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第53話 アビーさんと一緒。アビーさんの街を散策へ

朝食を終えると、バーグマンは上機嫌で木剣を肩に担いで現れた。


「婿殿、軽く体を動かして参ろう。キックスも準備せよ」


呼ばれたのは、バーグマンに仕える若い従者キックス。


十四歳ほどの少年で、きびきびとした所作をするが、その瞳はどこか鋭く、ヴェゼルを射抜くように睨んでいた。


(……あまり、気に入られてないな)


ヴェゼルは内心で苦笑した。


まずはキックスとの手合わせ。


カッと目を見開いて飛び込んでくる剣筋は、年齢に似合わぬ速さを持っていた。


だが、ヴェゼルは冷静に受け止める。6歳のお子ちゃまにそんなに本気になられても、、と思いつつも、フリードとの容赦ない日々の鍛錬で、身体は自然に動いていた。


二度、三度と打ち合い、力では押し負けても、スピードと技術で、最後はキックスの剣を軽く払いのける。


「ぐっ……!」


悔しげに歯を食いしばるキックス。


バーグマンはその様子を笑みを浮かべて眺め、今度は自ら木剣を構えた。


「婿殿、今度は儂と手合わせだ」


重厚な打ち込みが飛んでくる。


しかしヴェゼルは下がらず、柔らかく受け流し、逆に鋭い一撃を返した。


数合を交えた後、バーグマンは大きく木剣を振り下ろしてから手を止めた。


「……ほう、これは見事だ! まだ少年の体つきにしか見えんのに、まるで熟練の兵のようだな」


その言葉にキックスはさらに顔を曇らせる。彼の胸中に渦巻く感情は嫉妬に近かった。




鍛錬を終え、午後にはアビーとヴェゼルは領都の街を散策することになった。


ヴェゼルにはグロムが護衛に、アビーにはキックスが付いた。


バーグマン曰く、街中はそこら中に、バーグマン配下の部下が巡回しているので安全だろうとのこと。そこでキックスが護衛に選ばれたようだ。


春の市場は活気にあふれていた。


花を売る店、香ばしい焼き菓子の屋台、木工細工の小物を並べる露店。


二人は笑顔であれこれ見て回り、ささやかな幸せを楽しんでいた。


と、横で護衛に付いていたグロムが、ぽつりと口を開いた。


「ヴェゼル、気をつけろ、前からタチの悪そうな奴らがこちらに向かって来てる」


グロムの声には露骨な嫌悪がにじんでいた。


その言葉の直後、広場の向こうから甲高い声が響く。


「やあ、やはり君だったか、アビー嬢!」


人混みを割るようにして現れたのは、金糸のような髪を丁寧に整えた小柄な少年――クリッパーだった。


まだ十歳ながら、高価な外套を羽織り、両脇には屈強そうな護衛が二人。


その顔には子供らしい無邪気さよりも、いやらしい自信と尊大さが滲んでいた。


「アビー嬢、その年齢でも十分にお美しい」


「この町に来ていると聞いたから、探したんだ」


クリッパーは当然のようにアビーの前に立ち、胸を張る。


「せっかくだ、これから新しくできたレストランに行こう。僕が招待してあげる」


キックスがむっとした顔で言葉を小声で呟いた。


「隣領の伯爵の子息です。十歳で、たいそうな自信家ですよ。特に……アビー様を気に入っているようで」


アビーは少し困ったように笑った。


「去年の収穫祭のときも、しつこく声をかけてきましたね」


「あいつは隣の領内でも鼻つまみ者ですよ。護衛を従えて威張り散らすだけで……」


グロムの声には露骨な嫌悪がにじんでいた。



アビーは眉を寄せ、きっぱりと首を振った。


「申し訳ありません。私には婚約者がいますので」


クリッパーは怪訝そうに隣のヴェゼルに視線を巡らせてから、言った。


「婚約者? ……まさか、そこの“できそこない”か?」


言葉の毒に、周囲の空気が凍る。


「収納魔法? 聞けば、リンゴ一個しか入らないとか。笑いものだな。教会からも必要とされていないんだろう?」


瞬間、普段は温厚なグロムが怒声をあげた。


「黙れ! 侮辱するな!」


クリッパーの護衛が鼻で笑い、剣の柄に手をかける。


「できそこないの騎士爵風情の護衛が、吠えるな」


グロムが剣を抜こうとするのを、ヴェゼルは片手で制した。


「だめだよ、グロム」


だがクリッパーは止まらず、剣を抜き放つと、ヴェゼルの手に持っている10センチ四方の箱を狙った。意外にも剣先が鋭い。


「これでどうだ!」


刃がヴェゼルの箱に迫った瞬間――ヴェゼルの収納魔法が淡く光る。


クリッパーの剣の根元、十センチほどがふっと消え、残った刃はガランと石畳に落ちた。


「なっ……!?」


剣を握る手には、柄しか残っていない。


「卑怯者! 妙な魔法を使ったな!」


クリッパーは真っ赤になり叫ぶ。


護衛騎士が剣を抜いてすかさず、ヴェゼルに飛びかかろうとする。


しかし、グロムが声をあげ、体術で相手の剣を弾き飛ばす。


「があっ!」


フ吹き飛ばされた直後、護衛は地面に叩きつけられ、身動きが取れなくなった。


「き、貴様……! 貴様ぁぁぁっ!」


護衛は地に伏し、群衆はざわめき、ヴェゼルは毅然とアビーの隣に立つ。


誰がどう見ても、クリッパーの完敗だった。


しかし、クリッパーは涙を堪えるように唇を噛み、絞り出すように声を上げた。


「こんな恥、忘れるものか……! 僕が大人になったとき、どれほどの差がついているか見せてやる!

 アビー嬢も、きっとその時は後悔するぞ! できそこないなんかに嫁ぐのは間違いだったと!」


その声には、ただの子供の悔しさではなく、幼いながらも“歪んだ執念”が滲んでいた。


クリッパーは護衛に肩を貸されながら、なお振り返り振り返り、吠えるように叫んで去っていった。


「おぼえていろ! この屈辱は一生忘れん! いつか必ず、貴様を地に這わせてやる!」


その場に残されたのは、剣の残骸と、緊張の余韻だけだった。


アビーは静かにため息をつき、ヴェゼルの袖をそっと握った。


「ごめんなさい……。昔からわがままで……でも、今のは……」


ヴェゼルは苦笑しつつも、胸の奥にかすかな不安を覚えていた。


あの叫びは、ただの子供の癇癪では終わらないかもしれない――そう感じさせるほどの、重さがあった。




クリッパーとその護衛が捨て台詞を吐きながら去っていくと、広場の空気にようやく静けさが戻る。


ヴェゼルは服の奢れを軽く払って、まるで何事もなかったかのように息を整えた。


その横で、グロムは大柄な身体を揺らしながら鼻を鳴らし、挑んできた護衛を一瞥する。


「……子供の遊びにしては少々荒っぽかったな」


その声音は、勝負に勝ったという誇示ではなく、当然のことをしただけの淡々さがあった。


「ほんとに……二人とも、ありがとう」


アビーが深く頭を下げる。


瞳はまだ少し震えていたが、婚約者と護衛の頼もしさに強い安堵をにじませていた。


「私、守られてばかりね。でも……すごく心強かった」


その言葉にヴェゼルは柔らかく微笑み、グロムは黙って肩をすくめる。


彼らにとっては当然の行動であり、守ったことを殊更に誇るつもりもなかった。


だが、その様子を少し離れて見ていたキックスの胸には、重苦しい感情が渦巻いていた。


年は四つ上、剣の稽古も積んでいるはずの自分が、何もできずただ見ているしかなかった。


護衛として前に出たのは、年下のヴェゼルと、その従者のグロム。


――なぜ、自分は動けなかった?


拳を握りしめ、唇を噛む。


悔しさと恥ずかしさが入り混じり、顔を上げることもできない。


その横顔は、誰よりも幼く、誰よりも悔しさに満ちていた。


アビーは気づいていない様子だったが、ヴェゼルはちらりとキックスを見やった。


その目には同情ではなく、かすかな理解と、まだ語らぬ言葉が宿っていた。





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