第609話 アプローズの失踪04
本日2026年4月2日の更新で、
608・609・610話の順番を間違えていました。
申し訳ありません。
修正しましたので、ご覧ください。
「……筋が通りすぎている、か」
フリードが低く繰り返す。その声音には否定も肯定もない。ただ、息子の言葉の意図を探るような響きだけがあった。
ヴェゼルはすぐには答えず、店内の奥へと視線を滑らせた。
問題の個室はまだ封鎖されたままだが、扉の隙間からはわずかに残り香が流れてくる。
紅茶と焼き菓子――それ自体はありふれた組み合わせだが、その“ありふれ方”が、妙に整いすぎているように感じられた。
「状況だけを見るなら、単純ですね」
静かに言葉を選びながら続けてフリードの顔を見る。
「呼び出しがあって、個室で会う。第三者が来る。そして、その後に失踪。ですが、その“第三者”の存在が、あまりにも都合よく見えませんか?」
フリードの眉がわずかに動く。
「ガヤルド殿のことか」
「はい。呼び出しの理由も、来訪の経緯も、すべて説明がつく。だからこそ――少し、出来すぎている気がします」即答だった。
それ以上は言葉にしない。ただ、違和感だけを置く。
フリードは小さく息を吐いたが、反論はしなかった。完全に否定できる材料も、またないのだろう。
その時、店主が遠慮がちに口を開いた。
「あ、あの……個室の方を……ご覧になりますか……?」
声がわずかに震えている。だが、それは先ほどまでの単なる緊張とは少し違う。どこか、踏み込まれることを恐れているような響き。
ヴェゼルは一瞬だけその表情を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「お願いします」
短く、それだけ。
兵士とフィリーと共に店の奥へと続く通路は細く、昼の光が届きにくい。壁に掛けられたランプがぼんやりと灯り、影がわずかに揺れている。その中を進むにつれ、外の喧騒はさらに遠ざかり、足音だけが静かに響いた。
やがて、店主が一つの扉の前で立ち止まる。
「……こちらです」
ゆっくりと扉が開かれる。
中は小さな個室だった。丸いテーブルと、向かい合う二脚の椅子。壁際には予備の椅子が一つ。窓はあるが小さく、光は細く差し込むだけで、全体としては閉じた空間という印象が強い。
ヴェゼルは一歩踏み込み、視線を巡らせた。
床に乱れはない。椅子の位置も大きくは動いていない。争った形跡は見当たらなかった。
――つまり、ここでは“抵抗していない”。
「……ここで間違いないのですね」
背後のフィリーに問いかける。
「は、はいぃ……アプローズさんはぁ……ここに……」
指差された椅子。もう一方へ自分の位置を示し、フィリーは少しだけ身を乗り出した。
「最初はぁ……普通に、お話しててぇ……紅茶とクッキー頼んでぇ……」
テーブルを指でなぞる。
「世間話してからぁ……そのぉ……エリクサーの話になってぇ……」
言葉が少しだけ詰まる。
ヴェゼルはその様子を横目で見ながら、テーブルの上へと視線を落とした。すでに片付けられてはいるが、木目の隙間にわずかに染み込んだ香りが残っている。
紅茶の香り。甘い焼き菓子の匂い。
だが、それだけではない。
ごく僅かに――鼻に引っかかる何か。
「……その後は?」
自然な流れで促す。
フィリーは小さく頷いた。
「アプローズさんがぁ……エリクサーのことは、知らないって言ってぇ……それでぇ……」
少し顔をしかめる。
「実は私も、そのエリクサーの研究をしていてぇ……あともう少しで完成できそうだったのでぇ……だから、アプローズさんに聞いてみたんですぅ」
ヴェゼルが少し頷く。
「なるほど、だからあの時、あなたから動いたわけですね」
フィリーは少し顔を赤らめる。
「そ、そうですぅ……それでぇ……ガヤルド様が入ってきてぇ……色々聞いてぇ……怒って帰ってぇ……」
一息で言い切る。
「……でぇ、そのあと……」
言葉が止まる。
ヴェゼルは視線を上げる。
「そのあと、どうしました?」
「えっとぉ……紅茶を……おかわりしてぇ……」
指先が、無意識にカップの位置をなぞる。
「それを飲んでぇ……」
少し考えるように目を細める。
「……そこから、覚えてないですぅ……」
静かに、空気が沈む。
フリードが低く呟いた。
「……紅茶か」
ヴェゼルは答えない。ただ、テーブルの一点を見つめている。
――おかわり。
――そのタイミング。
「店主」
ふいに呼びかける。
「この個室に運ばれる飲食物は、すべてお店の人が出したんですか?」
「は、はい……当然でございます……」
即答だった。だが、その声はわずかに硬い。
「途中で、誰か別の者が触れることはあり得ます?」
「い、いえ……そのようなことは……」
否定は早い。だが、言葉の終わりがわずかに揺れた。
ヴェゼルはそれ以上追及しない。
代わりに、ゆっくりと室内を歩く。椅子の間隔、扉までの距離、窓の位置。頭の中で配置が組み上がっていく。
――時間は短い。
――外からの侵入なら、目立つだろう。
――ならば。
視線が、ほんの一瞬だけ店主へ向く。
すぐに逸らす。
「……妙ですね」
再び、同じ言葉が落ちる。
今度は、先ほどよりもわずかに重みを帯びていた。
フリードが短く問う。
「今度は何だ」
ヴェゼルは少しだけ考え、そして答える。
「アプローズさんの“消え方”が、静かすぎませんか?」
室内を一度見渡す。
「抵抗もなく、物音もなく、お店の人も気づかないで、人一人が消えているんです」
そして、周囲を見渡して言う。
「それを成立させるには……少なくとも、この場にいる誰かの協力が必要になりますよね」
その言葉に、店主の肩がびくりと跳ねた。
沈黙が落ちる。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。
だが――
その沈黙そのものが、すでに何かを物語っているようでもあった。
やがて、遠くから足音が近づいてくる。
規則的で、やや荒い音。
入口の方から、空気がわずかに揺れる。
――来たか。
ヴェゼルは視線を扉へ向けたまま、静かに息を整えた。
次に現れる男が、この“整いすぎた状況”のどこに位置するのか。
それを見極める必要があった。
なんか、ちょっと謎解き的な事件にしようと書きましたが、、、
後悔してます。。
戻せないかなぁ。。。
もしくは、早送りとか、、ダイジェストとかに、、、




