第577話 帝都への旅03
二日目、太陽が高く昇り始め、街道の土が昼の熱を帯び始めたころだった。
草原を渡る風はまだ涼しさを残しているが、日差しは確実に強くなりつつあり、馬の影が短く地面に落ちている。街道は相変わらず広く、左右には背の低い草原が続き、遠くには緩やかな丘がいくつも重なっていた。
その頃、数人の男たちが馬で近づいてきた。
身なりは良くない。くすんだ革鎧、擦り切れた外套、腰にぶら下げた剣や棍棒。旅人というより、街道の影に生きる者の匂いがあった。
男たちはすれ違う直前までこちらを露骨にジロジロと見ていたが、何も言わずにそのまま追い抜いていった。
ヴェゼルは軽く目だけで追った。
そのまま何事もなく去るのかと思ったが――。しばらく進むと、道の脇の低い丘の上に人影が見えた。
十人程度の人が剣や棍棒を手にして立っている。こちらを見ながら何か話している様子だった。風に乗って笑い声のようなものがかすかに届く。
明らかに、狙っている。やがて丘の上の影が一斉に動いた。
男たちは坂を駆け下り、街道へと飛び出してくる。馬に乗った者が五人。残りは徒歩だが、どちらにせよこちらを囲むつもりなのは明白だった。
だが――。
フリードは、ただ一瞥しただけだった。
「……構うな」
低く、短く言う。ヴェゼルもすぐに頷いた。
二人は同時に馬腹を軽く蹴る。馬がそれを合図に速度を上げ、蹄が乾いた街道を叩き始める。風が頬を叩き、草原が流れるように後ろへ遠ざかっていった。
徒歩の盗賊たちはすぐに追うのを諦めた。だが、馬に乗った者たちは違う。
五頭の馬がこちらを追ってくる。蹄の音が徐々に近づき、怒号のような声が風に混ざって届いた。
ヴェゼルは一度だけ振り返った。距離はまだあるが、追いつく気は満々らしい。
「……面倒だな」
小さく呟きながら、片手で鞍袋に手を入れる。取り出したのはいつもの収納箱だった。
そして、軽く呟く。
「収納……土。幅五十センチ、深さ五十センチ。間隔一メートルで十個」
次の瞬間。街道の土が、音もなく消えた。
ヴェゼルたちの後方、一直線に並んだ十個の穴が突然現れる。乾いた地面がごっそりと抜け落ち、ちょうど馬の足がはまる深さの落とし穴が連続して口を開けていた。
追ってきた盗賊たちは、それに気付く暇もなかった。先頭の馬が突然足を取られる。
次の瞬間、激しい悲鳴とともに馬が前につんのめり、騎乗者が空中へ投げ出された。続く馬も同じように穴に足を取られ、次々と転倒する。
蹄の音は一瞬で悲鳴と衝突音に変わった。
馬体が転がり、砂煙が上がり、盗賊たちの体が地面へ叩きつけられる。高速で走っていた状態からの落馬だ。鈍い音が連続し、そのあとに聞こえてくるのは苦痛の呻き声ばかりだった。
馬を止めてヴェゼルは少しだけ眉を上げた。
「……さすがに派手に転びましたね」
フリードは後ろをちらりと見て、「まあ、あの速度だ。無事では済まんだろうな」と言っただけだった。二人はそのまま走り続けようとした。
――だが。
しばらく進んだところで、ヴェゼルがふと手綱を引いた。
「どうした?」
フリードが聞く。
ヴェゼルは街道を振り返った。
「……穴、残したままだと他の旅人が困りますね」
少し考えたあと、「ちょっと戻ります」
フリードは一瞬だけ呆れたような顔をしたが、「好きにしろ」と肩をすくめた。
二人は馬を返し、先ほどの場所へ戻る。そこには、見事な惨状が広がっていた。
馬は横倒しになり、盗賊たちは地面に転がっている。腕や足を押さえて呻いている者、まったく動かない者もいる。骨が折れているのは明らかだった。
「いてぇ……」「助けてくれ……」「足が……足が……」
悲鳴と呻き声があちこちから聞こえる。だがヴェゼルは、それをまったく気にする様子もなく収納箱を取り出した。
「土…元の場所へ…」短く呟く。
次の瞬間、先ほど収納した土が地面へ戻り、穴が次々と埋まっていく。街道は何事もなかったかのように平らになった。一部の盗賊もその土に体の一部が埋まった者もいる。
盗賊たちはその様子を見ながら呻いている。
「頼む……」「助けてくれ……」
ヴェゼルは一切反応しなかった。
倒れている馬にちらりと視線を向ける。
「……馬はちょっと可哀想ですね」
だがそれ以上は何もしない。
やがて収納箱をバッグに入れて、馬に乗る。「行きましょう」
フリードが苦笑した。「なんか……かえって面倒だったな」
ヴェゼルも小さく頷く。
「穴は便利ですが、街道だと後が大変ですね」
二人は再び街道を進み始めた。
その翌日。同じようなことが、もう一度起きた。
だが今度の盗賊は馬に乗っていなかった。遠くから怒鳴りながら走ってきただけだったので、二人はそのまま速度を上げて駆け抜けた。
当然、追いつけるはずもない。
夕方になる頃、太陽は西へ傾き、草原の色がゆっくりと金色に変わっていく。
二人は街道から少し外れた林の縁で馬を止めた。
今夜はここで野営だ。
まず馬を木に繋ぎ、水袋から水を与える。馬は喉を鳴らしながら水を飲み、そのあと草を食み始めた。長旅の疲れが溜まらないよう、鞍を外して背中を布で軽く拭いてやる。
馬もまた、この旅の仲間だった。その間に、ヴェゼルは林の中へ入っていった。
木を数本切り出す。
それを地面に並べ、共振位相を使って削り始める。刃物を使わずとも、木は静かに削れ、鋭い角を持つ小さな木片へと変わっていく。
まきびし。踏めば足を傷つける小さな罠だ。
ヴェゼルはそれを大量に作り、収納箱へ収めていく。まぁ、正規の兵士は革製の軍靴だろうから効果は無いだろうが。
さらに細かな木端もいくつも収納する。馬の進路を塞ぐ、即席の障害物にも使えそうだ。
一方その頃、フリードはすでに野営の準備を終えていた。
ヴェゼルが出した簡易テントを張り、火を起こし、鍋に近くの川から汲んできた水を入れる。夕食といっても、今日は宿でもらったスープとパン、燻製肉を温めるだけだ。
やがて焚き火の前で、二人は腰を下ろした。
ぱちり、と薪が弾ける。火の光が揺れ、林の影が長く伸びていた。
その時、フリードが何気なく言った。
「この前の”影抜き”のことだがな」
地面に落ちていた木の枝を拾いながら続ける。
「リョーガに教わった時はできなかったんだがな。あれは無理だとは思ったんだが、何度か練習してるうちに、なんとなく掴めてきてな」
枝をくるりと回しながら、笑う。
「アーバンクルーザー伯爵に試してみたら……できた」
あまりにもあっさりした口調だった。
ヴェゼルは思わず顔を上げる。
「……あの時、一度しか見せてもらってませんでしたよね」
「そうだな」
フリードは平然と頷く。
「教わってから二、三日だな」
ヴェゼルはしばらく黙った。
――やはり天才だ。
剣の技術という意味では、フリードは本物だ。影抜きなどという常識外れの技を、試してみたら出来た程度の感覚で習得してしまうのだから。
その視線に気づいたのか、フリードは肩をすくめた。
「ただし、もう身体強化が使えんからな…」
「……聖魔法の身体強化ですか」
「ああ。もう使えん。綺麗さっぱりとな」
焚き火を見つめながら続ける。
「教国で戦った直後だな。ふっと体から何か抜ける感覚があった。目では見えなかったが……あそこには聖の精霊がいたんだろう」
少しだけ笑う。
「だから、まあ……数十人くらいならなんとかなるが、もう百人単位は厳しいかもしれんな」
さらりと言った。だがヴェゼルは、先日の表彰式の光景を思い出していた。
あの踏み込み。
あの一撃。
――身体強化なしで、あれ。
むしろ以前より鋭くなっているようにすら見えた。
「……まあ、問題はないがな」
フリードはそう言って立ち上がった。




