたわ」
どうやら私の幼い頃の思い出は美化しすぎていたようね。フィオは音楽に対する意欲が低い子でよく授業を仮病で休んでて、その癖私が苦手な実技授業の時だけしっかり出席する悪趣味女だったわ。
「……人には得手不得手があるって言ったでしょ。色彩と味覚のセンスや貴族とのコネはエッティの方が得意だから、本当はもっと初期段階から相談して、ちゃんとした店を作ろうって思ってたのに……」
そんな悪趣味フィオは今――ボロボロと涙を零していた。転んだだけで泣く私と違って、彼女は普段からあまり感情を表に出さない子なのに。数回しか見たことがないその姿は、レオ様から投獄を言い渡された時より私の心を抉った。
「ばかっ……エッティのばか!ただでさえ身分が離れてて、もう昔みたいに会えないのに……どうして二度と会えない場所に行きかけてるの!?」
「……っ!」
「心を改めるとか、自業自得とか……そんなのどうでもいい。私の目で見たエッティを信じてる……だから来世じゃなくて今、私とジェラート屋さんやって」
私の断罪を決めたのはこの国。ナーゴルト家侯爵令嬢として、この手を取ってはいけない。でもこのまま粛々と断罪される時間までこの場所で待つ?決死の覚悟で来た友達の手を振り払って?
――私は……。ただの『ヘンリエッテ』は……!
腹を括り、勢いよく着ぐるみの頭を取る。固まって薄汚れたアクアグリーンの髪が不快だった。
「ハサミかナイフはある?」
「え?あ、あるわよ」
料理バサミと頭を交換し、私は躊躇なく自慢だった長い髪を切り落とした。そして呆気に取られているフィオを置いて助手席に乗り込む。
「……食堂で盗み聞きした情報だけじゃ不明瞭だわ。雇うのは私目線の話を聞いてからにしてくださる?て……店長さん」
「私て店長じゃないわ」
「追手が来るから早くなさい!さっき言いそびれたけど、私を泣き止ます為にこんな派手な侵入をする必要があって!?」
「あ、それは私の願望」
「貴女って本当に悪趣味ね!?」
フィオは真剣な表情で安全ベルトを締める。今からこの車で追手のプロを撒くのだから、緊張するのも当然……。
「あら。発動機がかからないわ……あ、制動装置踏んでなかったわ」
当然……?
「あら。フロントガラスに土埃が……えっと窓拭き器……あれ?こっち方向指示器ね」
「……フィオ。貴女まさか」
「ハハッ。空の彼方へ、さあ行こう!」
「だから色々と危険だって言ってるでしょぉぉぉぉ!?」
急発進した次の瞬間、キッチンカーは空高く飛び上がった。フィオ曰くこの車は最新モデルで、彼女のお父様と練習した車とは仕様が全然違うみたい。しかもそれだけじゃないわ。
「この国の貴族社会の腐敗っぷりと比べると、この話も似たようなことだけど……」
「その入りだと、私今からゴミみたいな自白をしますって言っているのと同じになるわよ?」
「お父さんが私の運転に了承したの昨日」
「韻を踏んで誤魔化さないで頂戴!貴女それ私の断罪を聞いたから強引に押し通したんじゃないでしょうね!?」
フィオはアクセルペダルを踏んだまま車のスピードをどんどん上げていく。一方で私の不安も右肩に上がってっているのだけど……ま、まぁ空は地面よりずっと障害物が少ないし。深夜だと鳥さんもお休みになられてるから……直線だと問題ないかしら?
「追手の心配はしなくても平気よ。看守や近くの騎士は皆、反対側で襲ってきた魔獣の群れの対処に急いでるから。皆フィオよりずっと極悪で強い囚人達を脱走させないよう必死よ」
――だからあんな侵入方法でも人が来なかったのね。
「それに牢を出る直前、エッティが切った髪に加えて事前に用意した血を撒いたから。このまま逃げ切れば看守長や宰相がきっと『収容されていたエッティは魔獣の襲撃に遭って獄中死』っていうシナリオを作る……といいわね」
「希望論じゃない。でもどうして魔獣の群れが私のいる牢獄に来たの?しかも反対側……」
ここでスピードが落ち、車は海岸沿いに停車した。流石最新モデル。たった数分で国の端まで移動したわ。
「私の魔法で彼等を刺激して操って、指定の場所まで誘導したの」
「は?フィオの魔法はクラリネットが無いと使えないじゃない。少ない財産と一緒に手放したって聞いたけど?」
「そうよ。だからもの凄く頑張ったわ……指笛で」
「指笛!?」
「他の出費を優先してたから。クラリネットを買い戻すのは間に合わなかったの」
フィオにとってクラリネットは魔法の杖と同じ。それを指で代用するなんて……。
――意外と計画的で慎重派のフィオが、私の為に色々前倒しで計画を進めて……たった1人で?
あまりのことに動揺が隠せないでいると、見かねたフィオが私を砂浜まで連れ出した。
――夜の海なんて初めて……それにもうすぐ夜明けね。
「指笛とキッチンカーぐらいで驚いてもらっちゃ困るわ」
フィオはクーラーボックスから白色のジェラートを取り出してスプーンを添える。驚いている私を横目に、彼女は口をまごまごと動かした。
「……本当は最低でも4種類は用意したかったんだけど、最初からあまり上手くいかなくて……」
「……それでも凄いわ。見た目は完全にお店のジェラートだもの」
震える手でスプーンを持ち、口に含む。アイスクリームより軽やかで上品な味わいの中に、どこか懐かしさを感じた。
「……これ、もしかして遠足で行った牧場のミルクを使ってる?」
「きしょ……希少だったんだけど、なんとか買い付けられたの」
――今、気色悪いって言った?ふふん。味覚には自信があるの。特にジェラートにはうるさいわよ。
「とろけるように奥深くて上品な味……とっても美味しいわ。きっとこれなら他のフレーバーと一緒でも合うでしょうね」
「……」
フィオは感極まった顔を隠すように蹲る。そして蚊の鳴くような声でごめんなさいと呟いた。
「……さよならなんて嘘。誰が聞いているか分からなかったから……真に受けたわよね」
「当たり前よ。私はこう見えて繊細な一面もあるの」
「知ってるわ。高飛車で常に自分が中心にいないと気が済まなくて、感情の切り替えが苦手ですぐ癇癪を起こして周りが見えなくなって……」
「その分析を断罪逃れた直後に聞くのは少々重たいのだけど」
「でも一度気に入った人には(エッティなりに)優しくて、1人になるのが嫌な癖に弱ってる姿は誰にも見せたくない面倒な人……私が助けたかったのは横恋慕した相手を憎む侯爵令嬢じゃない。変に完璧主義でたまに真理を突く、どこにでもいない変人よ」
おかしいわ。私がジェラートを褒めた時のあの子は何処へ行ったのかしら。やっぱり没落して極貧の生活を送ってから性格も歪み切ってしまったのね可哀想に。
「……ってお待ちなさい!フィオのだけトッピングが豪華だわ!クッキーの耳にチョコチップの鼻……パウリームースをモチーフとしたデコレーションジェラートね!ずるい!フィオはいつもこういう時抜け目がなくて私にはとても真似できないわ!こ、このいやらしい雌豚!」
「視覚的魅力と看板商品をイメージして作っただけだったのに……エッティの所為でえっちになっちゃったわ」
空の端が白み始めるまで私とフィオは語り合う。夜と砂とジェラートの冷たさが、ふと私を現実に引き戻すけど――隣に常軌を逸した友達が傍にいるだけで、負の気持ちが薄れていくのを感じた。
「パウリームースは御年97歳で、テーマソングは……」
「やめなさい!とっくにスリーアウトよ!」
漠然とした不安に苛まれる暇も無いくらい、私がフィオに振り回されるのは――第二の人生の醍醐味かもしれない。




