第620話 アプローズの失踪15
そしてヴェゼルは、ゆっくりと周囲を見渡した。
誰も言葉を挟まないことを確認し、最後に――壁際に立つアヴァンタイムと視線を合わせる。
ほんの一瞬。だが、その一瞬で十分だった。
ヴェゼルは静かに口を開く。
「……一連の流れについては、今お話しした通りです」
淡々とした声。だが、そこにははっきりと線が引かれている。
「ただし――これが仮に“国の意思”に基づくものだとしても、現状、それを裁く権限も法も、俺たちにはありません」
兵士たちにも、魔法省の人間にも視線を流す。
「ここにいる誰にも、です」
わずかに間を置く。
「だから――ここで俺たちにできることは、もう終わりでしょう」
断定だった。それ以上は踏み込まない。踏み込めば、戻れなくなる。
「それに、帝国の宝物庫から失われた残りの一本がどうなろうと――正直、俺には関係ありませんからね」
あえて軽く言う。だが、その実、完全な線引きだった。
これ以上は“こちらの領分ではない”と。
沈黙が落ちる。
ヴェゼルはそのまま思考を一段進め、そして口にした。
視線をフリードへ向ける。
「最後に一つだけ。アプローズさんは、すでにビック家の従者です。あとは無事に戻ってくれば、それで十分でしょう」
問いかけるように言う。
「……そうですよね、父さん」
フリードはわずかに顔をしかめ、短く息を吐いた。
「……まぁな」
納得ではない。だが、受け入れるしかない現実への返答だった。
この件は、ここで終わる。
少なくとも――表向きは。帝国の問題は帝国へ。魔法省の問題は魔法省へ。
ビック家が踏み込む領域ではない。
そうして場が収束しかけた、そのときだった。
ヴェゼルは、もう一度だけ口を開いた。
声音は変わらない。だが――わずかに、温度が落ちる。誰もが、無意識に視線を向ける。
「ただし、ビック家の者に手を出したこと――これは、別です」
静かに、はっきりと言い切る。
「この件の首謀者には、きっちりと責任を取ってもらいます」
わずかに間を置く。
「仕返し、とでも言えばいいんでしょうかね」
その言葉に、微かな皮肉が滲む。
だが次の一言には、一切の揺らぎがなかった。
「――必ず」
短く、確定させる。
その瞬間。
アヴァンタイムが、何も言わずに踵を返した。
足音だけを残し、部屋を出ていく。
止める者はいない。ただ、その背中を、誰もが無言で見送った。
やがてガヤルドが動く。
うなだれたままのフィリーに歩み寄り、低く何かを告げた。
言葉は聞こえない。
だがフィリーは、ゆっくりと顔を上げ、ガヤルドを見てから――深く頷く。
そして、そのまま頭を下げた。
覚悟を決めた者の、重い動きだった。
それを一瞥し、フリードが視線でヴェゼルを促す。
――行くぞ。
言葉はない。だが、十分だった。
ヴェゼルは何も言わず、小さく頷くがふと思い立ってフリードに言った。
「父さん、先に行っててください」
それを聞いてフリードは少し考えてから、頷き静かに部屋を後にした。
扉が閉まる。
残された空気は、まだ重いままだった。
全員が去ったあと、部屋にはヴェゼルとガヤルドだけが残っていた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように消え、重い静けさが床に沈んでいる。
窓から差し込む光さえ、どこか冷えた色を帯びていた。
しばらくの沈黙ののち、ヴェゼルが口を開く。
「ひとつ、聞いてもいいですか」
ガヤルドはわずかに視線だけを向けた。
「なぜ、あなたは俺たちに協力したんですか? 俺たちやヴァリーさんに、あまり良い感情は持っていなかったように見えましたが」
一拍置き、続ける。
「それに、魔法省内部の情報まで話していました。あれは、本来なら情報漏洩に当たるのでは?」
問いを受けたガヤルドの表情が、わずかに歪む。忌々しさと、自嘲が混ざったような顔だった。
「……ブガッティ殿のような才ある者に認められる人間はな、私のような凡人からすれば、どうしても癇に障るものだ」
鼻で笑うように言う。
「私も例に漏れず、その“平凡な側”だ。嫉妬もするし、面白くないのは当然であろう?」
肩をすくめる。
「だが今回は、そういう話じゃない。単純に――『誘拐事件』に巻き込まれた。それだけだ」
短く言い切る。
「ついでに、何か出世の糸口でも掴めればと思ったのも事実だがな。だが誘拐を解決するために、内部の情報を多少話す程度なら、問題にするほどのことでもない」
そこまで言って、わずかに言葉が途切れる。
ほんの少しだけ、声の調子が変わった。
低く、続ける。
「……それに…私は、アヴァンタイム様に寵愛されていると思っていた」
静かな言葉だったが、その奥にははっきりとした感情があった。
一度、息を吐く。
「魔法省宮内の長の席――あれは、出世が約束された役職だ。本来なら、私が就くはずだった」
視線がわずかに落ちる。
「アヴァンタイム様からも、そう言われていた。……約束されていたんだ」
だが、と続ける。
「実際にその席に就いたのは、セブリングだった」
わずかに口元が歪む。
「実力で言えば、あれは私より下だ。だが、世渡りは上手かった。貴族との繋がりもな」
吐き捨てるように言う。
「ブガッティ様が実権を握っていた頃の魔法省は、実力主義だった。だが今は違う。繋がりと立ち回り、それだけで上に行ける組織だ」
短く鼻を鳴らす。
「そんなものに、未来があるとは思えん。……この帝国も含めてな」
わずかな沈黙。
ガヤルドは視線を逸らし、続けた。
「セブリングは長に就いて、数週間で死んだ。公式には自死だ」
低く言い切る。
「だが、――あれは他殺だろう」
断定だった。
「証拠はない。私一人が声を上げたところで、何も変わらん。……そういう組織になったということだ」
淡々としているが、その奥には諦めが滲んでいた。
「そして、その直後だ。エリクサーの不祥事が起きた」
視線がゆっくりと床へ落ちる。
「出来すぎているとは思わないか?」
答えは求めていない。ただ事実として置く。
「もし、あの席に就いていたのが私だったら――」
わずかに言葉を切る。
「……今ここに、私はいなかったかもしれん」
短い沈黙。やがて、ガヤルドは小さく首を振った。
「私は魔法省の人間だ。魔法省は…これでも、研究と魔法のための組織だと、今でも思っている」
声はわずかに揺れていた。
「だが、今の形がそれに沿っているのかは……分からん」
それ以上は続けない。
区切るように、背を向けた。
数歩進み――ふと足を止める。
振り返らずに、低く言った。
「ヴァリー殿は、惜しいことをしたな」
ほんの一瞬の間。
「……あの者は、希有な魔法使いだった。お悔やみ申し上げる」
表情は見えない。
だが、その言葉だけで十分だった。
そしてガヤルドは、そのまま静かに部屋を出ていく。
扉が閉まる音だけが、やけに長く響いた。
ヴェゼルは一人、残されたまま動かない。
ただ静かに目を伏せ――そのすべてを、内に沈めていった。
これで許してください!
なんとかまとめられました。。
ツッコミどころはあるんです!きっと!たくさん!
否定しません。。
でも、これでとりあえずアプローズさん誘拐話はおしまいです!
あとは後日談的な話が数話。。
ガヤルド、去り際が少しカッコ良い。。




