第608話 アプローズの失踪03
本日2026年4月2日の更新で、
608・609・610話の順番を間違えていました。
申し訳ありません。
修正しましたので、ご覧ください。
帝都の喧騒は、いつもと変わらぬ顔で流れていた。
行き交う人々の足音、商人の呼び声、遠くで鳴る馬車の車輪の軋み――そのすべてが日常の音として積み重なり、街を満たしている。
だが、その中心にいるはずのヴェゼルとフリードにとって、その音はどこか遠く、薄く引き延ばされたもののように感じられていた。
目的が定まった時、人の意識は極端に狭まる。
今の二人が見ているのは、ただ一点――アプローズが姿を消したという喫茶店、“ドゥビル”だけだった。
石畳の通りを折れ、目的の店が視界に入る。落ち着いた外観の、ありふれた喫茶店。
だが、その前に立つ数名の兵士の存在が、そこがすでに“日常の外側”であることを示していた。
入口の前には縄が張られ、客の出入りは止められている。
店内の様子は外からは見えないが、低く抑えた声が断続的に漏れ、事情聴取が行われていることは明らかだった。
フリードは足を止めることなく、そのまま兵士へと向かう。
「止まれ。現在取り調べ中だ。関係者以外――」
遮るように、フリードが懐から銀のメダルを取り出した。光を受けて鈍く輝くそれを、無言で掲げる。
「皇帝直参、ビック家騎士爵フリードだ」短く、それだけだった。
だが、その一言で空気が変わる。兵士の目が見開かれ、すぐに姿勢を正した。
「あ、昨日の……し、失礼しました……!」
「今回いなくなった者は、現在はうちの従者だ。事情を把握したい」
低く抑えた声音。余計な圧をかける必要はない。ただ、事実だけで十分だった。
兵士は一瞬だけ迷いを見せたが、やがて道を開ける。
「……どうぞ」
店内へ足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が一段遠のいた。空気が違う。わずかに張り詰め、どこか居心地の悪い静けさが漂っている。
客の姿はなく、代わりに店主と数人の従業員が立たされていた。
皆一様に顔色が悪く、視線が定まらない。
その中で、一人だけ椅子に身を預けるように横になっている人物がいた。
フィリーだった。
呼吸は穏やかで、苦しむ様子はない。ただ、意識だけが深く沈んでいるように見える。
ヴェゼルが視線で兵士に問いかけると、兵士は小さく頷いた。
「一度は目を覚ましましたが……すぐにまた眠ってしまいまして」
低い声で続ける。
「おそらく、眠りの薬を使われたのでしょう。体調に問題はなさそうです」
短い報告だった。だが、その内容は十分に重かった。
フリードが小声でヴェゼルに言う。「こういうのは得意だろ、後はお前に任せたぞ」
ヴェゼルは小さく頷き、その光景を一瞥し、すぐに視線を店主へ移した。
「いくつか確認させてください」
声は静かだが、逃げ場を与えない。
店主の肩がびくりと揺れた。
「は、はい……」
「この店で、表の入口以外に出入りできる場所はありますか」
問いは簡潔だった。
店主は一瞬、言葉に詰まる。視線がわずかに泳ぎ、指先が落ち着きなく動いた。
「……裏手に、従業員用の出入口が……」
「この個室から、そこへ抜けることは?」
「き、気をつければ……見つからずに出ることも……」
曖昧な返答。だが、否定ではない。
ヴェゼルは小さく頷き、次の問いを重ねる。
「では、フィリーさんとアプローズさん以外に、この個室へ来た者は?」
店主は、ほんの一瞬だけ躊躇した。
「……男性が、一人」
その言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに張る。
ちょうどその時だった。
「……ん……?」
小さな声とともに、フィリーがゆっくりと目を開けた。焦点が定まり、周囲を認識した瞬間、その表情が一気に変わる。
「え……? あれ……? ここ……なんで……?」
声は揺れていた。甘えた調子も、間延びした語尾もない。純粋な困惑。
ヴェゼルは一歩だけ近づく。
「あなたは眠らされていました。その間に、アプローズさんがいなくなりました」
「えぇ!? そ、そんな……!」
反応は自然だった。少なくとも、結果を知っている者のそれではない。
ヴェゼルは一瞬だけその様子を観察し、視線を細める。
――素に戻っている。
少なくとも、この段階では“演技”の気配はない。
「先ほど、男性が訪ねてきたと聞きました。誰ですか」
問いはそのまま続く。
フィリーは一瞬だけ口ごもり、視線を泳がせた後、小さく答えた。
「……魔法省の、ガヤルド様ですぅ……」
その名に、フリードの視線がわずかに動いた。
「なぜ、その男がここに来たのだ?」
低く問う。
フィリーは肩をすくめるようにしながら、言葉を選ぶ。
「そのぉ……アプローズさんに話があったみたいでぇ……でもぉ、直接だと来てくれないからって……フィリーが呼びなさいって……」
「断れなかった、というわけか」
「は、はいぃ……それに……その……手伝ったら、アヴァンタイム様に…後々お口添えも、してくださるって……」
言葉の終わりが曖昧に濁る。
フリードは、視線を兵士へと移した。
「この件、帝都側の関与は?」
低く、無駄のない問いだった。
兵士は一瞬だけ背筋を伸ばし、すぐに首を横に振る。
「我々には、そのような命令は来ておりません。少なくとも、この帝都の治安を預かる保安隊には」
即答だった。迷いはない。
フリードはわずかに顎を引く。
「では、あの時の聴取はどういう経緯だ?」
問いは重ねられる。逃げ道は与えない。
兵士は一瞬だけ言葉を探し、それから口を開いた。
「あれは……魔法省のガヤルド様から、どうしてもと要請があり……」
言い切ると同時に、視線をわずかに伏せる。その仕草が、完全に主体ではなかったことを物語っていた。
短い沈黙が落ちる。その沈黙を、フリードはそのまま押し広げるように続けた。
「ならば、他に考えられる組織はあるか」
静かな声だったが、圧があった。
兵士の喉がわずかに鳴る。すぐには答えず、慎重に言葉を選ぶように視線を泳がせた。
「……正直なところ、断定はできませんが、今回の一連の動きは、あまりに手際が良すぎます」
ゆっくりと、言葉を積み上げる。
「痕跡を残さず、無駄もない。周囲に余計な被害も出ていない。……こうした動きは、統率された組織でなければ難しいかと」
フリードは何も言わず、先を促すように視線だけを向ける。
兵士は一度だけ息を飲み込んだ。
「通常の誘拐や殺人を生業とする者たち……いわゆる荒くれ者では、ここまで整った仕事はできません」
そこまで言ってから、言葉がわずかに詰まる。
「ここまでの手練れで、なおかつ……周囲を傷つけることなく、目的だけを達成するとなると――」
「第三……いえ……」
言い淀む。
その瞬間、ヴェゼルの視線がわずかに動いた。
「第三?」静かな問い。だが、逃がさない響きがあった。
兵士は一瞬だけフリードの方を見る。フリードは無言のまま、ただ鋭く見返した。
その視線に押されるように、兵士は小さく息を吐く。
「……ここだけの話にしていただきたいのですが」
前置きが、さらに重くなる。
「帝国の第三騎士団は、精鋭揃いと聞いております。武力だけでなく、その……表に出ない任務にも長けていると」
言葉は慎重だったが、意味は明確だった。
場の空気が、わずかに冷える。
フリードが低く問う。
「その第三騎士団の直属は?」
短い問い。
兵士は一瞬だけ目を伏せ、覚悟を決めるように答えた。
「……宰相閣下です」
沈黙。
今度の沈黙は、明確な重みを持って場に落ちた。
ヴェゼルはその言葉を、否定も肯定もせずに受け止める。ただ、ほんのわずかに視線を落とし、思考の奥で転がす。
――宰相。
脳裏に浮かぶのは、あの穏やかな笑みと、底の見えない眼差し。
「……宰相か」
小さく呟く。
それ以上は続けない。
だが、その一言で十分だった。
フリードが小さく息を吐いた。
「この件は失踪とかいう曖昧なものでなくて、誘拐として扱ってもらいたい」
「了解しました」
即答だった。
そのやり取りの間、ヴェゼルは店内の空気を静かに観察していた。
店主の視線は落ち着かない。従業員も同じだ。だが、それは“知らない者”の動揺というより――何かを見た者の、それに近い。
そして、もう一つ。
フィリーの手元に、わずかに残る紅茶の香り。
甘い焼き菓子の匂いに紛れているが、わずかに異質な気配が混じっている。
――飲んだ後に、記憶が途切れた。
その事実だけが、静かに引っかかっていた。
「誘拐だとしたら、ガヤルド殿からも話を聞いた方が良いだろう。ここに呼んでもらえるか?」
フリードの言葉に、兵士が一礼し、店を出ていく。
その背を見送りながら、ヴェゼルはもう一度だけ室内を見渡した。
視線は自然に動いているようで、その実、細部を一つずつ拾い上げている。
椅子の位置。距離。扉までの動線。
そして――逃げ道。
まだ、何も分からない。
だが。
「……妙ですね」
小さく、独り言のように呟く。
フリードが横目で見る。
「何がだ」
ヴェゼルは少しだけ考え、言葉を選ぶ。
「なにか、妙に筋が通りすぎている感じがすます」
それ以上は言わない。
ただ、その違和感だけが、静かに残っていた。
アプローズ編の終わりがなかなか決まらなくて
何回も書き直しをしていたら、
話数の順番を間違えてしまいました。。
(まぁ、アプローズはそんなに出てきませんが)
やっぱり、難しいですね。。
何回書き直したことか、、
推理物、自分には絶対無理だとわかりました。
無事にこのアプローズさん失踪編を終えられるのかな。。




