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第82話 宣戦布告だと!

書簡が読み上げられると同時に、大広間は氷のような沈黙に包まれた。


燭台の炎がゆらりと揺れるだけで、誰一人として息をする音すら聞こえない。


「……宣戦布告、だと?」


フリードの声が低く、辺りに響いた。声の震えは怒りか、それとも焦燥か——その区別すらつかないほど、場の空気は鋭く張り詰めていた。


サマーセット伯爵の従者は居丈高に、書簡の内容を読み上げる。


「『ビック領は我がサマーセット領の正当な権益を侵害し、当家一族の名誉を毀損した。塩の取引において不当な中傷を広め、これを口実に安価に買い叩いた。さらに、余剰穀物を不当に簒奪し、当領に由来するホーネット酒およびホーネットシロップの職人を不当に攫った疑いがある。よって、我らはこれをもって正義の裁きを下す』」


従者は紙を打ち鳴らすようにして読み上げ、最後に続けた。


「『よって、今から十日後に宣戦布告を行い、ビック領の制圧を開始する。これが我が最終決断である』」


そして、その場を去っていった。短く、冷たく、非情な足取りで。


大広間に残された者たちは、呆然と床を見つめる。オデッセイの顔からは血の色が一気に引いた——怒りと恐怖が一度に押し寄せたようだった。


「誹謗中傷? 搾取? 拉致? 権益の侵害って……一体どんな言いがかりを!」


彼女の声は震えている。そこには矛盾への憤りと、娘への不安が混じっていた。


ヴェゼルは眉間に皺を寄せ、冷静に情報を咀嚼する。言葉の奥にある構造を、理屈で引き剥がすように見渡した。


「完全な言いがかりだ。出来すぎた筋書きで、自分たちを正当化し、戦争の口実にするために組まれた台本だ」


彼の分析は鋭かった。サマーセット側が単なる感情的な報復ではなく、計算された政治工作を行っているという可能性を示している。


塩の粗悪品の大量出回り、穀物の買い取り詐欺、先日の誘拐——いずれも表向きは偶発的でも、積み重なれば「権益の侵害」として被害者側に罪を押し付ける口実になり得る。


フリードは堪え切れず、机を拳で叩いた。石造りの壁に振動が広がる。


「卑劣な……! 塩モドキを売りつけ、穀物を奪っておいて、その責任を我らに擦り付けるつもりか! 許せん!」


怒声が大広間を震わせる。だが、その激情の裏にあったのは、冷厳な現実だ。状況は既に単発の事件を超え、外交と軍事を絡めた計画へと変容している。


オデッセイが涙をぬぐいながら、声を震わせる。


「アクティが……アクティが道具にされるだけじゃないかしら。もし、本当に——処刑されるようなことがあれば……」


その言葉が、誰の胸にも刺さった。母親としての恐怖が、領主の理詰めとは別の重みで場を締める。



そのとき、ヴェゼルが重く口を開いた。


少年だが、その口調は領の会議を取り仕切るに足る冷静さを帯びていた。


「アクティは交渉のカードにされている可能性が高い。いわば交渉の切り札だ。だからアクティの身の安全は大丈夫だと思う。敵は生きたまま人質にして、僕たちに圧力をかけようとするはずだよ。だからこそ、焦って感情的に動くのは敵の思う壺になる」




ヴェゼルが不安そうに口を開いた。


「お母さん……帝国では、貴族同士で戦争していいの?」


オデッセイは娘を安心させるように、落ち着いた声で答えた。


「“いい”というより……許されている、って言ったほうが正しいわね」


ヴェゼルは首をかしげる。「どうして?」


「帝国の初代皇帝、ザンザス・トゥエル・バルカンのことを覚えている?」


オデッセイはゆっくり言葉を紡ぐ。「初代皇帝はもともと冒険者で、ジョルノ・フォン・ビックとその仲間たちと一緒に戦乱に明け暮れていた小国を武で統一した人だったの。そのせいで、この国の根本には“武による決着を認める”という考えが残っているの」


ヴェゼルは目を丸くする。「じゃあ、何でも戦って決めていいの?」


「もちろん、何でもかんでもじゃないわ」オデッセイは首を振る。「いくつかの決まりがあるの。当事者同士だけで戦うこと。他の貴族は加勢してはならない。それから、戦を始める前には必ず宣戦布告をして、その理由をはっきり示さなければならない。――それが帝国の掟」


ヴェゼルはさらに問いかける。「じゃあ、戦いが終わったらどうなるの?」


「戦争が終わったら、その正当性を帝国議会が審議するの。でもね……」オデッセイは少し苦い顔をして言葉を続けた。「今まで、負けた側の言い分が認められたことは一度もないの。結局は勝った側の言葉が正義になるのよ」


ヴェゼルは唇を噛んだ。


「つまり……勝てばすべて正しい、ってことなんだね」


オデッセイは小さくうなずいた。


「そういうこと。だからこそ、私たちは負けられないのよ」



そして、フリードはしばし沈黙した後、唇を噛みしめるようにして、苦渋の表情で頷いた。


「……よし。まずは兵を召集し、防御態勢を整える。時間を稼ぎつつ、アクティの行方を突き止める。ルークス、トレノ——お前たちには情報網と現地の聞き込みを任せる。サマーセットで商売をしていたジールを頼れ。状況次第でおまえたちに全て任せる。アクティを………………頼んだぞ!」


ルークスとトレノは即座に決意の表情を見せ、立ち上がる。領のあらゆる力を集中し、情報の網を張る必要がある。

ヴェゼルは続けた。声に確信が籠っている。


「僕たちは闇雲に突っ込んではいけない。敵は口実を用意していた。今は冷静に、だが迅速に動く。ただし、村の非戦闘民は最優先で避難させる。兵の配置は僕が考える。時間を無駄にするな」


言葉に触発され、部屋の中の空気が再び動き出す。人々の顔に、恐怖から覚悟へと色が変わる。訓練されていない村人も、守るべきもののために立ち上がる決意を固める。


だが、扉の向こうで、誰もが胸の奥に感じていた暗い予感は消えない。


——これは単なる領地争いではない。


——これは、領と一族の存亡を賭けた、大きな戦いの始まりなのだ。


大広間の灯りは、いつもより少し冷たく見えた。炎の揺らめきが、これから来る嵐の陰影を知らせるかのように。






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