閑話 晩夏の父と娘の1日
本日、2025年9月18日午前6時前後に、第60〜65話をかなり入れ替えました。
先行で読んでいただいている方に、お詫びにもなりませんが、
急遽、私の大好きなフリードとアクティの1日をお届けします。
夏の熱気がようやく和らぎ、空気にほのかに秋の気配が混じりはじめたある日の朝。
フリード・フォン・ビックは、農作業を終え、剣の鍛錬を一通り済ませたあと、居間で一息ついていた。
「ふう……」
額の汗を布でぬぐいながら、朝食に出された焼きたてのパンと豆のスープをゆっくりと口に運ぶ。
日課を終えた充実感はあるのだが――正直、今日はやることがなかった。
領の書類仕事は、ほとんど妻のオデッセイが一手に担っている。あとはグロムがサポートに入り、カムリがせせこましく動いている。
彼女は元錬金塔の才媛で、フリードにとっては頭が上がらない存在だ。なぜ結婚してくれたのか未だに分からない。
そのおかげで、フリード自身は領主らしい煩雑な業務から解放されていた。
いわゆるハンコを「ポン!」が主な仕事だ。実際はサインだが。サインはちょっとめんどくさい。
「ハンコ」とはヴェゼルが「サインが楽になるから!」と勧めてくれたが、オデッセイに聞くと、領主のサインとしてはダメらしい。まぁ、仕方がない。
そして、息子のヴェゼルはといえば、新たな研究に没頭している。
「頑張れよ」と父親として応援はしているものの、正直、何をしているのかはさっぱり分からない。
“土をこねてる?”とか、“妙な瓶を眺めてる?”とか、ちらっと見かけたことはあるが、もう理解の範疇を超えている。
「領主って、こんなに暇でいいのか……?」
大きな身体を椅子に預け、フリードはぽつりとつぶやいた。
確かに戦が起こったり、魔物が現れれば真っ先に剣を振るう自信はある。
だが、平時の今、ただの脳筋領主はやや持て余し気味であった。
そんな時、ふと脳裏に浮かんだのが三歳になる娘、アクティのことだ。
このところ、どうにも関係がぎくしゃくしている。
彼女はオデッセイに似たのか、小さな頃から頭が切れ、好奇心旺盛なのだが、父のフリードとは微妙にかみ合わない。
鍛錬を一緒にやろうと誘っても、あからさまに嫌そうな顔をするし、虫取りに誘えば「そんなのサクラにまかせればいいでしょ」と冷たく一蹴される。
「む……父としての威厳が危うい」
何かきっかけを作らねば、とフリードは思い立った。
そこで浮かんだのが――川での魚釣り。
自然の中で一緒に過ごせば、父娘の距離も縮まるに違いない。
「よし、釣りだ! 今日はアクティを誘ってみるか!」
胸を張って宣言したものの、その試みは早々に難航した。
――「アクティ、一緒に釣りに行かないか?」
「……」
返ってきたのは、無言。人形のように感情を消した“無の顔”。
フリードは慌てて条件をつける。
「じゃ、じゃあ、夕飯の肉の量を倍にするぞ!」
「……」
無反応。むしろさらに無の顔が深まった。
「なっ……なら、明日の鍛錬の時間を倍に――」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」全力で嫌がられた。
父として傷つく瞬間である。
「じゃあ……アクティは何がいいんだ?」
やけくそで尋ねると、アクティはにやりと邪悪な笑みを浮かべた。
「おにーさまとおかーさまのヒミツをしりたい」
「……」
フリードは遠い目をした。
(お前はどこへ向かっているんだ、娘よ……)
とはいえ、背に腹は代えられない。
その条件で手を打ち、ようやく娘と一緒に釣りに出掛けることとなった。
川辺に着いたのは、朝というよりも昼前。
魚影は薄く、釣果はなかなか望めそうにない。
フリードは竿を垂らし、じっと水面を眺めた。
一方、アクティは早々に地面にしゃがみ込むと、近くにあった棒を片手に土を掘り始めた。
「ミミズだぁ~」
嬉しそうに捕まえて、手のひらでうねうねと遊んでいる。
「……アクティ、ミミズは平気なんだな」
「はたけでいつもみつけれるから。これは…………サクラ、たべるかな?」
「やめてくれ」
恐ろしい発想に、父は思わず背筋を冷やす。
やがて――フリードの竿にぐん、と強い引きがきた。
「おおっ!」腕に伝わる確かな手応え。
ぐいぐいと抵抗する力強さに、フリードの闘志が燃える。
「こいつはでかいぞ!」
格闘の末、水面から躍り出たのは、大きな魚。
ヴェゼル曰く「鮭」に似た姿で、銀鱗がきらりと光る。
「見ろ、アクティ! これが父の力だ!」
誇らしげに掲げるフリード。
だが返ってきたのは――
「へー、すごいね」棒読み。無感情。
父の誇りは、徐々に萎んでいった。
その後も魚は釣れず、帰り道。結局アクティは釣り竿を垂れたのは10分くらいか。
肩に釣果を担ぎながら歩くフリードの後ろを歩いていたアクティは眠そうに目をこすっていた。
「もう歩けない……」
「仕方ないな」
フリードは娘を背負う。
その小さな重みを感じながら歩いていると、耳元でかすかな寝言が聞こえた。
「おとーさま、きょうはたのしかったね……むにゃむにゃ」
「……!」
胸が熱くなる。
娘も娘なりに楽しんでくれていたのだ。
安堵の息を吐き、フリードは穏やかな笑みを浮かべた。
見上げれば、空は澄み渡り、遠くには黄金色に染まりはじめた畑が広がる。
夏の名残と秋の気配が溶け合う景色の中、父娘は穏やかな帰路を辿る。
――ただ、その背中で。
目をつぶったままのアクティが、口元を吊り上げ、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべていたことに、フリードは気づかなかった。
しかも――「……ん?」
娘のポケットが、ウニョウニョと怪しく動いている。
中に何がいるかは、お察し、、である。
「アクティ、それをどうするつもりなんだ……」
フリードは苦笑した。
長閑で、騒がしく、そして少しだけ虚しかった父娘の休日は、秋風とともに静かに幕を下ろしていった。
家に帰って夕飯を食べ、そして就寝前。
ヴェセルの部屋からサクラの悲鳴が聞こえたとか、聞こえなかったとか。
そんな長閑?な、1日であった。




