表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

76/352

第74話 アビーさんちへ二度目の訪問

 バーグマンのヴェクスター領へ向かう馬車の中で、ヴェゼルは心なしか落ち着かない。


今回はフリードの命を受け、アビーの様子を見に行くことになった。婚約者とはいえ、子ども同士でそう何度も会えるわけでもない。


 もっとも、今回は一人旅ではなかった。側には頼もしい二人の護衛がいた。寡黙な戦士グロムと、人懐っこいトレノである。


さらに──ヴェゼルの上着のポケットの中では、小さなサクラが隠れていた。彼女は「私も行く」と駄々をこね、仕方なくフリードが同意したのである。


馬車の車輪が小石を弾きながら、秋風に包まれた街道を進んでいた。車内にはヴェゼル、グロム、トレノの三人が腰掛け、そして――ヴェゼルの胸ポケットから、小さな白い顔がひょっこりと飛び出していた。


「ねぇヴェゼル。ポケットに入ってるだけじゃ暇! ずーっと同じ景色で退屈!」


サクラが頬をふくらませ、ぷいっと顔を背けた。


ヴェゼルは片眉をあげて、手に提げていた斜め掛けのカバンをごそごそと探る。そして取り出したのは、木で作られた小さな箱だった。


「じゃあ、この箱に入っていれば? ほら、ほぼサクラ専用の個室みたいなものだよ」


「……」


サクラは箱をちらっと見て、すぐにぷいっと顔をそむける。


「箱の中なんてやだ。せまいし、味気ないし……それに、ヴェゼルの匂いも体温も感じないじゃない」


その言葉を聞いた瞬間、車内の空気がぴたりと止まった。グロムとトレノが同時に口元を押さえて、笑いをこらえている。


「おいサクラ……今、わりと大胆なこと言ったな」


トレノが小声で呟き、肩を震わせる。


「ほう……ヴェゼルの匂いと体温が好きとは。これは将来有望だな」


グロムがからかうようにぼそっと呟き、わざとらしく腕を組んだ。


ヴェゼルは完全に無表情。


「……はいはい。じゃあポケットで我慢しといて」


「しょ、しょうがないわねっ!」


サクラは頬を赤らめてポケットに引っ込んだが、その後もしばらくブツブツと小声で文句を言い続けていた。





馬車の外では、秋の実りを運ぶ農夫たちが行き交い、背後の村では収穫を祝う笑い声が遠くに聞こえてきた。黄金色の稲穂はすでに刈り取られ、天日干しにされた稲が整然と並び、甘い稲の香りが風に乗って車内まで届く。


「今年はヴェクスター領も豊作だな」


グロムが窓の外を見やり、ふと呟いた。


「道すがら見る藁積みの山、すごいね」


「ほんとだ。しかも村人たちの顔も明るいね」


トレノも感心したように頷く。


ヴェゼルは窓の外を眺めながら、心の中で思う。


――でも、この平和がいつまで続くかはわからない。塩の一件、盗賊の騒ぎ……黒幕らしき影もちらついている。



それでも今は、アビーに会うことを考えるだけで胸が温かくなる。






やがて馬車は大きな城館へとたどり着いた。石造りの門をくぐると、庭園には花が咲き誇り、赤や黄色の葉が舞い散っていた。


「おお、よく来たな!」


豪快な笑い声とともに現れたのは、アビーの父・バーグマン男爵。大柄な体に似合わず繊細な髭を整え、腕を広げて迎え入れた。


「ヴェゼル殿、いや、婿殿か?遠路ご苦労であった! そしてグロム殿にトレノ殿、ようこそ我が館へ!」


続いて、気品あふれるテンプター夫人が優雅に一礼する。


「久々にお会いできて嬉しいわ。アビーからはヴェゼルさんのこといつも伺っていますわ」


そして――。


「ヴェゼルっ!」


庭の奥から駆けてきたのはアビー。両手を広げて満面の笑みで迎えに来た。


「アビー!」


ヴェゼルも思わず笑みを返し、二人は自然に並んで歩き出す。その横には、侍女に抱かれたこどもががきょろきょろと首を振っていた。


「こちらがオースチンよ」テンプター夫人が微笑む。


オースチンはヴェゼルを見ると、まるで獲物を見つけた猫のように興味津々で手を伸ばしてきた。


「……なにか気に入られたみたいだな」グロムが目を細める。


「ヴェゼルのポケットからいい匂いがするのかも」


トレノが冗談を言うと、サクラがポケットの中から「ばか!」と小声で返してきた。





その時、背後から声が響いた。


「あなたが……ヴェゼルくんですか」


「はい。初めまして」


「ええ、噂はかねがね。……その歳で授かったのは、あまり実用的ではない魔法だったとか」


 柔らかな笑みを浮かべながらも、言葉は容赦がなかった。まるで「かわいそうな子供」と断じているように。ヴェゼルは反論せず、ただ礼を尽くして頭を下げた。




現れたのは、燃えるような赤毛を背中まで垂らした女性。年は二十三ほど、引き締まった体つきに深紅のローブをまとい、その眼差しは鋭い。


「こちらは魔法省第五席のヴァリエッタ様です。火・風・土の魔法を高位で操られる方」


バーグマンが紹介する。


「ヴァリーで結構です」


ヴァリーは軽く手を振ると、ヴェゼルを一瞥し、すぐに興味を失ったように視線を外した。


「なるほど……顔はかわいらしいが、中身はどうかしら」


グロムとトレノが同時に顔をしかめる。だがヴェゼルは涼しい顔を崩さなかった。


ポケットの中でサクラが「なによこの女!」と小声でぷんすかしているのを、必死に無視する。


アビーだけが心配そうにヴェゼルを見上げ、手をぎゅっと握った。


「ま、今さぁ、今日はまずは夕食を楽しむとしよう」


バーグマンの豪快な声が、場の空気を和ませた。


 その日の夕食は、バーグマン家の豪勢なもてなしだった。


だが、ヴァリーは終始アビーに話しかけ、魔法の訓練の話題に終始していた。ヴェゼルは会話に入る隙をあまり与えられず、グロムとトレノも場を和ませようと努めていたが、なんとなく気まずい空気が流れた。


 夜、与えられた客間で一人になったとき、ようやくポケットの中からサクラが這い出してきた。


「なによ、あの女。上から目線でさ。あーもう、腹立つ!」


「落ち着けよ。確かにちょっと嫌な感じだったけど、あれでもアビーの先生なんだ。正面から敵に回すわけにはいかない」


「ふん、あたしは絶対信用しないけどね」


 そう言ってサクラは布団の端に座り込む。ヴェゼルは苦笑しつつ、明日を思って目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ