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りんご一個分の収納。マジでどう使えと!? 〜辺境騎士爵に転生したので、なんとか無難な人生を…歩みたいなぁ〜  作者: 大童好嬉


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第602話 図書館長01

錬金塔の最上階の一室――外界の喧騒から切り離されたその一室は、書庫と執務室を兼ねた、静謐と紙の匂いに満ちた空間だった。


高く積み上げられた書架は壁のように連なり、古びた革装丁の書物が整然と並ぶ。その間に置かれた机には、未整理の資料と書きかけの原稿が積み重なり、灯りに照らされて淡く影を落としていた。


その中央に、老齢の男が立っている。


イグニス・エスクード子爵。


名目上は魔法省のトップ。魔法省長官――だが、その肩書きに実体はほとんどない。魔法省は徹底した現場主義であり、実質の権限は第一席に集中する。


研究者も魔法の実戦部隊も、その指揮系統の下に動く。ゆえにイグニスの役割は、書類上での頂点に過ぎなかった。

彼自身も、それを理解している。


むしろ本来の彼は、魔法使いというよりも、魔法史を蒐集し、編纂し、後世へ残すことを生業とする文筆家であった。


貴族としては異質な、権力にも政治にも興味はなく、ただひたすらに魔法の過去を掘り起こし、言葉として固定することに執着してきた男。


その過程で、ブガッティと出会った。


純粋に魔法を追い求める研究者同士として、互いを認め合い、やがてブガッティが魔法省の第一席に就いた際、請われるままに名目上の長官を引き受けたのだ。


だが、それも過去の話だ。


ブガッティが亡くなり、アヴァンタイムが第一席となった今、魔法省の運営は完全に彼の手を離れている。政治力も後ろ盾も持たぬただの老齢の魔法史研究家など、最初から視界に入っていないのだろう。


次の閣僚交代では間違いなく職を離れることになるだろう。


――それでいい。


イグニスは静かに思う。


もとより執着などない。これを機に、再び兼務している図書館へと主軸を移し、書を紡ぎ図書館を管理する日々に戻ればよいだけの話だ。


そう考え、最後の整理のためにこの部屋へ足を運んでいた。


そして――ふと、今日の出来事が脳裏に浮かぶ。


図書館の奥の部屋で、いつものように机に向かい、原稿に筆を走らせていたときだった。


扉が勢いよく開かれる。


「イグニス様!」


珍しく、切羽詰まった声。


顔を上げれば、図書館の受付を兼務する女性が息を乱して立っていた。普段は沈着で、多少のことでは動じない彼女が、明らかに取り乱している。


「……どうしたのだ」


落ち着いた声で問うと、彼女は一瞬言葉に詰まり、それでも意を決して口を開いた。


「あの……妖精様の保証金は、いくらに設定すればよろしいのでしょうか……!」


「……妖精の、保証金?」


聞き返した言葉が、そのまま自分の疑問でもあった。


意味が分からない。


彼女は必死に続ける。


「来館された子供が……その、胸のポケットから妖精様が二柱……顔を出しておりまして……それで、保証金はいくらかと……」


沈黙が落ちる。理解が、追いつかない。


妖精。


このバルカン帝国において、それは伝承の中に辛うじて残る存在だ。


確かに、過去にこの地で一柱だけ妖精が確認されたという記録は読んだことがある。だが、それも遥か昔の話であり、現在において実在を目にした者などいない。


それが――二柱。


しかも、子供が。


胸ポケットに入れて。


「……ワシも行こう」


短く言い、すぐに立ち上がる。


自ら足を運ぶべき事態だと判断していた。


受付へと向かう足取りは速い。だが、その内心は、静かに揺れていた。


そして、視界に入る。


壮年の男が一人、その少年の背後に控えている。従者だろう。姿勢に無駄がなく、周囲を警戒している。


その前に佇む――少年。


まだ十にも満たぬ年頃。だが、立ち居振る舞いには妙な落ち着きがある。


その顔を見た瞬間、イグニスの足がわずかに止まった。


(……どこかで)一瞬の引っかかり。


見覚えがある――というより、“記憶の奥に沈んでいた何かが浮かび上がる感覚”だった。


整った顔立ちそのものではない。表情でもない。だが、周囲を捉えるときの間合い、わずかな仕草に滲む理知的な静けさ。


それが、誰かを思い起こさせる。


(……似ている)


明確に名前が出る前に、感覚だけが先に断じていた。


ほんの一瞬。だが、その違和感は確かに残る。


少年は特別なことはしていない。ただそこに立っているだけだ。だが、場の空気の中で、不自然なほど“浮いていない”。


それが逆に、異質だった。


イグニスはその感覚を押し殺し、視線をわずかに細める。


記憶はまだ、形を結ばない。


そして。


ポケット。


片側から、ひょいと顔を出した小さな存在が、きょろきょろと周囲を見回している。眼鏡をかけた、知性を感じさせる妖精。


もう一方のポケットも、わずかに膨らんでいる。


――いる。


本当に。


イグニスは、思考を一瞬で切り替える。


机に置かれた記入簿へ視線を落とす。そこに書かれた名を見た瞬間、記憶が繋がった。


ヴェゼル・パロ・ビック。


(……ああ)あの、オデッセイの息子か。


ヴェゼル。その名は、すでに帝国中に知れ渡っている。戦場での異様な戦果、教国への突入のあらまし、氷の魔道士ヴァリ殿の婚約者――そしてスケコマシなどという、尾ひれのついた数々の噂。


だが、今目の前にある現実は、それらすべてを上回っていた。


妖精を、従えている。


いや――


従えているという表現すら、正しいのか分からない。


イグニスの胸に、ひとつの感情がよぎる。


苦味。


オデッセイ。


あの少女を思い出す。


まだあどけない姿の最年少で魔法省に入省し、あれほどの才を持ちながら、妬み嫉みと政治の流れの中で退けられた存在。もし自分にもう少しでも力があれば――あの結末は、違ったのではないか。


だが、それは今さらの話だ。


思考を断ち切る。


「……規約はどうなっておるのだったか」


独り言のように呟き、受付脇に備えられた規約書を開く。


頁を繰る。


人間。獣人。保証金の条項はある。


だが――


当然だ。


妖精など、想定されていない。


しばらく確認したのち、ゆっくりと本を閉じる。


結論は、最初から決まっていた。


「……無料で良いだろう」


静かに告げる。規定がない以上、それ以外の判断はない。


それに――


この少年に、余計な制限を課す意味もない。


ヴェゼルはわずかに頷き、そして。


妖精たちと従者とともに、図書館の扉へと向かう。


扉が開く。


光の中へと、その小さな背中が吸い込まれていく。


ぱたり、と。


扉が閉まる。


イグニスは、その場に立ったまま、しばらく動かなかった。


視線は、ただ扉に向けられている。


(……来た、か)誰に聞かせるでもない、内心の呟き。


歴史を記す者として、長く過去を追い続けてきた。


だが今。


その流れの中に、明らかに“異質なもの”が入り込んできた。


妖精を伴う少年。


オデッセイの血。


そして、あの名。


ビック。初代皇帝から連なる希有な貴族。


静かな空気の中で、イグニスはゆっくりと目を細めた。


過去ではなく――


今が、動き始めているのだと、理解していた。



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