SS ホワイトデー〈白い人型04〉
あの日、忘年会の終わり。
あの人は、いつものように道化て、場を盛り上げていた。
本当に、いつものように。
私の席は離れていて、直接話すことはほとんどなかったけれど、視線だけはずっとあの人を追っていた。気づかれない程度に、自然を装って。
宴が終わり、皆が帰路につく。
一番近い最寄駅から、それぞれが散っていく。
私が使う、あの駅は――ちょっと会社から遠いから、私とあの人しか使わない駅だ。
声をかけて、一緒に帰ることもできた。
でも、その日はなぜか、あの人の背中を見ながら帰りたくなった。
距離を空けて、あなたを見失わないように歩く。
ただそれだけなのに、胸の奥が妙に高鳴った。
「これって、まるでストーカーみたいだわ」
そう自嘲しながらも、なぜか楽しかった。
――時は遡る。
美術系の大学を出て、ある会社のデザイン部に入社が決まった。
入社初日の朝、満員電車で押され、降りる時に駅のホームの段差で躓いた。
カバンの中身が、周囲に散乱する。
お気に入りのノートが、誰かに踏まれそうになったその瞬間。
すっと横から、知らないおじさんが無言で拾い上げてくれた。
少し厳つい顔立ちに、一瞬たじろいだ。
けれど、その瞳の奥にある、妙に人懐こい光に、心が引っかかった。
私は精一杯のお礼を言った。
するとおじさんは、右手を「止まれ」というように突き出し、真顔で言った。
「人として当然のことをしたまで」
そして去り際に、振り返って、にやりと笑う。
「次にまた偶然会ったら、それが恋の始まり。……なんてな」
その時は意味がわからず、ただの冗談だと思った。
けれど――
入社式の場、社員全員の前で挨拶をしようとした瞬間、私は言葉を失った。
あのおじさんが、後ろの方に並び、同じようにこちらを見て驚いていたのだ。
頭が真っ白になり、挨拶の台詞が飛んだ。
私が緊張で喋れないと思ったのか、社長が助け舟を出してくれて、どうにか無難に挨拶を終えた。
その後、各部署への挨拶回り。
そして、あの人の前に立ったとき――
「これは、始まるなぁ。ね?」
おどけた声。
私は顔が真っ赤になり、何も言えなくなった。
あの人も、一瞬だけ驚いた顔をしていた。
仕事が始まってから気づいた。
誰かがあの人に礼を言うと、決まって同じ仕草、同じ台詞。
右手を突き出し、真顔で。「人として当然のことをしたまで」
どうやら、それは癖というより、持ちギャグらしい。
職場の皆は呆れつつも、すでに日常の一部として受け流している。
――初対面の相手にやられたら、ギャグだなんて思わないでしょう。
そう思いながらも、その言葉を耳にするたび、私はつい笑ってしまう自分がいた。
あの人には奥さんも子供もいると知っていても。
それでも、私にとって、気になる存在になっていった。
そして、あの日。
忘年会の帰り。
終電間際の駅のホームには、あの人と私しかいなかった。
見つかってもよかった。
けれど私は、柱の影に立ち、今日だけはこの「ストーキングもどき」を続けてみようと思った。
なんとはなしに、あの人を見ていると――
その身体がふらりと揺れ、胸を押さえ、蹲るのが見えた。
私はバッグを放り出し、必死に駆け寄った。
あの人は、息も絶え絶えで、奥さんと子供たちの名前を呟いていた。
そして、最後にはっきりと聞き取れた言葉。
「……これがラノベなら、次は異世界かなぁ…」
最後までなんでこんな時に冗談を………。
その直後、呼吸が止まるのを、私は確かに感じた。
私は何かを叫び、救急車に同乗し、病院へ行き、
そこで妙齢の女性と、年頃の娘さんの泣き崩れるのを呆然と見、
そしてお通夜、お葬式があり、焼かれ、墓に納骨された。
記憶は断片的だ。
自分が何をして、どう過ごしていたのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、気づいたときには、四十九日が終わっていた。
心に、ぽっかりと大きな穴が空いている。
それだけは、はっきりとわかる。
そして、その穴は――
きっと、一生埋まらない。
そう思う自分が、不謹慎ではあるのだが、なぜか少しだけ、心地よかった。
そしてあれから幾つの時を経たのだろうか。
今日もあの寒々とした部屋に帰る途中。
もう三月の中旬だというのに、空を見上げると雪が降っている。
ふと、どうでもいいことが頭をよぎる。
そうだ、今日は――可愛らしい缶に入ったクッキーを、買って帰ろう。
理由なんて、特にない。
ただ、そう思った。
これにて『SS 白い人型編』計4話でした。




