第77話 今日はお休み ー デート
翌日。今日は魔法の修行はお休みをもらいデートに来ている。
ヴェゼルとアビーは、久しぶりに街で二人きりの時間を過ごしていた。
もっとも、完全に二人きりではない。少し離れた通りの陰には、グロムとトレノ、それにキックスが護衛として控えている。
三人は「若い二人の甘酸っぱい時間を邪魔してはならない」という暗黙の了解のもと、遠巻きに見守っているのだった。
アビーは朝から上機嫌だった。昨日の修行で大きな成果を上げたのもあるし、今日はヴェゼルと街を歩けるのが単純に嬉しいらしい。
彼女は雑貨屋や洋服屋を覗いては、「これかわいい!」「こっちも!」と目を輝かせている。ヴェゼルはその後ろから、どこか穏やかな笑みを浮かべつつついていく。
「ヴェゼル、あれ見て!」
「うん、似合いそうだね」
「え、そう思う? じゃあ……今度また買いに来よっと」
そんなやりとりが続き、やがて二人は街でも評判の喫茶店に足を踏み入れた。木製の扉を開けると、ふんわりと焙煎豆の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。中はほどよく混んでいたが、運よく窓際の席が空いていた。
二人は向かい合って座り、メニューを手に取る。
「うわぁ……パンケーキも美味しそう……やっぱり人気の喫茶店だね」
「僕は紅茶でいいかな」
さっそく店員に注文を済ませると、すぐに紅茶が来た。
紅茶をひと飲みするが、アビーはそわそわと落ち着かない様子になった。視線を泳がせ、テーブルの上で指をもじもじさせている。
(ん? なんか変だな……)
ヴェゼルが不思議に思っていると、アビーが突然顔を上げ、勢いよく口を開いた。
「ねぇヴェゼル! サクラって、誰なの!?」
ブフォッ!
ヴェゼルは飲みかけていた紅茶を思いっきり噴き出した。目の前のテーブルにしぶきが散り、慌ててナプキンで拭く。
「ごほっ……ごほっ……な、ななな、なんで急に……!?」
アビーの瞳は真剣そのものだ。普段はおっとりしている彼女にしては珍しく、攻めの姿勢である。
「だって! アクティちゃんから手紙をもらってから、ずっと気になってたの。手紙でも詳細には書いてくれないし。サクラって子の名前、昨日も何度か話してたでしょ? ……」
「ち、違う違う! 誤解だから!」
ヴェゼルは必死に手を振る。しかし心の奥に、ふと“前世”の記憶がよみがえった。
──会社員だった頃。
後輩の女の子から相談を受け、真剣に話を聞いてあげたことがあった。数日後、その子が「先日はありがとうございました」と直筆の手紙をくれた。特に深い意味はなかったが、なんとなくポケットに入れた。
──そして帰宅した夜。
妻にその手紙を見つけられ、烈火のごとく責められた。必死で「相談を聞いただけ! 本当に何もない!」と説明したが、しばらくは険悪な空気が続いたのだ。
(……あの時も、めちゃくちゃ焦ったな……!)
現実に戻る。目の前には、疑いの目をきらきらさせたアビー。
「ヴェゼル。私に隠しごとしてない?」
「してないとは…………でも、やましいことはしてない! 全然ない!」
ヴェゼルは両手をぶんぶん振りながら必死に説明を始めた。
「サクラは……えっと……友達というか、相棒というか……その……」
「その?」
「人じゃない!」
「ひとじゃない……?」
アビーが首をかしげる。ちょうどそのときだった。
ポケットの中から、ひょっこりと小さな顔がのぞいた。
「私のこと呼んだ?」
「ぶふぉぉおおおお!!」
今度はアビーが盛大に紅茶を吹いた。カップの中身が机に飛び散り、咽せる。
………………鼻からもちょっと紅茶が。。
店員が「だ、大丈夫ですか!?」と駆け寄ってくる。
慌てて二人は「大丈夫です!」と頭を下げた。幸い、周囲のお客はおしゃべりやお茶に夢中で、誰も気づいていない様子だった。
サクラは胸を張って言い放つ。
「私は闇の妖精サクラ! 一生ヴェゼルと添い遂げるの! だからアビー、よろしくね!」
「え……えぇぇぇ……」
アビーは固まったまま、視線を泳がせる。頬は赤く染まり、耳まで真っ赤だ。
「い、いまの……どういうこと……?」
「えっと……その……事情があって……」
「事情って何よ!」
二人のやりとりを無視して、サクラはさらに調子に乗る。
「だって、私はヴェゼルの一番だから! ねぇ、ヴェゼル!」
「いや、ねぇじゃないから! 勝手に話を進めないで!」
アビーはしばらくぽかんとしていたが、やがてふっと笑った。
「なんだ……そういうことね」
「え?」
「サクラちゃんって、妖精なんでしょ? なら……ちょっと安心した」
サクラはアビーの方を見て、にこにこと手を振った。
「アビー、よろしくね! でもね、私が一番だから! そこは譲らないからね!」
「……えっ」
アビーは苦笑いしながらも、小声で返す。
「強気ね、あなた」
「当然でしょ! だって、ヴェゼルは私の……」
サクラは続けざまにヴェゼルの秘密や日常をベラベラしゃべりだし、アビーは「えっ!?」「そうなの!?」と身を乗り出して聞き返す。気づけば二人は女子会のように盛り上がり、ヴェゼルは一人蚊帳の外。
(なんでこうなるんだ……? 僕のデートだったはずなのに……)
しかしアビーの笑顔を見ているうちに、ヴェゼルの頬も自然と緩んでいく。
──そして最後に、サクラがもう一度念を押した。
「でも忘れないで! 私が一番だからね!」
アビーはカップを両手で持ち直し、くすりと笑う。
「ふふ、負けないから」
かくして喫茶店のテーブルは、甘酸っぱさと賑やかさが入り混じる、不思議な三角関係の空気に包まれていった。




