第584話 帝都への旅10
昼食が終わったあと、また馬に乗って帝都へと進む。
アプローズは少し言いづらそうに視線を落とし、言葉を選びながら話を続けた。
「師匠は有名な研究者であり、同時に優れた魔法使いでもありましたから、地位そのものは高かったんです。でも実際には……」
言葉を濁し、かすかに苦い笑みを浮かべる。
「名誉職のような扱いでした」
横を並んで進むフリードは、肩をすくめて言った。
「どこの国でも似たようなもんだな」
アプローズは苦笑を浮かべ、わずかに頷く。
「……そうかもしれません。平民の研究者や魔法使いも、昔はそれなりにいたそうです。でも今は……」
そこで一度、言葉が途切れた。ヴェゼルが慎重に続きを拾う。
「少ない?」
アプローズは小さく首を振る。静かな声が、馬上の風にかすかに溶ける。
「ほとんどいません。もしかすると……私が最後の一人かもしれません」
ヴェゼルは少し眉を上げた。
「へえ……」
アプローズは淡々と続けた。
「私も本来なら、入省できる立場ではありませんでした」
ヴェゼルが問い返す。
「じゃあ、どうして?」
アプローズの表情がわずかに柔らかくなる。
「ブガッティ様の推薦です。師匠は……ビック領から戻ってきたあと、とても楽しそうでした」
ヴェゼルが思わず聞き返す。
「研究を再開して、それを実践して、また改良して……そういう日々を繰り返していました。それから周囲の人間には、ずっとヴェゼルさんの話をしていたんです」
ヴェゼルは顔を少ししかめた。横ではフリードが肩を震わせて笑いをこらえている。
アプローズは少し微笑みを含ませて言った。
「褒めちぎっていましたよ。『あの少年は天才だ』って。年は離れているけれど、“友”だとも言っていました」
ヴェゼルは露骨に居心地の悪そうな顔をする。
「そ、そうですか……でも天才っていうのは、やめてほしいですね……」
その様子を思い出すように、アプローズの表情がわずかに曇った。
「その様子を……苦々しく見ていたのが、アヴァンタイムでした」
小さく息を吐き、視線を前方へ戻す。
「それである日、エクステラ宰相様とアヴァンタイムが、師匠に魔法の実技を披露してほしいと頼んだのです」
ヴェゼルが首をかしげるが、アプローズは頷いた。
「はい。実演です。その前日に、師匠は私にエリクサーの箱を渡しました」
ヴェゼルは黙って続きを待つ。
「もし万が一、自分に何かあったら、それをビック領のヴェゼル殿に届けてほしい、と」
その言葉を聞いた瞬間、胸に淡い記憶がよみがえる。
ビック領で過ごした短い滞在の最後、ブガッティが何気なく呟いた一言――
――もう二度と会えないかもしれない。
「あ……」
小さく声が漏れる。
それに気づいたアプローズが首を傾げた。
「どうしました?」
ヴェゼルはゆっくり首を振る。
「いえ」
視線を前に戻した。
ブガッティは、エルフの血を多少引いていると言っていた。未来の断片が見えることもあると。
「もしかしたら……分かっていたのかもしれませんね」
アプローズは静かに頷いた。馬上の空気は穏やかだが、言葉の重みだけが静かに広がっていく。
しばらく沈黙が続く。蹄の音だけが一定のリズムで、街道に落ち着いた刻を刻んでいた。
やがてアプローズが再び口を開く。
「あの実演の時……ブガッティ様の魔法が、暴走したそうです。でも、そんなことはありえないんです」
だがすぐに強い否定が続いた。声には確信が宿る。
「魔法制御にかけては、この国で一番……いえ、世界でも一番の方でした」
アプローズは迷いなく言い切った。
「私は何百回……いえ、何千回と師匠の魔法を見てきました。でも暴走なんて、今まで一度もありませんでした。あの場で、暴走など……ありえないのです」
その言葉に揺るぎはない。アプローズは一度言葉を切り、胸の奥で気持ちを整えるように小さく息をついた。それから声の調子をわずかに落として続ける。
「ちなみに帝都ですが、昔は、魔法といえば、このバルカン帝国が有名でした」
ヴェゼルはすぐに眉をひそめる。
「昔は?」
アプローズは小さく頷き、肩越しに街道へ視線を落とした。
「今は、そうでもありません」
横で聞いていたフリードが問いを差し挟む。
「政治の問題か?」
アプローズは迷いなく頷き、手綱を軽く握り直した。
「宰相エクステラ様の影響が大きいと思います」
フリードは思い出したように呟く。
「皇帝の義兄だったな」
アプローズは蹄のリズムに合わせるようにゆっくり話を続けた。
「その通りです。宰相は帝国の政務だけでなく、宗教や魔法省にも強い影響力を持っています。そのため……」
少し言葉を選ぶように間を置く。
「かつての実力主義は、もう昔のことです。今は貴族の権力と地位、そしてそれに群がる者たちの巣窟になってしまっています」
ヴェゼルは短く相槌を打った。
「なるほど」
馬の揺れに合わせて背を軽く揺らす。
アプローズは少し間を置き、さらに声を落として続けた。
「宰相はもともと貴族寄りの考え方をされています。ですから政策も自然と、そういう方向に流れてしまうのです」
「そして……ヴェゼルさん、ここだけの話ですが、魔法省内部、というか帝都では……」
アプローズは言葉を一度切り、視線を落として小さく息をついた。ヴェゼルがじっと見つめると、彼女は肩の力をわずかに抜き、低く囁くように続ける。
「アヴァンタイムは……宰相エクステラの寵愛を背景にして動いています。ブガッティ様の弟子として私が見てきた限りでは、直接誰かに害を加えるような人物ではありません……でも、権力と派閥の力を巧みに使い、私たちのような無力な者を知らぬ間に巻き込み、仕掛けを打つことがあるのです」
ヴェゼルはその言葉に一瞬黙り、額に軽く皺を寄せた。横で馬を進めるフリードも、蹄の音に合わせるように静かに耳を傾けている。
「つまり……帝都に向かう私たちも、彼の計略の一部になる可能性がある、と」
アプローズは小さく頷き、馬の背で手綱を軽く握り直す。
「はい。師匠のブガッティ様は、純粋に研究と魔法の向上だけを望んでいました。でも今の魔法省では、貴族派閥に沿わない者が、思わぬ困難や策略に巻き込まれることがある……そういう状況です」
風が二人の間をすり抜け、肩越しの髪をそっと揺らす。街道に響く馬の蹄音は一定のリズムで、沈黙と緊張を静かに押し広げていた。
ヴェゼルは小さく息を吐く。
「分かりました……警戒しながら進みましょう」
それにアプローズが頷いた。
「はい」
その声には、ほんのわずかに安堵の色が混じっていた。表面上は冷静を装っているが、その瞳には、師匠の意志と帝都の陰謀が交差する先を見据えた覚悟が宿っている。
ヴェゼルは軽く首を傾げ、考え込むように問いかけた。
「では、宰相やアヴァンタイムの反対勢力はいるんですか?」
アプローズはすぐには答えず、馬上で手綱を少し強めに握りながら、わずかに視線を空へ上げて思案する。
「反対勢力というわけではありませんが、強いていうならば、皇后陛下の父……ベントレー公爵様くらいでしょうか」
ヴェゼルが短く呟く。
「公爵様か」
アプローズは小さく頷いた。
「はい。ただ……最近は、あまり前面には出ていませんね」
少し言いにくそうに、口元に微かな緊張を漂わせる。
その言葉以上に踏み込むことはせず、静かな沈黙が馬上を包んだ。帝国の政治に足を踏み入れれば、簡単に済む話ではないことを、三人は理解していた。
それでも会話は途切れず、ゆるやかな馬の揺れと蹄の音に合わせながら、三人は話を交わしつつ、帝都へと続く長い街道を静かに進んでいった。
うまく表現できないなぁ。。




