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りんご一個分の収納。マジでどう使えと!? 〜辺境騎士爵に転生したので、なんとか無難な人生を…歩みたいなぁ〜  作者: 大童好嬉


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第622話 セブリング

夜の帳が降りた帝都の中心、そのさらに奥――魔法省の最深部にある宝物庫は、音という概念そのものを忘れたかのような静けさに包まれていた。


分厚い石壁と幾重にも重ねられた結界が外界の気配を完全に遮断し、空気は澱み、動くことを拒んでいる。


淡く灯る魔導灯の光だけが、古代から受け継がれてきた遺物の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。


その中を、セブリングはゆっくりと進んでいた。足音は抑えているつもりでも、やけに大きく響く。


新たに与えられた役職――魔法省宮内長。その響きが、胸の奥でまだ熱を持っていた。


慎重に歩いているつもりでも、どこか足取りは軽い。自分がいま、この帝国の中枢に立っているという事実が、どうしても意識の底で浮つかせる。


視線の先には、厳重に管理された宝物が並んでいる。初代皇帝の武具は鈍い光を放ち、長い年月を経てもなお威圧感を失っていない。


封印された文箱には、アトミカ教の初代教皇と初代皇帝が交わした手紙が眠っていると聞く。


触れることすら許されないそれらを前にしても、セブリングの関心は別の場所にあった。


まずは全体の把握だ――と、自分に言い聞かせる。


これから甘い汁を吸うにしても、焦る必要はない。どこに何があり、どこまでなら手を出しても問題にならないか。


それを見極めてからでも遅くはない。時間はある。管理責任者は自分なのだから。


やがて、宝物庫の最奥に辿り着く。重厚な金属箱が三つ、等間隔に並んでいる。


それぞれに異なる封印が施され、鍵穴は複雑な魔術式で覆われていた。


セブリングは胸元から特別誂えの鍵を取り出す。金属が触れ合う、かすかな音がやけに耳に残った。


「……三本、か」


小さく呟く。エリクサー。この世界に十本も存在しないとされる至宝。そのうち三本が、この帝国にある。


他国であれば一本で国家の均衡を左右しかねない代物が、ここには三つも揃っている。


思わず口元が緩むのを抑えきれなかった。


ひとつ目の箱を開ける。中には、意匠の異なる硝子瓶が静かに収められている。


淡く光を帯びた液体は、縁まで満たされ、揺らぎひとつない。保存の魔法が幾重にも施されているのだろう。聞いていた通り、完全な状態だった。


「……これは触れん方がいいな」


小さく呟き、すぐに蓋を閉じる。これに手を出すのは愚かだ。確実に痕跡が残る。


いくら誤魔化そうとしても、後で追及されるのは目に見えている。わざわざ危険を冒す必要はない。


視線を横に流す。宝石、古代金貨、魔法具。価値はあるが、多少減ってもすぐには気づかれないものはいくらでもある。


そうしたところから削ればいい――自然と口元に笑みが浮かんだ。


二つ目の箱も同じだった。異常なし。完全な状態。


そして、三つ目。


何気ない動作で鍵を差し込み、蓋を開ける。その瞬間、思考が止まった。


「……は?」


間の抜けた声が漏れる。


瓶の中の液体が、満ちていない。


本来であれば縁まで満たされているはずのそれが、明らかに減っている。


おおよそ三分の二ほど。目の前の光景を理解するまでに、一瞬の空白があった。


一歩、後ずさる。


「……なんだ、これは」


喉が乾く。心臓が嫌な音を立てる。次の瞬間、現実が一気に押し寄せた。


――まずい。


就任したばかりだ。この状態を報告すれば、言い訳など通らない。誰がやったかなど関係ない。“今の責任者”が誰か、それだけで話は終わる。


「ふざけるな……誰なのだ……」


唇を噛む。


ブガッティの顔が浮かぶ。確かに彼は何度か申請を通し、この宝物庫からエリクサーを借りていたと聞く。だが――あの男が、こんな中途半端なことをするか?


あり得ない。あれはもっと理詰めで、無駄のない男だったはずだ。


「……なら、誰だ」


視線が揺れる。ここに出入りできる人間は限られている。しかも、エリクサーに手を出し、その価値すら正しく理解していない者――


「……フィリー、か」


名を口にした瞬間、苛立ちが一気に膨れ上がる。


「そこまで愚かだったか……あの小娘が」


舌打ちが漏れる。面倒なものを引き寄せた。そうとしか思えなかった。


だが、怒りに任せて動くほど愚かではない。すぐに思考を切り替える。


――隠す。


それしかない。


今ここで明るみに出せば、自分が巻き込まれる。ならば、時期を見て責任を押し付けるしかない。幸い、材料はいくらでもある。あの小娘なら、いくらでも理由は作れる。


ゆっくりと蓋を閉じる。手が、わずかに震えていた。


それでも、セブリングは深く息を吐き、表情を整える。


――まだ終わっていない。


むしろ、ここからだと自分に言い聞かせながら。




数日後――


自宅の扉を開けた瞬間、わずかな違和感が胸に引っかかった。


普段であれば、扉の軋む音に反応して妻の声が奥から返ってくる。あるいは、息子達の軽い足音が廊下を走ってくる。だが、そのどちらもない。空気だけが、妙に静かだった。


「……?」


眉をひそめる。耳を澄ますが、何も聞こえない。生活の音が、丸ごと抜け落ちている。胸の奥に、じわりと嫌な感覚が広がっていく。


靴を脱ぎながら、視線だけを室内へ向ける。応接間には誰もいない。


椅子は整ったまま、暖炉には火も入っていない。冷えた空気が、そのまま残っている。


食堂も同じだった。食器は片付けられたまま、触れられた形跡がない。


足取りが自然と早くなる。廊下を進み、寝室の前で一瞬だけ躊躇する。だが、そのまま扉を開けた。


そこにいたのは――黒ずくめの男が三人。


一瞬で、空気が変わった。いや、凍りついたと言った方が正しい。


「な――」


声が漏れかけた、その瞬間。


「静かに」


一人が、ゆっくりと前に出る。低く、抑えた声だったが、その一言だけで喉が詰まる。


「家族は預かっている」


感情のない声音。淡々とした事実の提示。それだけで、全身の血が一気に引いた。


視線が揺れる。部屋の中に、妻も子もいない。それが、何よりの証明だった。


「……何が目的なのだ」


なんとか絞り出す。声が、わずかに掠れていた。


男は首をわずかに傾ける。その仕草には、興味も苛立ちもない。ただ、必要な手順を踏んでいるだけのような冷たさがあった。


「簡単な話だ。今から魔法省へ戻るのだ」


別の男が、間を置かずに続ける。


「宝物庫から、エリクサーを二本。持ってこい」


短い。余計な言葉は一切ない。だが、それだけで十分だった。拒否する余地など、最初から存在していない。


セブリングの指先が、わずかに動く。反射的に魔力を集めようとした、その瞬間。


「やめておけ」


別の男が、淡々と口を開く。


「お前は剣が得意ではない。それに魔法の行使には時間がかかる。こちらは、その間に斬るだけだ」


一歩、距離が詰まる。視線が、まっすぐに突き刺さる。


「……その前に、家族とは二度と会えなくなるだろうがな」


静かに告げられた一言が、何より重かった。


セブリングは動けなかった。いや、動かなかった。ここで何かをすれば、取り返しがつかないことになると、理解してしまったからだ。


――ふざけるな。


胸の奥で、怒りだけが燃える。だが、それを表に出す余裕はない。


「……分かった」


低く、押し殺した声で答えるしかなかった。


踵を返す。そのまま家を出て、夜の魔法省へと向かう。背後の気配は消えない。見られている。逃げ道などないと、肌で分かる。


石の廊下を進む足音が、やけに重く響く。頭の中では別の思考が動き始めていた。


――二本、だと。


ならば、そのうち一本は。


宝物庫へ辿り着く。震える手で鍵を差し込み、三つ目の箱を開ける。


そこにあるのは――減っているエリクサー。


迷いはなかった。それを掴み取る。


完全なものではない。だが、見た目だけなら分からない。


少なくとも、あの連中には。あの男たちに魔法の知識がないことは、短いやり取りだけでも十分に理解できた。


――せいぜい、これで満足していろ。


口元が、わずかに歪む。


もう一本も手に取り、素早く隠す。そのまま宝物庫を出て、再び自宅へ戻る。扉を開けると、男たちは動かずにそこにいた。


セブリングは二本を差し出す。


「持ってきた。これで――家族を返せ」


言葉を言い切る前に、違和感が走った。


視界が、揺れる。


天井が遠のき、床が歪む。音が遠くなり、言葉がうまく出てこない。


「……あ」


膝が崩れる。身体に力が入らない。何かがおかしいと理解するよりも先に、意識が沈んでいく。


最後に見えたのは、無表情のままこちらを見下ろす黒い影だった。


――ちくしょう。


それが、最後の思考だった。


家族の顔が一瞬頭に浮かんだが、意識はそこで途切れる。


そして――その意識は二度と戻ることはなかった。


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