第582話 帝都への旅08
そして三人は、再び帝都へ続く街道を進み始めようとした。春先の柔らかな風が道端の草を揺らし、踏み固められた土の上には馬蹄のリズムが響く。
ただ、問題が一つだけ残っていた。馬が二頭しかいないのだ。
そのため、ヴェゼルは渋々アプローズの後ろに乗ることになった。本来ならルドルフの背に乗るつもりでいたが、そこに待ったをかけたのがフリードだった。
「流石にそれは駄目だぞ」
街道を一瞥しながら落ち着いた声で言う。
「えー……」ヴェゼルが露骨に不満を漏らすと、フリードは肩を竦め、街道の先を顎で示した。
「帝都へ続く街道は人通りも多いんだぞ。精霊も妖精も隠さないことにしたとはいえ、いきなり巨大な狼だか犬だか分からんものに子供が乗って走ってきたら、普通の旅人は腰を抜かすだろ」
確かにその通りだ。ルドルフは温厚な精霊獣だが、見た目だけなら巨大な魔獣そのものに見える。ヴェゼルは小さく頷き、反論を引っ込めた。
「だから今は我慢しろ」フリードは短く言い切った。
こうしてヴェゼルはアプローズの後ろに乗ることになったが、その決定に最も落ち込んだのはルドルフだった。
「クゥゥ……」
伏せたまま前脚の上に顎を乗せ、まるでこの世の終わりを告げられた犬のように涙をぽろりと落とす。
その隣でシャノンは胸を張り、得意げに言った。
「俺は大丈夫だぜぃ」
確かにシャノンは小さな猫にしか見えず、旅人にしても「珍しい猫だな」と思う程度だろう。
ひょいとヴェゼルの後ろに飛び乗る。だがその勝利は長くは続かなかった。
ルドルフがぬっと近づき、シャノンの首根っこを咥えると、影の中へずるりと引きずり込んでしまったのである。
「ちょっ――おい、ルドルフ! それは反則だろ――!」
抗議の声は影の中で途切れ、すぐに静まり返った。ヴェゼルは思わず苦笑する。
アプローズは困ったように視線を泳がせ、控えめに声をかける。
「えっと……では、後ろにどうぞ。腰にしっかり掴まってくださいね」
ヴェゼルは軽く頷き、馬の鐙に足をかけると、ひょいと鞍の後ろに腰を下ろした。
思ったより近い距離にアプローズの背があり、一瞬肩をこわばらせる。
「失礼します」
ヴェゼルが腰に手を添えると、アプローズは小さく「はい」と返事し、手綱を引いた。馬はゆっくり歩き出そうとする。
その時、ヴェゼルはふと自然な動作で目の前の腰に手を回すと、アプローズがビクッと体を震わせた。
「……あれ?」
腰幅が小さいことに気づき、思わず両手を上に這わせると、そこには柔らかな胸の膨らみがあった。
――あぁ、やはり「僕」と言っていたけれど、体も顔も女の子っぽい。確実に女の子だ。
ヴェゼルはしばしその感触を堪能するが、アプローズの顔は真っ赤に染まり、視線を逸らしたまま固まっていった。
怒りや恥ずかしさが入り混じった、まるで初めての感情に戸惑う子供のような表情だった。
その表情を前に、ヴェゼルはただ静かに微笑む。特に声をかけるでもなく、ただ落ち着いているだけで十分だった。
(まぁ、いいか)特に反応を示さず、ヴェゼルは静かに告げる。
「じゃあ、いきましょうか」
ヴェゼルがそっと告げる。
アプローズは硬直したまま、小さく頷き必死に平静を装った。心の中では、思わず呟いていた。
(……くそ、スケコマシっていう噂は本当だったんだな……全然動じてないじゃないか……!)
小さな舌打ちのような声を飲み込みながら、必死に呼吸を整え、肩の力を抜こうとするアプローズだった。
馬はゆっくりと歩き出し、蹄の音が踏み固められた道を一定のリズムで叩く。そのリズムに合わせ、アプローズの小さな体がわずかに揺れるたび、ヴェゼルの手は無意識のうちにしっかりと腰を支えていた。
風が二人の間を抜け、緊張で硬くなった空気を少しだけ和らげる。アプローズの吐息、馬の蹄音、遠くで鳥が飛び立つ音。
街道の静かな音景の中で、ヴェゼルは微かに顔を上げ、空を見やる。柔らかな日差しが二人の影を道に落とす。
そのまましばらく、言葉は交わさず、歩みだけを合わせて進む。
アプローズは少しずつ落ち着きを取り戻し、肩をリラックスさせたが、顔の赤みは依然として残っている。
ヴェゼルはその微細な表情の変化を確かめるように横目で見つつ、心の中で小さく笑みを漏らした。
影が揺れ、草がざわめく。春先の風が優しく頬を撫で、踏み固められた土が軽く湿った香りを放つ。
その中で二人の馬上の距離は、言葉以上に多くを語り合っていた。
はい! セクハラ案件発生です。
どこに訴えましょうか?




