第75話 翌朝魔法修行の見学と助言
アビーは真剣な面持ちで魔法の準備をしていた。
朝の中庭に漂う空気は、わずかに冷たく、しかしどこか重苦しい。
秋の心地よいさを感じさせる空気が、木々の影に落ちる影と混ざり、緊張を帯びているようだった。
アビーは何度も火球を生み出そうと挑戦するが、どれも弱々しく、赤く揺れる炎がひらひらと揺れるだけで消えてしまう。隣に立つヴァリーは腕を組み、鋭い視線を少女に向けながら、少し眉を寄せていた。
「アビー嬢、火は各属性魔法の基本です。もっと強く燃えることを意識するのです。赤い火、燃え盛る炎。あなたの心の中で、それを実感し、炎に注ぎ込むのです」
アビーは小さく頷くものの、唇を噛んで再度挑戦する。だが、火球は依然として頼りなく、赤い炎が揺れるばかりだった。
ヴァリーは少し焦れた様子で息を吐いた。
「……もう少し、意識を集中させられないものかしら」
時刻はそろそろ一時間が経過しようとしていた。ヴァリーはため息混じりに言った。
「ちょっと休憩しましょう」
アビーは肩を落とし、悩ましげに呟く。
「修行を始めたけど……魔法の威力が全然上がらない……」
「私、どこがダメなんだろう……」
それを聞いたヴェゼルは、思わず一歩踏み出す。
「……ねえ、ちょっといい?」
ヴァリーは振り返る。眉間に皺を寄せ、子供の口出しに対してほんのわずかの苛立ちを隠せない様子だ。
「……なに?」
ヴェゼルは落ち着いた声で、しかし確信を帯びて説明する。
「アビー、火が弱いのは、燃える材料が少ないからだよ。火は空気の中にある、より火を激しく燃やす「酸素」という物質に反応して火が強くなるんだ。だから、風を少し加えて「酸素」を送り込むイメージでやると、炎はもっと勢いよく燃えるはずだよ」
ヴァリーは思わず鼻で笑う。
「酸素? 物質? それを魔法の威力に絡めるのですか……? 火の強さは、属性とイメージで決まるのですよ。そんな理屈めいたものを加えたところで……」
しかしアビーは真剣な瞳でヴェゼルを見上げる。
「ヴェゼル……本当に、そんな方法で強くなるの?」
ヴェゼルは少し微笑み、頷いた。
「うん。やってみる価値はあると思う。炎の中に風を送り込むイメージで、燃える酸素の物質をより多くを送るようにイメージしてみて。それに、火の色も重要なんだ。赤だけじゃ弱い。オレンジ、黄色、白、そして青……火は温度が高いと色が変化する。より高温の色をイメージすると、もっと強力な炎になるんだ」
アビーは目を大きく見開き、深く息を吸った。これまで聞いたことのない概念に胸が高鳴る。
「わかった! やってみる!」
小さな手をかざし、呼吸を整える。集中するのは、炎と空気の流れ、酸素の動き、そして自分の心の熱。
「風を……送り込む……酸素を……燃える材料を……」
ふっと周囲の空気が動き、赤い火球が瞬時にオレンジへ変化し、さらに白く輝く炎となって舞い上がる。その火球は練習用の的を直撃し、一瞬にして的は炎に包まれた。
中庭に熱が広がり、周囲の小石がぱちぱちと弾け飛ぶ。
「きゃっ!」
思わず飛びのくアビー。グロムも眉を上げ、普段見せない驚きの表情を浮かべる。
だが、何より驚いたのはヴァリーだった。
「なっ……! な、どうして……!?」
自分が何週間も教え、停滞していたアビーの火の魔法が、ヴェゼルの一言でここまで変わるとは思わなかった。ヴァリーは長年の知識と経験を頼りに教えてきたが、目の前の現象は全てを打ち破っていた。
胸の奥に焦燥感と小さな屈辱が渦巻く。
「すごい……! ヴェゼル、すごいよ!」
アビーは両手をヴェゼルの肩に置き、跳ねるように喜びを表す。顔は紅潮し、全身から喜びがあふれ出す。
ヴェゼルは微かに笑う。
「やっぱり、火には風が必要なんだよ。二つの属性を組み合わせると、もっと強くなる」
その瞬間、ヴァリーは言葉を失う。
「……偶然、ね……これはきっと偶然よ……」
心の中で自分を必死に納得させようとするが、炎の白い光がその理屈を打ち消す。
長年積み重ねてきた経験を、一瞬で超えたような光景を前に、ヴァリーは思わず肩を揺らす。
ポケットの中でサクラは小さな拳を振り回す。
「ほら見たことか! 上から目線の人、ざまぁみろ!」
ヴェゼルは無表情のまま、心の中で「また面倒なことになりそうだな」と呟く。
ヴァリーは心の中で分析を続ける。
「こんな小さな子供が……でも、この子の知識と思考力で、これだけの魔法を操作できるとは……。魔法の価値は属性だけじゃない……人の想像力と工夫、そして的確な判断が、魔法の威力を大きく変えるのかも……」
ため息をひとつつき、ヴァリーはやや目を細める。
「……でも、まだ油断はできないわね。ほんの少しだけ、私もこの子の魔法を観察しておくべきかも……」
そして、ヴァリーは微かに笑みを浮かべ、アビーに向き直る。
「アビー、次はその方法で試してみましょう」
その表情は、以前のちょっと見下した態度ではなく、真剣な教師としての好奇心に変わっていた。
サクラはまだポケットの中でくすくす笑い、ヴェゼルは肩をすくめ、静かに次の展開を見守るのだった。




