第52話 アビー帰る。 ついでに僕はアビーんちへ
翌朝。
祭りの余韻がまだ残る中、ヴェゼルはぼんやりと目を覚ました。
昨日の夜の光景――そしてアビーとの「チュッ」が脳裏によみがえる。
思い出しただけで顔が熱くなる。
すると、部屋のドアががらりと開いた。
そこには満面の笑みのアクティが立っていた。
「おはよー! ねえねえ、おにーさま!」
「な、なんだよ、朝から元気だな」
「アビーおねーちゃんと、チュッしたでしょ!」
「ぶっ……!!!」
ヴェゼルは思わず布団をひっかぶる。
「ど、どこでそんなことを!」
「だって、アビーおねーちゃん、あさからにこにこしてるんだもん!」
アクティは両手を腰に当て、勝ち誇ったように笑う。
そこへ、ちょうど廊下を通りかかったオデッセイが首を傾げた。
「アクティ、何をそんなに騒いでいるの?」
「おにーちゃんがね! アビーおねーちゃんと! チューしたんだって!」
「ちょ、ちょっとアクティ!」
ヴェゼルの抗議もむなしく、オデッセイは一瞬ぽかんとした後、ふっと目を細めて微笑む。
「まぁ……婚約者同士だもの。健全なことじゃない」
「やったー! じゃあ、あたしもおにーちゃんにチューしていい?」
「だめだーー!!!」
ヴェゼルの叫び声が、朝の館に響き渡った。
――こうして祭りの翌朝もまた、にぎやかに幕を開けたのであった。
アクティに冷やかされて顔を真っ赤にしたまま、ヴェゼルは一階の食堂に降りていった。
すでにバーグマンとアクティが席に着き、朝食を取っている。
アビーはまだ眠そうしていたが、ヴェゼルの姿を見た途端、ふっと目を逸らしながらも頬が朱に染まった。
昨夜のことを思い出したのだろう。ヴェゼルも気まずくて、つい視線を落とす。
「おお、婿殿! おはよう!」
豪快な声でバーグマンが手を振る。先に食事をしていたアクティはパンを頬張りながら、またもにやにやとヴェゼルを見ている。
なんとも落ち着かない空気の中で朝食が進んだ。
食後、バーグマンが椅子を引きながら言った。
「さて、私は今日には領へ戻らねばならんのだが……どうだ婿殿、突然だが、アビーと一緒に遊びに来ぬか?」
「えっ……」
ヴェゼルは思わず固まる。
だが、横で聞いていたフリードが両手で大きく丸を作ってにっこり。
「賛成だ。若い二人には良い機会だろう」
続けてオデッセイもやわらかく微笑んだ。
「ええ、せっかくのご縁ですもの。隣領ですし、行っていらっしゃいな」
こうして話はあっという間に決まり、慌ただしく準備が始まった。
護衛にはグロムが名乗りを上げ、安心の布陣となる。
とんとん拍子に話が進み、そこから、馬車に揺られること六時間。
道中、春風が草原を渡り、窓から見える景色もやわらかな緑に彩られていた。
アビーは嬉しそうに外を眺め、ときどきヴェゼルの方を見ては笑みを浮かべる。
その度にヴェゼルの胸は高鳴り、照れ隠しのように視線を逸らした。
夕刻前、ついにヴェクスター領の領館が見えてきた。
先触れがすでに到着していたため、門前には迎えの人々が整列していた。
真っ先に出てきたのは、アビーの母・テンプター夫人。
優雅な身のこなしで馬車に近づくと、ヴェゼルを見て目を細めた。
「まぁ……アビーの未来の旦那様。ご無沙汰でしたね。ようこそヴェクスターへ」
その言葉にヴェゼルは思わず背筋を正し、深く一礼した。
夫人は朗らかに笑い、心からの歓待を示した。
持参した土産――ビック領特産のホーネットシロップが出されると、夫人は驚きの声を上げた。
「まぁ! 今人気の甘味ね!」
さらに、ヴェゼルは積み木のセットも差し出した。
「将来、アビーの弟君にも喜んでいただければと」
ちょうど侍女に抱かれた生後間もない赤子――オースチンが連れてこられ、ヴェゼルは初めて対面した。
まだ幼すぎて反応は薄いが、あどけない寝顔に自然と頬が緩む。
アビーはそんな弟を愛おしげに見つめ、ヴェゼルに「可愛いでしょう?」と小声で囁いた。
その晩は領館で豪華な食事を囲み、温かく迎え入れられた。
旅の疲れもあり、夜が更ける前に部屋へ案内されると、ヴェゼルは心地よい安堵に包まれた。
――明日はアビーと一緒に、ヴェクスター領の町を見学する。
その期待を胸に、彼は静かにまぶたを閉じた。




