第498話 ペットの紹介
先ほどまでのフリードの失言に対しての刺々しさが嘘のように、アクティはいつもの調子でにこにこと笑い、部屋の空気もどこか柔らいでいた。
フリードは一度、部屋全体をぐるりと見回し、腹を括ったように小さく息を吐いてから口を開いた。
「もう、リョーガ殿もユーガも、うちの一員だ」
そう言い切ると、そのままアクティと手を取り合って喜んでいるセリカへと視線を向ける。
「セリカさん、うちの犬と猫を連れてきてくれないか。……すまんな」
その言葉に、ユーガの目がきらりと輝いた。
「犬と猫が、いるのですか?」
どうやら相当な動物好きらしく、声に隠しきれない期待が滲んでいる。
セリカが軽く頷いて部屋を出ていき、ほどなくして扉が再び開いた。
現れたのは――大きすぎる犬?と、異様なほどしなやかで理知的な猫。
ルドルフとシャノンだった。
その瞬間、空気がぴんと張り詰める。リョーガの身体が、思考よりも先に反応していた。
無意識のうちに腰の刀へと手が伸び、指先が柄に触れる。
――朝、宿を出たとき。
ヴェゼルの影に、何かが忍び込んだ、あの微かな違和感。確かに異質ではあったが、当の本人がまるで気にも留めていなかったため、リョーガはあえて口を噤んでいた。
そもそも、フリードたちと初めて相対したときから、どこか魔物じみた気配が混じっていること自体、おかしいとは思っていたのだ。
だが、今は違う。目の前に立つ二匹から放たれる圧が、その正体を否応なく突きつけてくる。
ユーガもまた、その犬に目を見張った。
一見すれば、ただの犬――少し大きめなだけの、愛嬌のある犬に見えなくもない。
だが、その存在感は明らかに犬のそれではない。隣の猫も同様だった。可愛らしい外見とは裏腹に、その眼光ははっきりと意思を宿し、リョーガとユーガを真っ直ぐに見据えている。
――もし、ここで何かこの二匹に危害を加えたら。その先を想像しただけで、背筋を冷たい汗が伝った。
そんな張り詰めた空気など意に介さぬように、ルドルフは大きな尾を一度だけぶんと振り、シャノンは欠伸混じりに前脚を伸ばす。
そして次の瞬間、二匹そろって、何事もなかったかのように床にぺたりと座り込んだ。
あまりにも拍子抜けな光景に、リョーガの動きが止まる。ユーガもまた、刀でもなく魔法でもなく、撫でたい衝動と警戒心の間で微妙な顔になっていた。
「待て待て」即座に気づいたフリードが、苦笑混じりに手を上げた。
空気が完全に切り裂かれる、その一歩手前での制止だった。
「今まで黙ってたがな。うちには番犬と番猫がいるんだ。まぁ、守神って言ってもいいかもしれんがな」
そう言って、何でもないことのように二匹を親指で示す。
「この犬っぽいのがルドルフ、猫っぽいのがシャノンだ。どっちも、うちの一員だ。安心してくれ。相手が悪意を持たん限り、危害なんざ一切加えん。……可愛いもんだろ?」
リョーガは二匹をじっと見据えたまま、数拍の沈黙の後、ようやく刀から手を離した。
そして、一度だけヴェゼルを見る。朝の、あの影の違和感。点だった感覚が、ここで一本の線として繋がる。
「……やはり、そうでござったか」
静かだが、確信の滲む声だった。
「フリード殿の周囲には、出会った当初から、常に魔物の気配があった。これで、ようやく腑に落ち申した」
そう言ってから、改めてフリードへ向き直る。
「フリード殿。このルドルフ殿とシャノン殿というのは……?」
フリードは、まるで今日の天気でも答えるような調子で言った。
「ああ。言っちまうがな。犬がストーンフェンリルで、猫がノクスパンテラだ。今はちょっと小さくなってもらってる」
一瞬、時が止まった。
「――最上位の魔物……否、ほぼ神獣ではござらぬか」
思わず息を呑み、リョーガは低く唸る。
「ヴェゼル殿の影に潜んでいたのにも納得でござる。そこまでの存在なら、影に紛れるなど、容易いことでござろうな……」
その言葉に応じるように、シャノンがにやりと口角を上げた。
「おっ、よく知ってるね、おじさん。これからよろしくな!」
空気を裂くような軽さだった。
リョーガの目が、さらに大きく見開かれる。「……魔物が、言葉を話すでござるか」
「こっちの“犬っころ”も、人間の言葉はちゃんと分かるぜ」
余計な一言だったのだろう。“犬っころ”という単語に、ルドルフが一瞬だけシャノンへ鋭い殺気を飛ばす。
だが次の瞬間、フンと露骨に顔を背け――
一歩、前に出た。そして、驚くほど丁寧に、リョーガとユーガへ一礼する。
無駄のない、礼儀正しい所作だった。その瞬間、張り詰めていた部屋の空気が、ふっと緩むのを感じた。
同時に、リョーガの胸の内では、フリードと出会ったときから、そして朝からずっと引っかかっていた“違和感”が、ようやく、完全に解けていた。
するとユーガが、まずルドルフへと柔らかな微笑みを向け、次いで意を決したようにシャノンへと歩み寄った。腰が引けているのに、目だけはきらきらしている。
「シャノンちゃん……触っても、いい?」
問いかけに、シャノンはほんの小さく顎を引いた。
次の瞬間だった。ユーガは、そのまま自然な動きでシャノンを抱き上げていた。
「えっ」言い切る前に、もう腕の中である。
それを見たルドルフが、わずかに眉――否、犬眉をひそめた。
「いいだろー? 俺、小さくて可愛いからさ。こういう時、すぐ抱っこされるんだぜ」
得意げに胸を張るシャノンに、ルドルフはむすっとしたまま、ぷいと視線を逸らす。
その様子に、ヴェゼルは苦笑しつつ歩み寄り、静かに声をかけた。
「ごめんね。二匹とも……今まで、少し狭くて、寂しい思いをさせてしまったね」
そのときだった。
ユーガの視線が、ルドルフの首元に提げられた小さなポシェットに留まった。
サイズも色合いも妙に愛らしく、どう見ても上位魔物にはなんとなく似つかわしくない。
――可愛いポシェットだわ。
そう思った、まさにその瞬間。
もこり。
ポシェットが、不自然に膨らんだ。
次の瞬間だった。
小さな眼鏡をかけた顔が、そっとポシェットの口から覗いたのだ。きょろきょろと周囲を見回し、興味深そうに首を傾げている。
ユーガは、一瞬、自分の目を疑った。何が起きているのか、思考が追いつかない。
だが――
その小さな眼鏡の子と、目が合った。
沈黙。
ほんの一拍、時間が止まったかのように、二人は見つめ合う。
そして次の瞬間。
普段は沈着冷静を絵に描いたようなユーガが、抑えきれず、思わず声を張り上げていた。
「えーーっ!?」
鋭くも素っ頓狂な声に、部屋中の視線が一斉にユーガへと集まる。
――たった数分。
それだけの時間で、リョーガとユーガの中の“常識”がまたもや、音を立てて崩れ去った。
ビック家という場所は、どうやら容赦なく人の価値観を粉砕する家らしい。
その事実を、ユーガはこの瞬間、身をもって理解することになるのだった。




