第583話 帝都への旅09
三人は再び帝都へ向かう街道を進んでいた。
馬の歩調に合わせて揺れる背中に、アプローズはようやく少し慣れたようだった。
「ヴェゼル様」
揺れが一定になると、彼女は肩越しに後ろを振り返り、長い髪をかき上げながら遠慮がちに声をかける。
「様はいりませんよ」
返されたあっさりとした言葉に、アプローズは一瞬言葉を詰まらせた。
「普通に呼んでください」
柔らかな口調だが、否応なく受け入れるしかない空気。アプローズは少し迷うように視線を落とし、肩越しにそっと頷いた。
「では……ヴェゼルさん、と」
ヴェゼルが頷いて、その呼び方に決まると、二人の間の空気はわずかに柔らかくなった。アプローズは手綱を握る手を緩めることなく、少し息を整えながら口を開く。
「帝都について、どのくらいご存じですか?」
「ほとんど知りません。前に一度だけ行ったことはありますけど……そんなに長く滞在したわけじゃないです」
ヴェゼルはあっさり答えた。
横を進むフリードがくつくつと笑う。
「そういうわけだ。色々教えてやってくれ」
アプローズは素直に頷き、少し考え込むようにしてから説明を続けた。
「まず魔法省ですが……どのくらいご存じですか?」
ヴェゼルは眉をひそめ、遠い記憶を辿る。
「トップはブガッティさんですよね。それと……アヴァンタイムという方は、前に一度ビック領に来ました。あとは……ヴァリーさんが元第五席で、アビーの先生をしていたウルスさんもいましたね。あとハゲた男性がいたかと……」
アプローズは静かに頷くが、次の瞬間、視線にわずかな陰が落ちた。
「ヴァリー様は……私の憧れでした」
ぽつりと心の底からこぼれるような声。数回しかお会いしたことはないのに、その立ち姿が深く胸に刻まれていたのだろう。
「本当に立派な方でしたから……残念です」
取り繕いのない悲しみが、淡く揺れる馬の背で伝わる。アプローズは一度小さく息を整え、改めて説明を続ける。
「魔法省は研究塔に属する研究者たちと、実戦担当の魔法使いの部隊で構成されています。形式上の長は、老齢のイグニス・エスクード子爵様です」
その後、声を少し柔らげ、さらに続ける。
「そして師匠……ブガッティ様は、研究塔と魔法使い部隊の両方をまとめる、実質的な現場の責任者でした」
ヴェゼルは首を傾げる。
「過去形……なんですか?」
「はい」
アプローズは寂しげに微笑む。
「近年は……貴族派と呼ばれる勢力が力を持っていました」
「貴族派?」
「アヴァンタイム様――いえ、アヴァンタイムの派閥です」
言い換えに少し躊躇いがあったことに、ヴェゼルは気づいたが口にはしなかった。
「貴族の後ろ盾が強く、本人も貴族です。その影響力で、魔法省内でも発言力を強めていました」
説明を聞きながら、ヴェゼルは小さく呟く。
「アヴァンタイム……」
並んで進むフリードも、表情は変わらぬまま、しっかりと耳を傾けていた。
アプローズは言葉を選ぶように、わずかに間を置いてから話を続けた。
「ブガッティ様の派閥は、どちらかと言えば緩やかな集まりでした。平民の魔法使いや低位貴族、それに研究者や現場の人間たちが、自然と集まっていた形です」
馬上で手綱を軽く握り直しながら、彼女は静かに視線を前に向けたまま言葉を続ける。
「魔法省は建前上、研究機関とされていますが……実際には戦闘部隊の魔法使いたちの発言力が強くなってしまいます」
「戦闘部隊と研究者?」
ヴェゼルが問い返すと、アプローズは素直に頷いた。
「はい。研究塔に所属する者たちは、魔法の構造や理論、術式の改良を専門に扱います。一方、戦場で魔法を用いる部隊の声は、どうしても強くなるのです」
ヴェゼルは目を細め、思わず小さく頷いた。
「そうか……母さんも、元は魔法省の研究者でしたね」
その言葉にアプローズは一瞬だけ驚いたように振り返り、すぐに落ち着いた声で応じる。
「あ、はい。存じています。魔法省では有名でした。最年少で入省された方だとうかがっています」
ヴェゼルは軽く肩をすくめた。家族の話として聞けば普通のことだが、外の評価としては立派に映るらしい。
アプローズは再び前を向き、少し声を落として説明を続けた。
「ですが……魔法省の重要な役職の多くは、アヴァンタイム派閥が占めていました」
その言葉は淡々としているが、どこか慎重さがにじむ。
「研究塔の管理職、戦闘部隊の指揮官、さらには行政的な役職まで……です」
ヴェゼルは短く息を吐き、視線を前方の街道に落とす。
「……なるほど」
その一言だけで、状況の輪郭はおおよそ見えてきた。街道の土の匂いや馬の蹄のリズムが、今は彼の思考を静かに支えていた。




