第482話 辺境伯への挨拶02
そこへ、ようやくフリードがこちらへ合流してきた。顔にははっきりと疲労が浮かんでいる。
「いや、まいったよ。ついこの前まで忌み嫌われていたってのに、気づけば大人気だ。世の中、ほんと分からんもんだな」
そうぼやいたかと思うと、今度は拗ねたように続ける。
「それにだ。ヴェゼルもエスパーダさんも、ひどいじゃないか。気づいたら二人ともいなくなってるし」
そのタイミングを見計らったように、ローグ子爵が軽く咳払いをし、場を整えた。
「改めて。フリード殿、こちらがテルスター子爵と、そのご令室ニーヴァ殿、そして子息のフルフェンスです」
テルスター子爵は一歩前に出て、苦笑いを浮かべる。
「私も“その大人気の一員”というわけですかな。はじめまして、ビック卿……いえ、フリード殿。今までご挨拶もできず、失礼しました。私はアルトの兄、テルスターです」
穏やかな声で続ける。
「甥のスイフトも、アクティ嬢とは大層仲が良いとか。私ともども、今後ともよろしくお願いします」
その後ろで、アルトとフルフェンスも丁寧に頭を下げた。
フリードは少し気まずそうに頭を掻く。
「おう、アルトさんの兄上殿か。こちらこそよろしく頼みます。どうも挨拶ってのが苦手でしてな。これから失礼な作法等があるかもしれんが、その時は勘弁してくれるとありがたい」
「私も形式張ったものは得意ではありませんので」
テルスター子爵はそう返し、肩をすくめた。すると、妻のニーヴァが柔らかく笑って口を開く。
「ビック領の知育玩具や、ホーネットシロップは、うちの息子も大好きなんですよ。あまりに好きすぎて……少し、ふくよかになってしまって」
その言葉に、フルフェンスは照れたように視線を落とした。テルスター子爵は小さく息を吐く。
「剣もあまり得意ではなくてね。領地も不帰の森と多少は隣接していますから、本当はもう少し武の方面にも励んでほしいのですが……」
ちらりと息子を見る。
「いつも本ばかり読んでいる。しかも――」少し困ったように、テルスター子爵は付け加えた。
「精霊や妖精が出てくる物語ばかりでね」
その瞬間、フルフェンスがはっと顔を上げた。
「精霊様も、妖精様も、とても素敵な存在じゃないですか!」
思わず声が弾み、言葉がそのまま続く。
「ただ力がある存在というだけじゃないんです。土地や人の想いに応えて姿を変えたり、約束や契約を何より重んじたり……本によっては、同じ精霊様でも、人の接し方一つで祝福にも災いにもなるって書いてあって」
少し息を吸い、なおも語る。
「妖精様だって、いたずら好きな話ばかりじゃありません。小さな加護を積み重ねて村を守ったり、誰にも気づかれないまま助けていたり……そういう存在が、世界のすぐそばにいるかもしれないと思うと」
胸の前で、ぎゅっと手を握りしめる。
「すごく……素敵じゃないですか」
その熱のこもった言葉に、テルスター子爵は思わず苦笑し、ニーヴァは優しく目を細めた。フルフェンスは、少し照れたように視線を伏せながらも、どこか誇らしげだった。
一方その隣で、ヴェゼルは静かに頷きながら、(うん、まぁ、理想はそうだよなぁ……)と内心で同意しつつ、胸ポケットの感触に意識を向ける。
――ついさっきまで、お菓子と昼食を食べ過ぎて腹を出したまま寝転がって、動けなくなっていた闇の精霊の姿が、鮮明に思い出される。
(現実は、食っちゃ寝してる妖精様もいるんだけどな……土の精霊様は掃除が苦手のようだし……)
胸ポケットがもぞっと動いたので、慌てて指で軽く押さえる。(今は出てこないでね)。
理想と現実の落差を胸の内にしまい込み、ヴェゼルは何食わぬ顔でフルフェンスの語りを聞き続けていた。
それを見て、テルスター子爵が何かを思い出したように言いかける。
「そういえば……ビック家では、教国との戦の戦利品として、精霊様や妖精様を……その……」
言葉の途中で、躊躇うように口を閉じた。一瞬、微妙な沈黙が落ちる。
フリードは苦笑いし、肩をすくめる。
「まあ、噂はそうなっとるようですな。拉致だの誘拐だの言われてるが……実際はなぁ…」
ヴェゼルの方をちらりと見て、続けた。
「うちの息子が、精霊様と妖精にやたら気に入られちまって。結果として、うちの村までついてきただけなんですよ」
その瞬間、フルフェンスの目がきらきらと輝いた。
「ほ、本当に……精霊様と妖精様が、ビック家にいらっしゃるんですか!」
同時に、ヴェゼルの胸元がもごもごと動いた。慌てて手で押さえ、小さく囁く。(まだ、だめだよ)
フリードは気にした様子もなく続ける。
「うちの村には、精霊様が一柱と、妖精が……ええと、全部で六柱いるな。優しく接してくれるなら、いつでも遊びに来ていいぞ」
それを聞いたフルフェンスは、先ほどまでのおどおどした様子が嘘のように顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 絶対に伺います! ヴェゼルくん、ぜひ……僕と、仲良くしてください!」
ヴェゼルは思わず苦笑する。ちゃっかりしているな、とは思ったが――悪意は感じられない。
「うん。遊びに来たら、いろいろ案内するよ」
その言葉に、フルフェンスは心底うれしそうに何度も頷いた。
少しして、ヴェゼルはテルスター子爵とニーヴァの方を見て、穏やかに言葉を添えた。
「失礼ながら、別に今のままのフルフェンス君で良いと思いますよ。元気そうですし。剣だけが全てではありませんから」
一度、言葉を選ぶように間を置く。
「将来、フルフェンス君が領主となったなら、という前提でのお話ですが。僭越ながら領主というのは、人を使ってこそだと思うんです。領民を守るために、自ら剣を振るうこともあるとは思いますが――人を適切に配し、その力を活かすことで守れるのであれば、必ずしも自分が前に立って戦う必要はない。人によって、領によって、役割は違いますからね………と、私は思っているだけですが……」
そして、少しだけ表情を和らげた。
「領民が幸せであれば、その治め方に正解は一つではないのかもしれませんね」
続けて、柔らかな声で言う。
「それに、もしうちの領に遊びに来られたら、自然と体は動きますよ。驚くほど超田舎なので、歩き回る場所ばかりですから。気にすることではないと思います」
その言葉に、フルフェンスは一瞬きょとんとしたものの、すぐにほっとしたように表情を緩め、照れくさそうに笑った。
ローグもアルトも、思わず目を細め、穏やかな空気がその場を包む。だが、テルスター子爵だけは、わずかに息を詰めた。不快感はない。むしろ、素直に思ったのだ。
――この子は、他人を思いやることができる。同時に、フルフェンスと同じ年齢とは思えない、その言葉の選び方や視点に、静かな驚きが胸をよぎる。
噂は聞いている。「鬼謀童子」と囁かれる異名。教国との戦争で数十、数百のクルセイダーの精鋭を殲滅したという噂話。自分の息子と同年齢だと聞き、到底信じられるものではないと、当時は一笑に付していた。
誇張だ、虚飾だと語る者も少なくなかった。だが今、この場で交わされた何気ない言葉を前にして、テルスターは思う。
――あながち、話半分とも言い切れないのかもしれない。
親しみと同時に芽生えたのは、警戒という言葉では収まりきらない感情だった。
それは安心とは言い難かった。――親の立場から見ても、この少年が、いずれどこへ辿り着くのか分からないという、漠然とした静かな畏れと、抑えきれない興味。その両方が、胸に残っていた。




