第66話 陶器職人その1
そろそろ秋が近づいてきたある朝。
いつもより空気がひんやりして、川の土手に立つヴェゼルはじっと赤土を見つめていた。
手のひらに赤土をひと握り。集中して「収納」を発動し、鉄分だけを抽出する。
すると土はあっという間に灰色へと変化した。
「おお……これなら白っぽい陶器が作れるかもしれない!さすが科学の力!」
ヴェゼルが感激していると、収納の箱の奥から「きゃーっ!」という悲鳴が響く。
すぐにサクラの声。
「ちょっと! 収納の部屋を間違えないでよ! 赤い粉が私の小部屋に降ってきたんだから!」
「ご、ごめん! まだ慣れてなくて……」とヴェゼルが慌てて謝る。
サクラはぷりぷり怒りながらも、さらりと恐ろしいことを口にした。
「このあいだなんて、白い甘い粉が降ってきたのよ。……美味しくいただいたけど」
「食べたんかい!」ヴェゼルは思わず突っ込む。
――よくわからない粉を口にできる勇気のほうがすごい、と別の意味で感心してしまう。
あの時は「ウマイモ(アクティ命名)」から糖分を抽出する実験をしていたのだ。
結果は、重さにして1〜2%程度の糖しか得られなかった。
考え込むヴェゼルの鑑定眼に、ふと新しい文字が浮かび上がる。
【磁器土(陶石) 主成分:長石・珪石。焼成すれば白色で透明感が出る。耐熱性に優れるが粒子は粗め】
「……これだ! 白磁に挑戦できる!」
ヴェゼルの瞳が輝いた。
「これで蒸留器も作れるし、白樺の樹液を発酵させて発泡酒にも挑戦できる。珪砂を抽出すればガラスも……魔物の骨を砕いてボーンチャイナもどきだって!」
次々と妄想が溢れ出し、ヴェゼルは思わず頬に手を当てて笑う。
「やることが多すぎる……一日じゃ足りない!」
まるで世界を手に入れようとするかのように、夢が広がっていった。
その夜。ヴェゼルは父フリードに相談した。
「お父さん、ビートル村に陶器職人がいるって聞いたんだ。明日会いに行きたい!」
フリードは苦笑する。
「歩いて三時間だぞ? お前の足で大丈夫か?」
「平気! 歩いてる間も頭の中で計算してるから!」ヴェゼルは胸を張る。
横でオデッセイが小さくため息をついた。
「あなたの好奇心は本当に底なしね……それに計算は関係ないんじゃない?」
「それが僕の長所なんだ!」とヴェゼルはにこやかに答える。
こっそり頭の中で考える。
(肥料小屋も屋根を建てたし、もし硝石ができてても流れ出さないな……収納・抽出で濾せば硝石は作れるかも……でも、炭と硫黄もいるな……)
――硝石。爆薬の原料。
これは決して軽々しく口にできない秘密だ。それこそ、それを知ったらオデッセイが爆発するかもしれない。
虫の声が響く夜、ヴェゼルは布団に潜りながら、明日の訪問に胸を躍らせていた。
翌朝。
秋も深まり、朝晩の風が少し冷たさを帯びはじめた頃だった。
ヴェゼルは隣町のビートル村を訪ねることになった。目的は、村で陶器を焼いているという職人・マイラーの工房を見学し、そして自身が現代知識から紙に書き出した「新しい陶器の製法」を試してもらうためである。
この日の同行者はいつもの顔ぶれだった。商売人でおじのルークス、従者トレノ、護衛兼お守り役のグロム、そしてサクラ。にぎやかな一行は、領館から歩いて三時間の道のりをのんびりと進んでいった。
「しかし歩いて三時間とはなかなか遠いな」
腰にぶら下げた荷を軽く叩きながら、ルークスが苦笑する。
「馬で来ればいいのに」とトレノが拗ねたように呟くと、グロムが低い声で「歩いて村の様子を見た方が学びになる」とたしなめる。
サクラはというと、ヴェゼルの肩に座りながら「人間は不便ねぇ〜、わたしならひとっ飛びよ」と笑っている。
やがて昼前、白い煙を上げる煙突が見えた。赤茶けた瓦屋根が連なる村の外れに、その工房はあった。扉を叩くと、逞しい腕をした中年の男が現れた。マイラーである。
「突然のお客とは珍しい。どちら様で?」
怪訝そうに眉をひそめるマイラーに、ヴェゼルは深く礼をして名を告げた。
「ビック領の領主の子息、ヴェゼルといいます。焼き物の新しい製法について、ぜひお話をしたくて、そして試していただきたいので来ました」
最初は「坊ちゃんの道楽か」といった顔をしていたマイラーだったが、ヴェゼルが持参した紙を広げると、その眼差しが変わった。
そこには、現代で学んだと言っても、まぁ某番組を見た程度の知識だったが、この世界では珠玉の知識なようで、マイラーは食い入るように聞いていた。
そして陶芸の知識を可能な限り噛み砕いて書き出した図や説明をした。
「……なるほど、鉄分を抜いた土……釉薬で表面をガラスのように……?」
彼が唸り声をあげた時、工房の奥からひょいと顔を出した少女がいた。栗色の髪を後ろで束ね、まだ幼さを残しつつも瞳は好奇心で輝いている。マイラーの娘、十五歳のサニーであった。
「お父さん、聞こえた! ねえそれ、本当? 白い器ができるって話?」
興奮した様子で飛び出してきたサニーに、ヴェゼルは微笑んで頷いた。
「ええ。帝国ではまだ作れない白磁――それに近いものを作れる可能性があります」
サニーは両手を胸の前でぎゅっと握り、目を輝かせた。
「すごい! 私、絶対に試してみたい!」
父のマイラーは娘の熱意に少し苦笑しながらも、興味を隠せず、最終的にヴェゼルの提案を受け入れることとなった。
その日、ヴェゼルは赤土から鉄分を抜いて精製した白い磁器土を渡した。さらに珪素を含む粉末――釉薬の原料も手渡すと、マイラーとサニーは目を丸くした。
「こ、これは……! 見たこともない土だ」
「お父さん、触ってみて! すごく滑らか!」
「……これをどうやって?」
マイラーの問いに、ヴェゼルは曖昧に笑って「ちょっと特殊な方法で」とだけ答えた。
さらにヴェゼルは「ボーンチャイナ」に似た手法を説明し、魔物の骨を焼いて粉にするよう渡した。混ぜる分量はいろいろ試してみてと説明して。
マイラーはその奇抜な発想に目を見開き、サニーは「骨で器! 面白い!」と声を上げた。
そして、せっかく工房に来たのだからと、皆で器作りを体験することになった。
ルークスは商売人らしく「これが売れるか」と頭を巡らせながら不器用に皿をこね、トレノは一生懸命湯呑みを作ろうとしてすぐ潰してしまう。
グロムは力強く小鉢を握りつぶし、サクラはというと――なぜか自分そっくりの陶像を作り始めていた。
「見て見て〜、本物よりナイスバディでしょ!」
「……サクラ、控えめに言っても盛りすぎでは?」とヴェゼルが苦笑すれば、サニーは腹を抱えて笑った。
工房は土の匂いと笑い声で満たされ、あっという間に夕暮れが訪れた。
乾燥にも時間がかかり、さらに焼き上げには一昼夜かかるという。完成を見るのは一週間後となった。
サニーは両手を土だらけにしながら「絶対に成功させるから、また来て!」と約束し、一行は村を後にした。




