第610話 アプローズの失踪05
本日2026年4月2日の更新で、
608・609・610話の順番を間違えていました。
申し訳ありません。
修正しましたので、ご覧ください。
足音は、迷いなくこちらへ向かってきた。
通路の奥、わずかに揺れる灯りの中に影が差し込み、そのまま一人の男が姿を現す。
兵士に伴われてはいるが、その歩調は合わせているというより、無理に従っているような荒さがあった。
靴底が床板を打つ音が、やけに大きく響く。
帽子を目深に被り、顔の上半分は影に沈んでいるが、口元に浮かぶ不機嫌さだけは隠しようがない。舌打ちが一つ、短く落ちた。
「……まったく、くだらん」低く吐き捨てるような声。
そのまま室内へ踏み込み、視線が一巡する。フリードとヴェゼルを捉えた瞬間、わずかに目が細められた。露骨な敵意――あるいは警戒。
だが、それも一瞬だった。
すぐにその視線は横へ流れ、フィリーへと向けられる。
その途端、フィリーの肩がびくりと跳ねた。
「す、すみませんですぅ……」
声は細く、明らかに萎縮している。先ほどまでの曖昧な調子とは違い、どこか本能的な怯えに近い。
その男――ガヤルドは、それを一瞥し、短く舌打ちした。
「この兵士から聞いたがな、アプローズ殿が行方不明だと?」
腕を組み、顎をわずかに上げる。
声音には、明確な苛立ちが滲んでいた。
「だからといって、なぜ私が呼び出されねばならんのだ。家族で食事をしている最中だったのだぞ」
その言葉に、場の空気がわずかに重く沈む。
だがフリードは動じない。静かに一歩前へ出る。
「状況を確認したいだけだ。アプローズ殿と、ここで何を話したんだ?」
声は低く、抑えられている。
ガヤルドは面倒そうに息を吐いた。
「……大した話ではない。すでに伝えたはずだ。情報漏洩とエリクサー窃盗の嫌疑についてだ。本当に知らぬのか確認しただけだ。私の立場としてはな……本人が固く口を閉ざそうが、聞かねばならんのだ」
腕を組んだまま、やや顔を背ける。
視線が一瞬だけフィリーへ流れる。
「私が呼んでも来ぬだろうからな。そこにいるフィリーに呼び出させた。フィリーはアプローズ殿と同期だからな。それだけのことだ」
短く言い切る。
「アプローズ殿との話は済んだので、私は帰った。それだけだ」
あまりにも簡潔な説明。
だが――フィリーが慌てて頷く。
「は、はいぃ……ガヤルド様は、すぐにお帰りになりましたぁ……」
店主もおずおずと口を挟む。
「た、確かに……その男性の方は……長居はされておりません……」
証言は一致する。
その均一さを一拍置いて見届けてから、ヴェゼルが口を開いた。
「前回は、私たちも含めてかなり執拗にお聞きでしたが……今回はやけにあっさりと引かれましたね」
ガヤルドの眉がわずかに寄る。
「……だから言っているだろう。私にも立場というものがある。無理だと分かっていても、形だけは通さねばならんのだ!」
吐き捨てるような声音だった。
ヴェゼルは間を置かずに続ける。
「その“立場”というのは、魔法省の指示ですか」
一瞬、沈黙が落ちた。
ガヤルドは舌打ちを押し殺すように息を吐く。
「……その程度で、ここまでやると思うか」
低い声だった。
視線がわずかに逸れる。
「魔法省だの、騎士団だの――その上にある“面倒”だ」
言葉を選ぶように、しかし隠す気もない調子で続ける。
「断れる類の話ではない。だから来て、だから引いた。それだけだ」
吐き捨てた後、ようやく視線を戻す。
そこには苛立ちと、ほんのわずかな――嫌悪が混じっていた。
ヴェゼルはそのやり取りを、黙って聞いていた。
――矛盾はない。少なくとも、この部分においては。
「では、その後について」
一歩だけ前に出る。
「アプローズさんの失踪、多分、これは本人の意思ではないと思います。何か心当たりはありますか」
穏やかな声。だが、逃げ場を与えない響き。
ガヤルドの眉がぴくりと動く。
「なぜこの私が、貴様らの遊びに付き合わねばならんのだ、全く」
吐き捨てるような言葉。
その瞬間だった。
フリードが、深く頭を下げた。一切の迷いのない動作。
「頼む。一人の命がかかっているかもしれんのだ」
短く、それだけ。だが、その重みは十分だった。
沈黙が落ちる。
ガヤルドは一瞬だけ言葉を飲み込み、わずかに視線を逸らした。眉間に寄っていた皺が、ほんの少しだけ緩むのが分かった。
やがて、大きく息を吐いた。
「……貸しひとつだぞ」ぼそりと呟く。
それから顎に手を当て、視線を落とした。思考に沈む仕草。
数拍の静寂。やがて、低く口を開く。
「……アプローズ殿、か……やはり、エリクサー絡みではないのか。魔法省でも話題になっていたのでな…」
その声音は先ほどまでとは違い、わずかに冷静さを取り戻していた。
ゆっくりと顔を上げる。
「ブガッティ殿はエリクサーという現物を所持していたうえ、研究も進めていた。この帝国では、あの分野において、最も先を行っていた人物だ」
一度、言葉を切る。わずかに視線を細める。
「……もっとも、その持っていたと言うエリクサーが、本当に“彼のもの”だったのかは、別だがな」
その一言に、空気がわずかに揺れる。
だがガヤルドは構わず続ける。
「帝国のエリクサーを正式な手続きを経て、ブガッティ殿が持ち出した記録はあるそうだ。だが、それがどこまで私物として扱われていたのかは曖昧だ」
淡々とした説明。
感情ではなく、事実だけを並べている。
ヴェゼルはその言葉を聞きながら、わずかに視線を細めた。
――この男は。
――粗いが、雑ではない。
言葉遣いは乱暴だが、論理は崩れていない。少なくとも、思いつきで話している様子ではない。
「そもそもだ」
ガヤルドの視線が、今度はまっすぐヴェゼルへ向けられる。
「貴様に譲渡などしなければ、こんな面倒は起きなかったのだ」
わずかに顎を引く。
「アプローズ殿が巻き込まれることもなかった」
責任を押し付けるようでいて、完全な他責ではない。苛立ちの矛先は、状況そのものへ向いている。
ヴェゼルはそれを受け止めながら、表情を変えない。
「今回の嫌疑ですが、誰の命で動いていたのですか」
静かに言葉を差し込む。
一瞬、空気が止まる。
ガヤルドの眉がわずかに寄る。
「……私の上だ」短く、それだけ。
それ以上は語らないという、明確な線引き。
ヴェゼルは追わなかった。
ただ、小さく頷く。
――上。
――命令系統。
形にはならない。だが、何か一本、見えない線が引かれた気がした。
「では」
間を置かず、次の問いへ移る。
「あなたの所属と職務を教えてください」
ガヤルドは鼻を鳴らした。
「なぜ、貴様如きに!………魔法省第四席だ。魔法部隊の指揮を執る立場にある」
わずかに胸を張る。
「それと、経理部の主査も兼務している」
その肩書きに、フリードの視線がわずかに動く。
戦力と資金。どちらにも関与する位置。
見かけによらず、軽い立場ではないんだなとヴェゼルは思ったのだった。
アプローズ編の終わりがなかなか決まらなくて
何回も書き直しをしていたら、
話数の順番を間違えてしまいました。。
(まぁ、アプローズはそんなに出てきませんが)




